光り降る音

 第21話(2)
「それでは、また後日伺うよ。次の機会には、是非また貴女の琴と私の琵琶で音合わせを楽しみたいね。」
緩やかにたおやかに微笑みを蘭に傾け、友雅は部屋をあとにした。

ここに通うのは、もう5回ほどになる。その度に聞かせてくれる蘭の琴の音は、日を増すことに色艶を深めていく。魅力的な音だ。
なのに、どうもしっくりと胸に馴染まないのは、やはりここに彼女がいないせいだろう。
艶やかな琴の音よりも、静かに流れる涼しげなせせらぎの音よりも、惹かれる音は……彼女の声だ。
もう随分と会っていない気がする。
-----そう、ここで別れたときからだ。

裏庭にさしかかったとき、友雅はその場で足を止めた。
最後にあかねと会ったのは、この場所だった。
あの言葉を聞いた瞬間、ぷつりと二人をつなぐ糸が切れたのを今でもはっきり覚えている。
ずっと強く結びあっていられると思っていたのに、それは突然に…あっけなく彼女の言葉一つで切れてしまった。
つながらない糸の切れ端を、未だに友雅は手放せないでいる。そうして何度も、一人きりの寂しい時間を繰り返す。

一人になって、常に考える。湧き上がる心の嘆き。
彼女が欲しい。狂おしいほどに。彼女がそばにいて欲しい。
抱きしめたい。この腕が、そう願っている。
他の誰でもない、ただ……彼女だけが欲しい。




「久し振りだな」
草いきれの向こう側から、やって来た姿は友雅と同じ八葉の一人である。
「何で蘭の所ばかりに通ってんだよ。八葉のくせに、随分とこっちの仕事はご無沙汰してるじゃねえか」
「まあ、私も忙しい身なのでね。一つのことに構っているわけにもいかないのだよ。」
会ったとたんに不機嫌そうな天真を、友雅はわざといつものように余裕ある態度で交わした。
友雅が妹に会いに来ているのは、やはりいくら経験しても納得行かないのだろう。あれだけ『近寄るな』と豪語したくらいだから、こんな態度で友雅に向かってくるのも仕方がないし、それが妹への愛情というものなのだから否定するものでもない。

「蘭の所に通う暇があっても、土御門には来る暇はねえってことか。そんなんで八葉なんて言えるか!?」
「別に私は自分で志願したわけではないのだけれど、ここにこうして宝珠があるということは、八葉と認めるしかないだろうね」
そう言って友雅は、開いた胸元に光る淡い翡翠色の宝珠に指をかざした。

「私は地の白虎。八葉であり、八葉以外の何者でもないよ。」

以前、同じようなことを友雅が言ったことを天真は思い出した。
当然のことを言いながらも、その言葉の中に腑に落ちないものが引っかかっているような言い方。-------自分は八葉ではなく、もっと違う者になりたいと願うような。
友雅が願うのは何か。八葉でも左近衛府の少将でもない。そんな階級にこだわる男ではない。ならば、それは何か。


「たまには土御門に来い。それが八葉だ」
「私の他にも有能な八葉はいるだろう?私一人よりも、他の君たちの方が充分役に立つと思うし、神子殿への想いも強いと思うけどね。」
どこか突き放したような言い方。
それはまるで、八葉の仕事など自分は関係ない、と傍観者のような立場から言うような台詞だ。
元々友雅は、どこか周囲から離れたところで物事を見る目がある。
だが、八葉とは言っても……龍神の神子に仕える身。それは、あかねのために、という意味と同じことだ。
「…おまえは、あかねには無関心ってことかよ」
「私よりは君たちの方が上だ、っていう意味だよ」

