 |
 |
光り降る音
|
|
 |
| 第24話(1) |
 |
 |
 |
屋敷を飛び出したあかねは、待機していた牛車にすぐ乗り込んだ。そして、中から従者に行き先をはっきりと告げた。
「友雅さんのお屋敷まで…急いで向かってください」
突然ではあったが、従者たちは一切乱れることもなく、その申し出を受け入れて車を動かし始めた。おそらくは天真あたりが、既に口添えをしてくれていたに違いない。
かたかたと動き出す車の中。目を閉じてあかねは一人、静かに考える。
あんなに会うことが気まずかったのに、今はすぐにでも友雅に会いたい。
心は急いて、気が落ち着かない。
ずっと言えなかったことを、早く彼に伝えたくて胸の奥が熱くなる。それがどんな結果になろうとも、もう蓄積された想いは止められないのだ。
例え別れることになってしまっても、再び抱きしめてくれることがなくても、だからと言ってこの想いは変わらないだろう。
ずっと前から、好きでした。
そして、今でも……あなたが好きです。
緩やかな車のスピードがもどかしかった。翼さえあれば、すぐにでも彼のところに飛んでいけるのに。
+++++
やっとのことで到着した友雅の屋敷は、相変わらず人気というものとは無縁だった。
滅多に来客など来ないせいだろう。突然やってきたあかねに、侍女の表情は少し驚いたように見えた。
「友雅さん…いますか?」
侍女に告げた。すると彼女は、一瞬こちらを怪訝そうに伺ってから、あかねを残して屋敷の奥に下がってしまった。
一人でその場に取り残されている間だ、あかねは辺り一面に咲いている白い花をぼんやりと眺めていた。
垣根のように生える橘の木の奥に望む庭園は、以外と質素な造りをしている。この屋敷の主の容姿のような、雅やかで華やかさというものには程遠い。
毎日のように見ている土御門の屋敷と比べるのが、そもそも間違いなのだと分かってはいるが、広さは似たようなものであれ、木や花などの手入れは熱心にされていないようだ。
ただ、その季節の流れに沿うように、自然のままに息づいているような庭。丁度今の時期になると、こうして橘の白い花が屋敷全体を包むように咲き誇る。
自由なままに咲き誇り、それでいてどこか引き寄せられる香りと花の姿。そう考えてみれば、主である彼を象徴しているかのようにも思える。
「お待たせ致しまして申し訳ございません」
さっき姿を消した侍女が、足早にあかねの元へと戻ってきた。そしてもう一人、少し年端の若い侍女が彼女を後を着いて来ている。
「どうやら殿は、今朝方に出掛けてから戻られておられないようで…」
「……出掛けてるんですか?」
「はあ。この者が、出掛ける際に殿を見送ったと申しておりますので、間違いないかと。」
今朝から出掛けているとすれば、宿直を終えて帰宅したとしてもそんなに眠っていないだろう。ろくに睡眠も取らず、どこに出掛けて行ったというのか。
蘭のところへ……は行っていない。行っているのなら、顔を会わせることもあったはずだが、それもない。
もうすぐ陽も傾き始めてくる時間だ。この時期、夕暮れまではもうしばらく時間が掛かるとしても……そろそろ帰宅しても良いのではないか。
「どこに行くとか、言っていませんでしたか?」
あかねがすがるように尋ねると、その表情に二人の侍女たちは一瞬呑み込まれるような緊迫感にかられた。
そして、ふと脳裏に同じ想いがよぎった。
……もしかして、この方は。
確信はない。だが、どこか直感めいたものが浮かび上がった。
まだ幼さの残る少女に違いないが、その身体からうっすらと浮かび上がる金色の粉のような眩しい光。普通の人間には感じられないものが、彼女には間違いなくある。
「はっきりとは申されておりませんでしたが、貴船の方に行ってみようか、とおっしゃっておられました。」
若い侍女の方が、そう告げた。
「貴船には、橘家の山荘がございますから。もしかすると、そちらの方に向かわれているのではないかと。」
貴船の山荘、と聞いたあかねの脳裏に、あの夜のことが即座に思い浮かんだ。
流れる川のせせらぎの音と、闇の中を浮かんでは舞い踊る小さな蛍。そして何よりも、はじめて恋に溺れた、わずかな瞬間。
その熱い想いも、あの時抱きしめられたぬくもりも、消えることはなくあかねの中に浸透している。
いつだって思い出せるほどに鮮明に。
とたんにあかねはくるりと身を翻し、今し方やって来た道を戻ろうと走り出した。
その背中に向かって、侍女達が声を上げた。
「あ、お待ち下さいませ!!」
足を止めて振り返ったあかねに、侍女がすっと裏手に向けて指を差しだした。
「殿は、馬だけでお出かけになりました。宅の牛車が空いておりますので、貴船にいらっしゃるのであればお使い下さいませ。従者もご用意させて頂きます。」
