天使の居場所

 003
リゾットをスープ皿一杯だけ食べ終えたのを見届けて、あかねは熱いマグカップを友雅に差し出した。
「ジンジャーミルクティーですよ。これ飲むと暖まるし、はちみつも入ってるから殺菌作用もあって一石二鳥のドリンクです!」
あかねが調理してくれたものは、どんなものでも食べようと決めている。
特別料理が上手いというわけでもないけれど、食事に関しては執着のない友雅にとっては、十分すぎるほどのレシピが広げられる。
顔を近付けると、その湯気で頬が高揚してしまうかと思うほど、熱いミルクティーを口に運んだ。
柔らかでまろやかなミルクの味に、ほのかな甘さを添えるはちみつ。口の中に小さな刺激を残す、しょうがの香りと味覚。

「……あかねみたいな味がするね」
「?」
風邪を引いているわけではないが、あかねも一緒にミルクティーを啜る。友雅よりも、少しはちみつは多めにしてある特製レシピだけれど。
「甘いのに、どこか辛くて。さっきお説教をしてた姿そのものだね。」
「友雅さんが、言われるようなことをするからいけないんですよ。風邪をひいたら、薄着しないでゆっくり寝るのは基本でしょ?」
「まあ、そうだけどね。でも、面と向かって怒られるのもたまには良いよ。」
少しずつ味わいながら、ミルクティーを口にする友雅に、『Mっぽいですよ』とあかねが言うから久々に声を出して笑った。
喉の痛みは、もう残っていなかった。
熱とは違う体温の上昇が、自覚出来るようになっていた。

「だけど…元気そうで良かったです。寝込んでるかと思って、少し心配してました。」
ホッと一息ためいきをついて、あかねは何度もカップを口にした。

心配だったから、家に帰らないで、そのままここに直行してしまった。
身体に良いものをと、スーパーで食材を選んでいる間も、どうしているのか頭から想像は離れなくて。
夜勤のあとは疲れがたまってて、部屋に帰るとベッドに直行して爆睡するくらいなのに、頭も意識も全然冴えてて。
やっとこうして、甘く暖かいミルクティーを口にして、落ち着きを取り戻したところ。
顔を見るまで、気が気ではなかった。落ち着かなかった。

「効き目あるね、このミルクティー。身体が暖かくなって来たよ。」
まだ半分ほどしか減っていないが、友雅は素直にそう答えた。
「そうでしょ?風邪とかじゃなくても、飲んでると予防になるんですよ。寒い夜とか、飲んで寝るとぽかぽかして気持ち良いんですよ」
友雅が賛同してくれたのが嬉しくて、思わずあかねは身を乗り出した。
自分が美味しいと思ったものを、好きな人に認めてもらうことは何より嬉しいことだから。

「でも、あと一息だな」
いきなりだった。
掴まれた手首、体勢を崩して揺らいだ身体が、力によって友雅の胸の中へと傾れ込む。
「うん、やっぱりミルクティーよりも、あかねの方が暖かい。こうしている方が、一番暖まるね」
強いけれど乱暴じゃない、その腕が全身を抱きしめる。
吐息が触れあう程に身体を寄せて、声が耳元で聞こえる。
「やっぱり、あかねの看護は独り占めしたいねえ……」
「贅沢ですよ。看護師はみなさんのものです。」
腕の中にいながら、あかねは相変わらずのセリフを口にした。
そしてそのあと、

「だけど、今日だけは特別ですよ。患者さんにはいつも、優しい看護師でありたいので。」

そう言って笑った。



さっき押しのけたのに、今度は防ごうとはしなかった。
唇を近付けたのは、ほぼ同時。背中に手を回して、お互いの身体を抱きしめたのも、ほぼ同時。
ミルクの味はどこまでも優しくて、この腕の中のぬくもりと同化していく心地良さは、言葉にできないほどだった。

「そろそろ、ベッドに入って下さい、患者さん。せっかく暖まったんだから、今寝ないと意味ないですよ」
唇を離したとたん、にっこりと微笑んであかねが言った。
まだ、首に手をかけて、主導権をこちらに預けている形だというのに。
「それじゃ、引き続き向こうで暖めてくれますか?看護師さん?」
抱き上げて連れて行こうと腕を動かすと、さすがにそれは×の答えが返って来た。
「キスは許しますけど、一緒に寝るのはダメです。風邪が移っちゃいますから。」
良い所で、頑固なほど真面目な看護師である。
そんなところも、気に入っているのだが。


「アパートに帰るのかい?患者を残して?」
友雅が尋ねると、あかねは首を横に振った。
「今日は…良いです。何か、いろいろやってたら疲れちゃったんで、一眠りさせてもらって…明日帰ります。」
テーブルの上のカップを手に取る。残っていたミルクティーは、もうぬるくてあまり効果もなさそうだ。
「どこで眠るんだい?いつものベッドではダメと言っても、エキストラベッドなんて用意はないんだが?」
「ああ、ソファで寝ますから大丈夫ですー。毛布だけ貸してくれれば寝られますから。」
夜勤の経験を積んで来たせいで、ちょっとした場所で仮眠を取る事も慣れて来た。ソファなんかはベッドと同じものだと思えるくらい。
「疲れているんだろうに。ソファでは熟睡もしにくいんじゃないのかい」
「平気ですよ。毛布、予備のありましたよね?」

さっきガウンを探し出したクローゼットから、一枚毛布を取り出す。
枕がわりにクッションを二つ使って、横になればそれなりに快適だ。
「ちゃんと眠って下さいね。良くなったら、ちゃんとしたご飯を用意しますから。」
「分かったよ。あかねこそ、風邪を引かないように毛布にくるまるんだよ」
おやすみ、という一言と一緒に、額に軽くキスをして、友雅は寝室へと消えた。


ふわっと、安らぐ香りに気付いた。それからさほど時間は経っていなかったと思う。
「ああ、起こしてしまったかな、悪いね」
ラベンダーの香り……鼻をくすぐるその香りは、友雅の手のひらから漂っている。
そこに添えられていたものは、この部屋には不釣り合いなほどファンシーな、パッチワーク細工のテディベア。
「よく眠れるようにって、ベッドのそばに置きっぱなしにしていただろう。しっかり眠らなきゃいけないのは、あかねの方だからね。」
友雅のために置いて行ったはずだったのに、今はその香りが恋しくて。
一人で眠る部屋の中でも、欠かせない香りになっている、あかねにとって大切な香りだ。
「残念だけど、今日はこのぬいぐるみにお役目を交替してもらうよ。抱きしめて、ぐっすり疲れを取りなさい。」
そういって、髪の毛を軽く撫でて、彼はそこから消えた。

居心地がいいから、ここにいる。彼のそばにいる。
その場所で、必ず幸せを感じることが出来るから、ここにいる。
出会って、そして今まで紡いで来た日々と時間が、それらを色濃くして行くから。



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Megumi,Ka

suga