「ふざけんな!」
しゅっと風を切る音がして、天真の拳が友雅の頬をすり抜けて行った。間一髪のところで払い除けたが、あと少しタイミングがずれていたら、完璧に友雅の頬は殴りつけられたに違いない。
「あかねはどうでもいいってことか!あの時、俺を挑発しておきながら!あんなに大きなことを言っておきながら!もうおまえにとっちゃ、あかねはどうでもいい女だってことか!見損なったぜ!」
冷静になって、友雅から本当のことを聞き出そうとして、ここにやって来た。
二人の間に何があったのか、あかねが何と友雅に言ったのか。二人の想いが、今どんな方向に向かっているのかを聞き出したかった。
だが、もう天真はじっとしていることが出来なかった。
「俺はおまえの事が嫌いだったよ。あかねがおまえに惹かれるのが悔しかった。それに加えて、蘭までおまえに惹かれてやがる。チャラチャラしやがって、女にばっか良い顔しやがって、俺らのしていることはいつも離れたところで見てるだけで、その余裕たっぷりなところが気に入らなかったんだよ!」
「……ずいぶんと嫌われたものだ。そこまで言われると、かえって気持ちいいね。」
そう罵声を浴びせられながらも、全くこたえていないような余裕の表情が天真の気を逆なでする。
さささっと涼しい音を立てて、竹林の中を風が駆け抜けていった。

「…でもな、あの時おまえがあかねに対する気持ちを口にしたとき、正直言って考え直さないといけないと思った。それだけ…あかねのことを口にしてたおまえは、恐いくらい本気なのが分かったからさ」
あの時のことを思い出しながら、天真は話を続けた。

あかねへの心を語ったときの友雅の瞳の鋭さ。言葉の重さ。目の前にいる友雅とは別人のようで、そこにいるだけで打ちのめされそうになるほどの熱い気を感じた。
はじめて、『こいつにはかなわない』と思った。
「なのに、何で今こんなことになってんだ!おまえはあかねを誰にも渡さないって言っただろうが!」
「……神子殿に頼まれたものでね」
当然のように、友雅はそう答える。
「君の妹君の想いを大切にしてやってくれと言われてね。だからこうして、頻繁に通ってきているだけのことだよ」
「…バカか!おまえはあかねが好きだったんじゃねーのか!何で断らないんだよ!それとも、おまえにとっては、あかねはそれくらいの価値なのか!?」
知っているくせに。天真があかねに惹かれていたことも知っているくせに。それを知りながら、あかねへの想いの強さを見せつけたくせに…それなのにこんなことになるなんて。天真としては絶対に納得がいかない。
あかねのことを諦めるしかなかった。そう決断したのに。
「答えろよ!それがおまえの答えか!」
せめてあかねが幸せであれば、と思ったのに。このままじゃ……………。


「---------答えが欲しいのは私の方だ!」
今まで聞いたこともない強い声が響いて、それと同時にか細い若竹が音を立てて折れた。それらを握りしめていた友雅の指先から、赤い血が滲んでは落ちる。
天真は、声を失った。

「あの時、一言でも彼女が想いを言葉にしてくれたなら…その場で断ることも出来た。だが、何度尋ねても彼女は私の目を見てくれなかった。一度は心を受け入れてくれたのに、それっきり心を開いてはくれなかったよ。そのあとに…こんな展開だ。今にも泣き崩れそうな彼女を目の前にして、無理強いなんて誰が出来る!?」


悔しくていたたまれないというのは、こういう状態を言うのかも知れない。
取り乱すことなどないと思っていた友雅が、我を無視して混乱と苦悩に陥っているのを天真は目の当たりにしている。
この男が、こんなに感情に溺れるのを見たことがなかった。そんなこと、あり得ないと思っていた。

