光り降る音

 第20話(2)
ぼんやりした頭とともに、体調もどことなく優れない。気分が悪いというわけではないのだが、気だるさが抜けきれなくて目が覚めた気がしない。
夕べのこともあって、藤姫は今日一日休んだ方がいいと言ってくれた。
そんなに時間の余裕があるわけではないのだが、休んでもいいのであれば今日は少しゆっくりしたいと思った。
いろいろなことを考えすぎた。
何もかも真っ白になって、全てをリセットしたい気分だった。

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「じゃ、あかねは今日は臨時休業ってわけか。」
「ええ…神子様のお身体の方が心配ですもの。大事を取られた方がよろしいかと思いまして。」
そうなると天真は暇を持て余してしまう。
詩紋は何かと屋敷の中で書やら文やらをかじっているが、天真の方はあまり忙しくはない。頼久とともに武士団の所用にかり出されることもあるが、正式な立場ではないためにひっきりなしに用を与えられることもないため、余程のことがない限りは暇なのだ。

「屋敷には私どもがおりますので、神子様のことはご心配いりませんわ。天真殿はせっかくですから、妹君にお会いに行かれてはいかがです?」
「蘭のとこかぁ…」
頭をかきつつ、天真は面倒くさそうにつぶやいた。

会いに行きたいのはやまやまなのだが、何せここのところ気まずい関係が続いているだけに、顔を会わせ辛いという状況になっている。昨日も昨日で、友雅と蘭が琴をつまびいている間も部屋の外で座りこんでいたため、ふてくされた蘭に帰り際文句を言われたくらいだ。
だからと言って、誰の目も届かない部屋で友雅と二人きりなんかさせられるか。そんなことをしたら蘭の気持ちは深まるばかりだし、まかり間違って友雅に手でも出されたらたまったもんじゃない。

……まあ、今の友雅ならばそんなこともないだろうが。
「じゃ、ちょっと出掛けてくるかな…」
何のかんの言っても、唐菓子一つ手土産に出掛ければ無下に扱われることもないだろう。
天真は藤姫に頼み込んで、甘めの唐菓子を少し余分に包んで貰うことにした。


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梅雨が近づいているらしく、天気はあまり良いとは言えなかった。どんより暗い雲が天を包んでいる。今にも雨が降り出しそうな気配だ。そのせいであまり暑さは感じられない。気温的には過ごしやすいと言えるだろう。
だが、やはり太陽の明かりがあるのとないのとでは違う。やはりすっきりと晴れてくれた方が気持ちいいと思ってしまう。

通い慣れた道は、進み続けると同時に竹林が深くなって静けさを伴ってゆく。
現代で風流という言葉で形容されがちな風景だが、この世界ではこんな情景こそが普通なのだ。

かすかに聞こえてくる琴の音が、天真の耳をくすぐった。
……蘭の奴、熱心に練習してるもんだな。
琴なんて手を触れたこともなかったというのに、その奏でる音はもう曲になってきている。なかなか聞いていると良い感じの音だ…なんて思うのは、兄の贔屓目かもしれないが。
琴の音を辿りながら、天真は寺院の入口近くまでやってきた。
その時、もう一つの音に気が付いた。

聞こえてくる琴の音に重なるようにして、違う楽器の音が聞こえる。
張りのある、優雅で繊細に響く音は……琵琶の音。

………!
天真は走り出した。
入口には丁度住職が庭の掃除から帰ってきたところだった。天真の姿を見つけると、穏やかないつもの笑顔を浮かべた。
「天真殿、よくいらして下さった。遠慮なくお上がり下され」
そんな悠長に挨拶などしている状況じゃない。
「おい……蘭のところに…誰が来てるんだ…?」

聞かなくても分かる。この音ですべてが分かった。この音に相応しい雅やかな男が、きっと蘭の前にいると。


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やや鈍い感じの音が部屋に響いた。木戸がさっと勢い良く開けられたからだ。
「…お兄ちゃん…!」
突然現れた天真の姿に、唖然とした蘭が大きな目を見開いてこちらを見ていた。
そんなことより問題は…ここにいる琵琶の奏者。
緩やかな長い髪、男のくせに優雅な物腰としなやかな指先。ゆっくりと振り向いて、天真を見る深い色の瞳。

「友雅…てめえが何でここにいるんだよ!!」
感情をそのままぶつける天真と違って、友雅は全くその態度を変えようとしない。ただ一つだけ変化を見せたとすれば、手にしていた琵琶を離したくらいのことだ。
「天真こそ、いきなりどうしたんだい?ここに来る約束でもしていたのかな?」
「そんなことは…関係ねえだろ!おまえこそ約束でもしてたってのか!?」
すると、友雅はちらっと蘭の方を見た。彼の視線が投げかけられると、その反応でふっと彼女の頬が紅を差す。

