天使の居場所

 004
今日も病院は賑やかだ。
「いつも本当に橘先生には、よくしてもらって感謝しているんですよ」
二度目の治療で孫を連れて来た女性が、機嫌良くそう話している。幸い結果は良好で、もう通院は必要ないと答えると、患者である子供もホッとしたようだった、
「良かったですね。元気なのは良いけれど、あまり病院のお世話になっちゃダメよ。おばあちゃん心配しちゃうからね。」
カルテを受け取ったあかねが、にこやかにそう言った。

「そういえば、橘先生はまだ独身でしょ?ちょっと良いお話があるんだけど、どうかねえ?」
ああ、この年令の女性特有の、おせっかい話が始まってしまった。また友雅もそれなりに人当たり良く応じるものだから、こういう話を持ちかけて来る人が後を絶たない。
その度に、看護師として近くに着いているあかねの心境は複雑だ。
一応、公にはしていないとしても、そういう関係なのだから。
「いや、実は私はこれでも理想が高くて。だからこの年まで独り者なんですよ。」
わざとそんな風にお茶を濁して、いつものようにやんわりと話を反らさせる。
それでもしつこく食い下がる相手もいるが、回数も重ねると交わし方のコツが掴めるようになっているらしく、見事なほどに友雅は会話を反らす。
今回も、まあそんな風に流れて終わるだろう…と思ったら、それは思いも寄らない方向に反って行った。

「じゃあ…あなた!ねえ、あなたもねえ、そろそろお相手探ししてみない?」
「は?あたしですか!?」
何でまたこっちに白羽の矢が…!
初めての事に、あかねは戸惑う。
「うちの息子の会社に、良い人がいてねえ。流行のインターネット関連の会社やってるんだけど……」
ああ、どうしよう。友雅みたいに、話を反らすテクニックなんて持ち合わせていない。
18になったとたん、見合いの話を迫って来た親戚のおばさんを思い出す。
その時も散々困り果てて、何とか断ったというのに…今度は一応客であるし、強気に出る事も難しい。

「この子はダメですよ。どうやら、決めている相手がいるらしいんでね。」
「たっ…橘先生!?」
何を勝手に言い出すかと思ったら。
横やりに入って来た友雅は、自信有りげに女性に向かって言う。
「私も聞き出そうとしているんですが、口を割らないんでね。でも、どうやら将来のお相手に考えているらしいので、お見合い話は無駄足みたいですよ」
どさくさに紛れて、あっさりとそんなことを言い切るなんて。
そりゃ、その相手が誰なのかなんてことまでは、知られるわけがないと思うけれど……動揺は隠せない。
友雅への信頼度が勝利ポイントだったのか、それまで粘っていた女性はしげしげとあかねの顔を見た。
「へぇ、そうだったのかい。それじゃあ、わざわざおせっかい焼かなくてもいいね。決まってるんだったら、早く決めちゃった方がいいよ?」
取り敢えず、あかねは笑ってその場をごまかすしかなかった。
ちらっと横目で見た友雅は、しらっと何も無かった様子で患者を見送っていた。


「………患者さんに、嘘は言わないで下さい」
ドアを閉めて振り向くと、そこに口を尖らせているあかねが立っている。
「尋ねても、なかなか答えをくれないからだよ。」
あかねの態度など気にもとめずに、余裕の表情で友雅は深く椅子に腰掛けている。
はあ、と溜め息を一つついてみる。
「………将来の相手なんて」
呆れたように瞼を伏せて、頭をかかえようとしたその手を掴まれる。
鼻が当たるほどの距離まで、身体を引っ張られて足下がぐらつく。
その企みがすぐに分かるからこそ、今の現状に鼓動が上擦る。
「…し、診察室ですよ、先生!」
まだ何人もの患者が、外で待機しているはず。こんなことしている場合じゃないのに。
いつまでも次の患者を呼ばないでいたら、他の看護師が入って来てしまうかもしれないっていう状況なのに。

「なら、早く決めなさい。」
珍しく真剣な瞳をして、くずれたあかねの身体を両腕の輪の中に閉じ込めて、そんな風に言う。
「今の患者さんが言ってただろう。早く決めた方が良いって。」
「……むちゃくちゃすぎますよ…」
患者に対しては完璧なほど真摯な態度なのに、実は意外と強引なところがあって。
答えが出るまでは、諦めない頑固さもあったりして……それは、あまり知られていないけれど。
多分、あかねしか知らない彼の真実。二人の距離が近くなければ、分からない彼の本当の一面。
そんな友雅に……惹かれていることも、きっと誰も知らない。
「さあ、早く答えなさい。次の患者さんを呼ぶよ?」
「あ、ちょっと…待って…!」


初めてのアクションから、早2年が過ぎている。
看護師になる前に、約束だけでも…と仕掛けてみたが、彼女からの明らかな答えは未だに聞けていない。
そろそろ、待ちくたびれる時期だ。待ってるだけでは、先に進みそうにない。
見た目の愛らしさとは裏腹に、この天使はなかなか手強い。
だからこそ、タイミングとチャンスが重要。
少し手荒でも、聞きたい答えは早く耳にしたいから、わずかなチャンスも利用しない手はない。
どうしても欲しいものだからこそ。
手に入れたいものだから。手放したくないものだから。他の誰にも渡したくないものだから。

「……分かりました!分かりましたから!認めますから!」
ちょっとだけ騒がしい答えだったけれど、これが一番聞きたかった一言だ。
「よし。それじゃ、改めて。君が将来を誓う相手に決めた人は、誰?」
「…い、言わせるんですか!」
当然だ、と言いそうな顔を近づけて攻め立てる。
はっきりと彼女の声で聞きたい。確かめたい。
「先生です」
「そういう言い方は反則。きちんと、名前で言いなさい。」
「ええ〜……?」
こんなに目の前にいるというのに、名前を口にしなくてはいけないなんて。
まるで、愛の告白のようじゃないか。
「ほらほら、次の患者さんを待たせるつもりかい?」
急かしながらも、背中に回した手を離す気配など全く無い。名前を言わなければ、ずっとこの調子だ。

「……友雅さん」
少しだけ目をそらして、顔をかすかにうつむかせて答えた。
ほんのり、頬の温度が上がっているような気がする。

とたんに友雅の両腕が、あかねの身体に食い込むように強く力を込めた。心音が伝わるほどに。
そうしてあかねのあごに手を添え、有無を言わせぬ間に彼女の唇を奪った。
「ちょ、ちょっと待っ…!つ、次の患者さんが!」
二度目のキスを迫る友雅を押しのけると、机の上にあったカルテが数冊床に滑り落ちた。
慌てるあかねとは正反対に、友雅は上機嫌だ。
「時計を見てごらん。」
友雅の肩の後ろに見える壁の時計に、視線を上げてみた。

………12:15。
ちなみに、この病院では12:00から昼休みとなる。
午後の診察は13:30からだ。

「お、お昼休みになってるじゃないですか!」
「そう。だから、次の患者さんは13:30から。それまではフリータイム、」
それじゃ、あんなに焦らなくたって良かったじゃないか。
次の患者の心配をする必要なかったじゃないか。
なのに、慌てさせて追い詰めて、無理矢理答えを言わせて…。
「強引」
さっきよりも少し優しい二度目のキスのあと、その腕に身体を預けて一言つぶやく。
「恋の病が悪化したのは、君がここまでじらしたせいだよ。」
この病を治すには、薬も医者も必要ない。
たった一人の天使がいればいい。



---THE END---



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