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「誰が見ても、羨ましいって思うような指輪を買ってあげるよ。給料三ヶ月分くらいが相場とか言ったかな?」
「えー?それって迷信らしいですよ。せいぜい1〜2ヶ月分くらいって、先輩は言ってましたけど」
「何だ…そうだったのかい。まあ、別に三ヶ月分くらいでも覚悟はしてたから構わないけれどね。でも、一ヶ月分くらいで、良いものは選べるのかな?」
あかねは、友雅の給与明細を思い出してみる。
年収……数千万円。賞与を省いても、毎月通帳に振り込まれる金額は…数百万。
1ヶ月分で数百万円。2ヶ月分としたら…下手すると……。
「ちょ、ちょっと待って下さい!今の撤回します!半月分…いえ!と、10日分くらいで良いですよ!」
先輩たちが、揃ってエンゲージリングを見せて欲しい、とはしゃいだ意味がやっと分かった。
普通のサラリーマンならいざ知らず、友雅の給与で一ヶ月分として選んだら、とんでもない価格の指輪になる。更に、通説の三ヶ月分で選んだら…数千万の指輪になってしまう。
そもそも、半月分としても…かなりの金額じゃないか。
そんな指輪、大富豪のセレブじゃあるまいし。荷が重すぎてこっちが困る。
「普通の…で良いです。普通の指輪でも、綺麗なのはあるから…」
慌てて予算を低めにしたあかねを、友雅は笑いながら見下ろして髪を撫でた。
「遠慮することはないって言いたいけど…あまり気負いするようなものじゃ困るしね。良いよ、最終的に決定権を私にくれれば、あとはあかねに任せるから。」
「決定権?」
「そう。あかねが選んだ中から、この指先にはめてみて、一番綺麗だと思うのを私が選んであげるよ。もちろん、ウエディングドレスもね。」
左の薬指に、そっと唇を添える。
近いうちに、そこにあるであろうダイヤの輝きを思い描きながら。
「この際、可愛いと言われるのは我慢するよ。でも、綺麗なあかねは絶対に誰にも見せないからね?」
「何ですか、それ…」
強く彼女を抱きしめて、幾度か頬に愛しげにキスをしながら友雅が言う。
それを笑いながらあかねは受け止める。
「それは、あかねを独占出来る私だけの特権。一番綺麗な姿は、私が一番最初に見てから皆にお披露目するんだ。そして"君らは可愛いあかねしか知らないだろうけど、本当はこんなに綺麗なんだよ。どうだ、羨ましいだろう"って、見せびらかして自慢するんだよ。」
「もう…何考えてるんですか。そんな子供みたいなこと言って…」
おかしくて、思わず吹き出して笑ってしまう。
でも、そんな彼の戯言が愛しくて嬉しくて、胸の奥が熱い。
「結構、これでも本気なんだけれどね。いっそ白衣じゃなくて、ウェディングドレスで病院に来れば良いかもしれない。」
「いくら同じ白い服と言っても…それじゃマジで、コメディドラマですから」
「コメディじゃなくて、花嫁を奪うっていうラストシーンの映画もあるよ?」
いつだったか分からないけれど、深夜に放送していた古い映画を、二人で見たことがある。
ラストシーンで、結婚式を挙げる恋人を奪いにくる主人公。ウェディングドレスの彼女を連れ出して、二人で教会から逃げていくエンディング。
「ちょっと待って下さい!あれはー、主人公の男の人が女性関係でゴタゴタするじゃないですか。ウェディングドレス姿になってまで、そんなことでハラハラするのは嫌ですよっ」
「そうか。それまでの経緯が問題か」
言われてみて、そういえばと思って友雅は笑った。
すると、あかねが間髪を入れずに、小さな拳で軽く友雅の肩を叩いた。
「それに、そーいうことがホントに有り得そうで、なおさら嫌です。友雅さんの場合はっ!」
ちょっとだけ拗ねたように頬を膨らませ、眉を少し釣り上げて怒った振りをして。
「さっき、私が患者さんたちにどーのこーのって言ってましたけど、私だって、これまでずーっとハラハラしてたんですからねっ!」
この際だから、はっきり言ってしまおう。
どれだけ、ポーカーフェイスを続けるのに苦労してきたか。
長い潜伏期間を続けて来た恋路には、色々な戸惑いの想い出が着いて回る。
「先輩たちや栄養士の人とか、たまにご飯一緒に食べたりするとき、決まって友雅さんの話になるんですから!」
学生時代の臨床実習の時だって、同級生が担当医師の友雅の話をするたび、毎回ドキドキしっぱなしだった。
晴れて看護師としてやって来たあとも、状況は全然変わらなくて。
外見だけでも十分目立つ上に、キャリアまで申し分なくて。それでいて独身と来たら、誰もが注目するに決まってる。
他の女性が彼を誉めると、ぎくっとしてドキッとして…、明らかに色目と思える仕草を見ては、胸の中では地団駄を踏んで。
「早くあかねが返事をくれれば、そんなことはなかったんだよ。私は準備が出来ていたのに。」
「そんなこと言われてもー……」
新人の看護師が、名医と実は恋人でしたなんて、そんな事を言える勇気は持ち合わせていない。