「昨日の帰り際に約束をしたのでね。明日は私の琵琶と合わせて弾いてみないか、とね。」
…約束をしただと?蘭に会いに来ると約束をしたというのか?いつのまにそんなことを…。天真には全く気付かなかったが、黙って小さくうなづく蘭の仕草を見ると、それは嘘ではないらしい。
だが、何故友雅がそんな約束を言い出したのか?蘭に気があるというわけでもなさそうなのに。
「彼女の琴は爽やかで美しい音を奏でるよ。まるで彼女自身を表しているかのようだね。魅力的で、何度も聞きたくなってしまう。」
歯の浮くような台詞を恥ずかしげもなく自然に口にするものだから、蘭の頬はどんどん熱を帯びて赤くなっていく。その様子を天真は忌々しく見ているだけなのが、どうにも納得行かない。
「君の妹君を誉めているんだよ。そんなに怒らなくてもいいだろうに…」
蘭の表情とは逆に、不機嫌な顔をしている天真を友雅は笑いながら眺めていた。いちいちその余裕の面持ちが、天真のカンに障ることを知っているんだろうか。
「そんなこと言ってんじゃねえんだよ!俺は、どうしてここにおまえがいるのかってのを……!」

ついつい勢い余って、天真は彼の腕をぐっと握って押さえつけようとした。
しかし友雅は一つ溜息をついてから、食らいついて離れない天真の拳を片手でにじる上げるように引き離した。一瞬のうちに込められた力に、うろたえた天真はあっけなく拳を崩されてしまった。
「何度も言っているだろう。私は彼女と約束をしたからここに来たんだよ。君がどんな風に考えているか知らないが、約束を破っては彼女に申し訳ないだろう?」
「お兄ちゃん!ホントだってば…!私が昨日、お願いしたんだから!今度一緒に琴を弾いてくれませんか、って…。だから……」
しがみついた蘭の手が、天真の両腕を堰き止めるようにして力を込める。
友雅の方は、この状況に困惑している様子は全くない。平然としている…だからこそ何となく面白くない。

天真が本当に聞きたかったのは、どうして友雅がここにいるかということではなかった。
何故、ここにいるのか。何故、蘭の所にいるのか。
それは、『何故あかねに会いに来ないで、蘭のところに来ているのか』という意味でのことだった。
好きな女がいるのに、彼女には逢いに行かず他の女のところにやって来て……どういうつもりなのかと問いつめたかった。
華やかな噂に囲まれて生きていた友雅のことだから、そんな経験はいくらでもあることだろう。
ただ、あの夜に天真の前に突きつけられた友雅のあかねに対する熱情は、その過去さえも消し去るほどの圧力を持っていた。
あの時、天真は知ったのだ。-------友雅の想いが本気であること。
だからこそ、こんなことをするはずがないと確信出来た。なのに何故、ここにいるのか…………。

「こんなところで油を売ってる暇があったら、土御門に顔を出しゃ良いだろう。おまえだって八葉の一人なんだからな…」
そう天真が言うと、友雅は苦笑して目を伏せた。
「八葉……ね。確かに私は八葉に違いない。というか、八葉でしかないのかもしれないけれどね。」
………?。その友雅の言葉の意味が理解出来なかった。あたりまえすぎて、答えようがなかったと言うのが正しいかも知れない。
自分の立場に熱心な男ではないが、その口調はどこか意気消沈した様子が伺える。そこまでこの男の気を低迷させてしまったのは、一体何だったのか。
「ああそうだ。私は八葉だから、八葉のつとめがあるわけだ。それ以外は何もない……ということだ。」
「友雅?おまえ、どうか……」
いつもとは違う様子の友雅に声を掛けようとしたとたん、彼は突如重い腰を上げて立ち上がった。そして、小綺麗な細工の施された自前の琵琶を手にした。
「今日はこれで失礼するよ。また近いうちに伺うかもしれないが、良いかな?」
もちろんそれは天真に許可を求めているわけではない。この部屋に住む彼女に尋ねているのだ。断ることなどないだろう、というある程度の確信を持ちつつも。
「あ、は、はい!いつでも…いつでも良いです!お待ちしてます…」
顔を赤らめながらも懸命に気を張っている蘭の姿は、素直に愛らしいと友雅の目に映った。
だが、それは愛しさとは全く違うものであって、特別にこの胸に突き刺さるほどの衝撃は与えてくれない。そんな経験をさせてくれるのは…友雅にとっては一人しかいないのだ。

「それじゃ、また次に会えるのを楽しみにしているよ」
極上級の微笑みを残して、友雅は入り口に向かって歩き出した。
「ちょっと…おいっ!」
蘭の手を振りきって、天真は背中を向けた友雅のあとを追いかけた。



「友雅!待てよ!おい!」
何度も何度も、振り向くことのない友雅の背中に向かって声を叩き付けた。たが、彼は足を止めることもなければ天真を気にすることもなく、前に向かって黙ったまま歩き続けている。
結局のところ車寄せまで着いてきて、ようやく天真は追いついた。しかし友雅はすぐさま牛車の中に乗り込もうとしている。とっさに手を伸ばして引き留めると、やっと友雅が振り返った。
「話せるような事は、何もないよ」
天真が尋ねるよりも先に、友雅は自分から会話のはじまりを遮った。そんなことで天真が簡単に引き下がるとは思っていないが、今は必要以上の会話などしたくない気分なのだ。
「友雅!」
身体の向きをひるがえして、彼は牛車に乗り込んでしまった。
ゆっくりと車は進み始める。天真を置き去りにしていることさえ、無関心なままで遠く離れていった。





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Megumi,Kasuga