ここまでやって来た時の車と従者は、外に待機させている。だが、それは土御門で用意されたものだ。
そのまま貴船に行くとなると、かなり疲れるのではないだろうか…と脳裏に浮かんだので、彼女たちの言葉は願ってもないことだった。
「…ありがとうございます!!」
深々と頭を下げたあかねに、裏手の車寄せで待つようにと告げてから、侍女たちは再び屋敷の中に姿を消した。
本殿に戻る途中、前を歩いていた侍女がふと足を止めた。目を遣った方向には、満開の白い花が見えた。
「あの方はおそらく…龍神の神子様でいらっしゃる。」
会ったこともなく、顔も見たこともない。
だけど、何故かそうだと確信出来る。湧き上がる聖なる気が、その証。見たこともないそれらは、どこか友雅の宝珠の輝きにも似ていたから。
「そして、殿が……お慕い申している御方のはず。」
後ろに着いていた若い侍女が、黙ってその言葉にうなづいた。
■■■
目を閉じて横になると、遠くから岩場を流れていく水音が聞こえてくる。
ひんやりとした板の間に寝転がって、ただぼんやりと心を無にしてみようと努力はしてみるが、なかなかそう上手くはいかない。
耳に流れ込むせせらぎも、少しずつ夜に近づく傾いた太陽の光も、何もかもがひとつの映像になって頭にこびりついてしまう。
相変わらずだ。
わざと会わないようにすれば、多少は他のことに気を回すことで胸の焼けつきを抑えられるかと思っていたのに。全くそれは逆効果で…今まで以上に考えてしまうのは彼女のことだけだ。
何をすれば、この想いが安まるのか。もう、そんな手だてさえ思い付かなくなってきている。
一人で過ごす日々の中では、燃える想いを抱えるのが辛すぎる。相手がいてこその、この心を受け止めてくれる彼女がそばにいてくれないから。
夕暮れが近づいてきていた。あの日、二人でここにやって来たときのことが浮かんでくる。
押さえ込むことに耐えきれなくなった心を、はじめて彼女に捧げた時。その身体を抱きしめることが出来た時、幸せというものがどんなものなのか、ほんの少しだけ分かった気がした。
思い切り腕に力を込めて抱きしめると、細い腕が背中にしがみつくように回って。そうして鼓動が重なるほどの距離に近づいて、ほっとしつつも胸が熱くなった。
何もかもを忘れて、彼女の心だけを抱きしめていられることの幸福感。八葉ではなく、男として彼女を愛したことに素直に受け止めることが出来たこと。
本当の恋というものは、これほどに暖かくて優しい気持ちになれるものなのかと、そう思って疑わなかったのに。
このまま、二度と心を通わせないままで、彼女は消え去っていってしまうのだろうか。引き止めようと叫んでみても、この声は聞こえないのだろうか。
天真に向かって柄にもなくあんな強気な態度を示したくせに、今ではそんな気力さえまるでない。
本当は帰したくない。引き止めたい。だが、それも彼女が振り向いてくれなくては動き出せない。
こんなにまで捕らわれて。がんじがらめになって、そして想いを募らせて。良いことばかりじゃないというのに、何故恋をしてしまうんだろう。
身動きさえも取れない。------彼女が、この手に触れてくれなくては。
八葉はこれほどに弱い存在なのか?龍神の神子がいなくては、何も出来ないのか?
---------否。龍神の神子など、欲しくない。欲しいのは………他の誰にも代えられない、一人の娘だけ。
折った腕で頭を抱えて、ごろりと寝返りを打ってみる。相変わらず川の音が聞こえている。外はそろそろ蛍が舞い始める頃だろうか。
友雅はゆっくりと身体を起こすと、古ぼけて建て付けの悪くなった蔀戸を持ち上げた。
暗闇の近付いた川縁に、ふわりと浮かんだ光の玉が見えた。目を凝らすと、無数の小さな光は川の上を踊るように舞っている。この間よりも数は増えていて、とても幻想的な美しい風景だ。
彼女に見せてやれたら良かったのに。
そう思った瞬間だった。
外で聞こえた馬の鳴き声に、友雅の耳が反応した。
身動きを止めて、更に耳をそばだててみる。きしむ車輪の音、誰かが歩く足音。
こんな夕刻の時期に、しかも人気のないこんな場所にやってくるなんて……。誰かが道にでも迷ったのだろうか。それともさすがにこんな時間まで留守にしている主を気づかい、この山奥まで探しにやってきたというのか。
艶のない木戸を、開こうとする力がかかっている。隙間から月明かりが差し込んで、床板に一筋の光を描いた。
もしもの時に備えて、友雅は忍ばせてあった短刀に手を掛けた。2〜3人程度の相手なら、これで充分対応できるだろう。
ガタガタと音を立てながら、少しずつ戸が開いてゆく。差し込む明かりの範囲が広がっていく。
そして、その戸が開いた瞬間----------友雅は声を失った。
|
 |
|
 |