天使の指先

 006
「で…気に入ったドレスは見つかった?」
友雅は、持っていたドリンクカップをあかねに手渡した。
スムージータイプの中身がすっかり溶けて、汗をかいたカップの表面がしっとりと濡れている。
「まあ…それなりに…。でも、色んなデザインがあって、どれが良いのか分かんなくなっちゃって。」
苦笑しながら、あかねはストローを啜った。

どのドレスもみんな、素敵なものばかりだった。
Aライン、スレンダータイプ、綿菓子みたいに広がるドレス…全部、憧れていた形のものばかり。
「せっかく着てみたのに、仮決めもしてこなかったのかい?」
「だって…一人じゃ、決める勇気がなくって…」
甘くて、ほんの少しほろ苦い味が、冷たく舌先に感じられる。

こんなデザインが良いとか、あんなベールが良いとか、ネックレスはこういうのを合わせた方が良いとか…。ドレスに合わせて、数人の店員はきっちりとコーディネートしてくれた。
でも、"よく似合う"と言われても、自分でも"少しは様になっているかな"と思っても、最後の最後の決意が出来ない。
大切なもう一人の意見が、聞こえて来ないから。
「自分だけ良いと思っても…そんなの自己満足でしょ?」
「でも、店の人がいるだろう。相手は、何人もの花嫁を見て来たプロだろうし。こうして、ちゃんとそれに合うようにルージュの色も選んでくれるくらいだろうから、信用出来るんじゃないのかな」
「そういう意味じゃなくって…っ」

コトン、とあかねがカップをキッチンボードの上に置いた。
そして…友雅の腕を軽く掴む。
「やっぱり友雅さんの意見が…聞きたくって…。」
一人じゃ決めたくなかった。
自分が"似合っているかも"と思うものよりも、彼が"似合う"と言ってくれるものを選びたかった。
だって、そのドレスを身に着ける時、隣にいてくれるのは彼だから。

「あの…次の休みはっ…」
その腕を掴んで、彼の顔を見上げる。
"次の休みは…お互いに調整して合わせて欲しい"と、そう言うつもりだった。
彼がどれほど忙しいのかは、同じ職場にいれば充分に分かってることだけれど。
我侭なんだろう、と自覚しながらも、そう言おうとした途中で。
「一緒に休めるように、スケジュールを調整してもらおう」
先に、そう言ったのは友雅の方だった。

「天使を独占する許可を得たと言っても、それに甘えていたら大変な事になるって…今日、しみじみ分かったからね。」
友雅は笑いながら、あかねを引き寄せて腕の中に閉じ込めた。

「意外に近場には、ライバルが多いってことだよ。暢気に構えていたら、横から奪われかねない。」
「は…?何の事言ってるんですか、それ」
彼の言う意味が分からないのは仕方がないが、彼女のことだからその場にいても気付かなそうだ。
だからこそ、こっちとしては気が気じゃない。
腕の中からこちらを見上げるあかねに、友雅は顔を近づける。


「突然だけど、今まで職場で誰かから口説かれたこと、あるかい?」
「………はぁ!?いきなり、何を聞くんですか!」
あまりに唐突すぎる質問に、彼女が驚くのは当然。だが、尋ねずにはいられない。
「医師、レジデント、教授、看護師、薬品会社のセールスマン、栄養士、薬剤師……それと、通院患者や入院患者…。院内を出入りする男性なら誰でも良い。ちょっとでも、そういうアクションを受けた人はいるかい?」
「そんなこと、突然尋ねられてもちょっと……」
「思い付かないほど、心当たりが多すぎる?」
「違いますってば!」
というか、友雅がどこまでを指しているのか、分からなくて何とも答えられない。
からかい半分の患者などは、これまでたくさんいて切りがないし。
まさか、見舞いに持って来たお菓子をお裾分けしてもらった、くらいでは"口説く"とは言わないだろうし。

「……まあ、思い付かなくても良いよ。少なくとも、そういう男が院内にはいるらしいことは、もう調べが付いているしね。」
「ええっ?私、そんなことされた覚えないですよ!?」
こういうことは、当の本人よりも周囲の第三者の方が、しっかりチェックしているものだ。
「あかねはね、自分で思っているよりも、ずっと魅力的で人気があるんだよ。だから、私もこれ以上余裕を持っていられなくなったんだ。」
指先で、頬に掛かる彼女の髪をそっと払い除ける。
決して広くないキッチンスペースで、食器棚を背にしてあかねを抱きとめながら友雅は話を続ける。

「今日ね、色々と話を聞いたんだ。あかねを目当てに、通っている患者がいるとか。入院患者にも"可愛い看護師さんだな"と思っている人がいるとか。」
「私を〜?そんな覚えありませんけど!」
友雅の言葉に、あかねは照れるどころかびっくりしている。
「気付かないだけだろう。でも、そんな風に言ってるのを、聞いている人は結構いるらしいよ。研修医とか医薬品会社の営業とかね。」
敵の居場所は結構範囲が広く、目を光らせるにも苦労しそうだ。