「本当なら、抱きしめてやりたかったよ。例え彼女の瞳から涙が溢れようと、止まるまでずっと抱きしめてやりたいと思った。でも、彼女はこの胸に飛び込んでは来てくれなかった。」
友雅は両手を広げて、まだあかねの感触を忘れられない自分の腕を愛おしそうに撫でる。
「一度でもぬくもりを知ってしまうと、それを受け入れてくれないときが辛いね。柄にもなく、少し気が滅入ってしまったのかもしれない。」
「だからって、あかねに会いにくるのを止めたのか…」
天真が尋ねると、友雅は苦笑しながら答えた。
「今すぐにでも顔を見に行きたいと思うよ。でもね、あの時頑なに拒まれてしまったときから…何故か足がすくんだように動かなくなってしまって。こんなに想いは燃え続けているのに、会いに行く決心がつかない。会ってしまったら…きっとその場で私は彼女を奪ってしまうだろう。そんな自己制御が出来ないような、不安定な状態にいるみたいでね」

自分が恐い。あかねへの想いを押しとどめている今、会ってしまったらどんなことになるのか。
会いたいのに、それが恐い。なのに、会いたい。会いたくて仕方がない。
「彼女が一言でも…いや、言葉なんていらない。せめて、この胸に飛び込んできてくれたならね……。」
その場にいないあかねの姿を思い描くように、空のままの腕を交差させて抱きしめるふりをする。
「でも、何処にいようと私の想いが変わることはない。触れられなくとも、思い浮かぶのは神子殿の姿だけだ。例え彼女が受け入れてくれなくとも、初めて抱いた想いを消す方法など私は知らない。」
そう答えた友雅は、あの夜天真と向かい合った時の表情と変わりがなかった。
友雅は、まだあかねを諦めてはいない。それよりも更に、想いは深くなりつつある。

あかねが友雅への想いを諦められないように、友雅もあかねを諦めてはいない。どちらかが手を離してしまっても、辿り着こうとして何度も手を伸ばして追いかけている。
「私の心は、神子殿のためにある。そして今も、彼女の心を求め続けている。おそらくこれからもずっとそうだろうね………」
その言葉のあとに、少しだけ微笑んだ友雅は幸せそうに見えた。
あかねがここにいなくとも、尽きることのない想いが存在することを至福に感じているかのようだった。


ガサッと草を踏む音がして、はっと我に返った天真が振り返った。
そこにいたのは、大きな目を潤ませて小刻みに震えながら立ちつくしている蘭の姿だった。
「蘭……おまえ……今の話を……」
彼女が一体どこから聞いていたのかは分からない。ただ、つい今し方はっきりと友雅が言いきった言葉は耳に入ってきただろう。
ずっとこれからも、そして今も、友雅があかねを愛し続けているということを。

蘭は、何か言おうと口を開いた。しかし、声が震えて何も言えない。
目尻に光るものが溢れはじめて、指先がぶるぶると身震いが止まらないままでそこにいる。
天真が駆け寄ろうと思った。だが、それよりも先に友雅が彼女に近づいて、指先でそっと瞳の涙をすくい上げた。
そうして、彼女を見下ろして言った。
「……悪いね。君を傷付けるつもりはなかったよ。最初に君に出会っていたなら、恋の相手になったかもしれない。でも、君に逢うよりも前に、私は恋に落ちてしまっていた。どうしようもないんだよ。私にも自分が分からなくなって困っているくらいだから。」
はじめて、そう告げた。
はじめて……彼の本心を聞いた。

ああ、この人は、ずっと一つのものを見つめ続けてきたのだ。例え目の前に自分がいても、彼は、彼が選んだたった一人を見つめ続けている。こうして手を触れても、そこに自分が映り込むことは出来ないのだ。
彼女の姿が消えてから、瞳の中に見えた一筋の輝きが消えたのは、そのせいだったのだ。
自分では、その輝きを取り戻すことは出来ない。彼女でなくてはいけない…自分には、そんな力がない。最初からかなわなかった恋だったのだ。

声もなく、蘭は崩れるように泣き出した。友雅は、そんな蘭をそっと優しく包み込むように抱きしめてくれた。
はじめて、抱きしめてくれた。そして、多分これが最初で最後の……彼のぬくもりなのだろう。そう思うと、なかなか涙が止まらなかった。

決して恋ではないけれど、何も言わずに包んでくれる暖かさが嬉しかった。




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Megumi,Kasuga