「おかげで、随分気持ちだけは熟成させてくれちゃってね。終いにはこんな調子で、他の男があかねを見る視線の意味を疑って、嫉妬深くなってしまって、もう大変だよ。」
「だから、それはお互い様でしょうってば!!」
唇を尖らせたあかねの頬を、友雅は両手で包む。
身体をしっかりと密着させて、二回、その唇にキスをする。
「そうだね。だから…周りに納得させれば良いんだ。"私達に手を出しても、無駄だよ"って。」
何度も、くりかえし。抹茶とホイップクリームの、ほのかに甘い後味が残る彼女の唇を味わいながら。
ストローで吸い込んだそれは、冷たくて舌先を凍らせてしまうくらいだったけれど…キスは沸騰した熱湯みたいに熱い。
コトコト…と、コンロに掛けていた鍋の蓋が動き始めていた。
こちらも、沸騰して来ているらしい。
身体を解放されたあかねは、慌てて蓋を開けて火力を弱める。そして、切ったままになっていた野菜を入れた。
「それじゃ、無事に今後の予定も決まったことだし。私はバスルームに移動しようかな。」
「お風呂から上がるまでには、ちゃんと用意しておきますね。それまで、ゆっくり疲れを取って下さいね。」
湯気と共に、コンソメスープの香りが漂ってくる。
……急に、右肩がぐっと重くなった。
「一緒に来る?あかねが一緒なら、すぐに疲れが取れるんだけどねえ…?」
背後から顎を乗せられて、耳元で囁く声に背筋がぞわっとした。
「ゆ、夕飯の用意の最中ですっ!!そんな冗談言ってる暇があったら、早くお風呂入っちゃってくださーい!!」
ぐいぐいと背中を押されて、キッチンから追い出された友雅は、笑いながらバスルームへと向かった。
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いつも通り、あかねは入院患者の検温に病棟を行き来していた。
「あ、お熱下がりましたね。良かった!これで一安心ですね。お昼はゆるめのお食事用意しますから、栄養つけて下さいね。」
一昨日から微熱が下がらずに、食欲もなく心配していた患者だったが、平熱に戻り顔色も良くなっている。
「元宮さんはいつも明るくて優しいねぇ」
同室に入院している60代の女性が、甲斐甲斐しく動くあかねを見て、微笑ましくそう言った。
「看護師は白衣の天使ですからね!みなさんが元気になるんだったら、私の元気のパワーを惜しみなくまき散らしちゃいますよ?」
あかねが元気に答えると、患者たちは皆楽しそうに笑ってくれる。
ただでさえ、入院なんて気が滅入ってしまうものだから、せめて自分の元気で気持ちを和ませてあげられれば良い。
彼らの笑顔を見ながら、いつもあかねはそう思う。
「そういえば、来週先輩の子の結婚式でしょう。元宮さんところは、いつなの?」
気付くと、既にあと一週間で6月。先輩の結婚式は目前に迫っている。
病床だからこそなのか、こういうおめでたい話題に盛り上がる者が多い。
「私はまた、完全には決まってませんねー…。お互いに忙しい立場なものですから。お休みが合った時に、いろいろと品定め兼ねて出掛けたりするんですけど、まだ本決まりまでは…」
「そうなの?あまりのんびりしてちゃ駄目よー?先生、モテるだろうし、油断は禁物だからね」
「あははは…わかりました…肝に銘じておきます」
辛いところを突っ込まれて、あかねは乾いた笑いを返した。
「大丈夫。そういう心配は無用だよ。」
その声に振り向いて、みんなが一斉に入口に立つ彼の姿を見た。
もちろん、あかねも。
「友…っ…あ、橘先生っ!今日はお休みのはずじゃ…」
それは間違いない。毎晩毎朝、ちゃんとお互いのスケジュールはしっかり確認しているし。
それに、あかねが今朝出勤するときだって、まだベッドの中で新聞をめくっていたのをちゃんと見てるのに。
どうして?という不思議そうなあかねの顔を見ながら、白衣姿ではない友雅が病室へと入って来た。
私服そのままの彼を見る事は、滅多にない患者には少し新鮮なビジュアルらしい。
「今書いている論文の提出について、ちょっと教授に尋ねたいことがあったものだから。休みだっていうのに、わざわざここまで来てしまったよ。」
友雅の手には、見慣れた2冊のバインダーとクリアファイルがあった。
「先生は休みも忙しくて、大変なんだねえ。」
感心しつつも、半分は気の毒そうな感じで患者は友雅を見るが、彼はそれほどでもなさそうだ。
その証拠に、余裕のある台詞までサラッと吐ける。
「とかなんとか言ってね。本当は家で一人でいるのはつまらないから、だったら未来の奥様の顔でも覗きにいこうかな、と思い立っただけなんだけど。」
「な、何をいきなりそんなことっ!!」
「天使の顔がそばにないと、寂しくて仕方なくてねえ」
顔を赤くして戸惑うあかねを、遠慮なく抱き寄せて友雅が言うと、患者たちからは賑やかな声が上がった。
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