「だから…もう、それからは大変でねぇ。目の前にいる男がみんな、本当はあかねのことを狙ってるんじゃないか、って勘ぐってしまって。気が散って、オペに集中するのに苦労したよ。」
「…まさか、ミスったりしなかったでしょうねっ!?」
それまで困惑していたあかねだったが、そこは彼女もプロの看護師。
目の前にいる医師が医療ミスしたんじゃないか!?と、それが一番心配だ。
だが、それは取り越し苦労。
友雅はドクターの中でも、"名"がつくキャリアの持ち主。
「そんなことでミスをするような、素人じゃないよ、私は。でも、ハラハラして落ち着かなかった事は確か。今はこうして、あかねの顔を目の前で見ているからそうでもないけれど…でも、やっぱり少し気にしてる。」
どうしても、やっぱり吹っ切れない不安。
好きで、好きで仕方がないから…それが嫉妬というものに繋がっていく。
心は確かめ合っても、自分達だけが分かっているだけでは、もう満足できない。
誰もが分かる、はっきりとしたものを見せつけてみたいという、そんな欲が沸き上がって来ている。

あかねの左手を取り、細い薬指を軽く握る。
何もない、素のままの指。
ほんのりピンクの爪が、綺麗に曲線を描いて輝いているのみ。
「こうして一緒に暮らし始めただけで…あとは全然変わっていないからね。指輪もないし、挙式のことだって決まってない。一緒になろうって言ったのは私の方なのに、まだ約束だけしかしてないんだよね。」
堂々と人前で、手を握っても咎められない。誰もが、いずれ二人が結ばれることを知っているからだ。
だからと言っても、昼間ドクター達が口にしていたように、それを気にしない者だっている。
「でも、約束だけじゃ…ね。やっぱり、目で見て分かる、はっきりした証を持っていないと不安だよ。」
まだまだ、二人が完成形に辿り着くには時間が掛かるだろう。
その度に、こんな風に不安になって、嫉妬に苦しんでいたら、本当にいつか医療ミスを起こしてしまうかもしれない。
名医と呼ばれる医師が、フィアンセを狙う男に嫉妬して医療ミスなんて…あまりにバカバカしくて、医師会にも干される事は必須だ。

「……だから、これからは…ちゃんとお互いに努力しよう。今以上に、一緒に過ごす時間が多くなるように。」
いつも、とはいかないまでも、互いに休日の予定を確認してから、調整していけば良い。
ずらせるなら、どちらかがずらせば良いことだ。それだけで、一日でも多く一緒に過ごせる。一緒に出来ることが、いくらでも増える。
そうすれば、指輪だって選べるだろうし、彼女一人でドレス選びなんてこともさせなくて済む。
何より、二人だけの時間が増えれば、他の男の目が彼女に注がれることを防げる。

「私も今日、買い物に出掛けてて…つくづく、一人で出歩くのってつまんないなって思っちゃって…」
友雅の胸に額を当てて、あかねが小さくつぶやくように口にした。
「平日だから、それほど人は歩いていないのに…そういう時に限って、何だか男女で歩いている人にばかり目が行っちゃって…。何で私だけ一人なんだろうって、そんな風に感じて…」
もちろん、街中は一人で歩いている人の方が大半だ。
なのに、カップルに目が行くから過敏に意識してしまうのだ。
恋人がいるのに。もう隠して付き合う必要もないのに、どうして自分はまだ一人で歩いているんだろうか、と。
「映画だって食事するにしたって、一人はのんびり出来るけれど…でも」
ぎゅっとあかねの手に力が入り、友雅のシャツにしわを寄せる。
「普通の恋人同士みたいに、二人でデートみたいなことしたいなあって…」
「そうだね。そうすれば、ウエディングドレス姿のあかねを、一足早く目にする事が出来たかもしれないね。」
白衣じゃなくて、本当の天使みたいな姿の彼女を、誰よりも先に見られたかもしれない、と思うと少し残念だ。

「でも、まだ決めていないんだろう?だったら、次に休みが一緒に取れたら、ドレス試着ツアーでもしようか。」
「ホントに?」
「ああ、それよりも…指輪の方が先かな。まずはエンゲージリングだね。」
太陽の光を吸い込んで、朝露のようにきらきら輝く約束の指輪。
彼女の薬指にはめるための、誓いの証を選ぶことが先決。

「何時間でも、あかねが気に入るものが見つかるまで付き合うよ。予算も素材もデザインも、まずはあかねが選んでくれれば良いから。」
「えー…そんなこと言われたら、1日じゃ決められないですよ…。だって、ジュエリーショップなんて、たくさんあるんですよ?ウェディング専門店でも取り扱ってるし、ブランドジュエリーのショップにもあるし。値段だってピンからキリまでで、絶対に迷っちゃって1日では無理ですよ!」
「別に、1日で決めなくても良いだろう?何日でも、決まるまで付き合うよ。あかねの休みに合わせて、一緒に出掛けられるようにするから。」
そう答えると、友雅はあかねを軽く抱き上げるようにして、ナチュラルなキスを唇に落とした。



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Megumi,Ka

suga