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光り降る音
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| 第20話(1) |
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土御門家に戻るまでの間、三人は殆ど言葉を交わすことはなかった。
天真が何度かあかねに声をかけたくらいで、それさえも長く続くほどの会話とは言い難いものだった。
出掛けた頃から雰囲気は何故か重苦しい調子だったが、帰り道は足取りさえ鬱陶しい。
あかねはどことなく足早で前を歩き、早く屋敷に戻りたいと気が焦っている。
友雅はそのスピードに付いていく様子もなく、後から付いてきているだけ。天真は…取り敢えずあかねを追いかけるので精一杯だった。
屋敷に戻ると、いつものように藤姫と詩紋が出迎えてくれた。夕餉の用意も既に済んでいるようで、台盤所から暖かな甘い香りが漂ってきて空腹感を促してくれるようだ。
「友雅殿もご一緒に夕餉を召し上がって行かれては?客人用の支度をさせますので」
藤姫がそう声をかけたが、彼は軽く首を横に振った。
「いや。今夜は宿直があるのでね。それに、他にも色々と用事があるもので失礼するよ。」
それだけを言って、友雅はくるりと背を向けた。
あかねの背中と友雅の背中が、向かい合うようにしながら距離を広げていく。友雅は屋敷の外へと出ていく。あかねは、振り向きもしなかった。
「それでは神子様、夕餉の席の方へ……」
藤姫の小さな手が、あかねの背中をそっと押してくれた。それに続いて、ぽんと音を立てて天真が肩を叩いてくれた。
「さてと、飯だ飯!腹減ったな!行こうぜ」
二人の手のぬくもりは頼もしいけれど、あかねの胸の中に充満する闇を払拭してくれるまではいかなかった。
+++++
鮮やかな蒔絵の懸盤には、綺麗に料理が盛り付けられている。
物珍しい食材を少しずつ味わいながら食している詩紋と、豪快に飯をかき込んでいる天真とでは食べ方も性格も正反対だ。
京に来なかったら、一生食べることもなかっただろうという食べ物はかなりある。米の炊き方一つでさえも、あかねがずっと食べてきた米とは違うものだし、調理されているものの中には名前を聞いても分からないものが幾つもある。
食生活一つを取ってみても、あかねの生まれた世界とは全く違う。そういうとき、やはり自分は異空間から来た人間なんだと何度も思った。
ここの暮らしが嫌なわけじゃない。何もかも便利に動いてくれる現代よりも、もっと人間らしい生き方を出来るような気がする。
このままここで生きていっても…いいと思ったりもした。
でも、今は。
「神子様、ご気分でも悪いのでは?先程からお箸の進みが……」
食事の最中だというのに、どうやらぼんやりしていたらしい。藤姫の心配そうな顔があかねを覗く。
「あ、別にそういうわけじゃないよ。ちょっと…ね」
最初に食べた頃から比べれば、味付けが少しだけ変わってきている。多分藤姫があかねの味覚を気遣って、普段よりも濃いめの調理を侍女に頼んでくれたからなんだろう。
一口含んだ料理はほのかに甘くて上品で、とても美味しいはずなのに。一回喉を通ると…胸がいっぱいになって箸が進まない。
「ごめんね藤姫…。何だか、食欲ないみたい。」
藤姫が不安そうな顔をするから、あかねは何度も『具合が悪いわけじゃない』と言い聞かせた。単なる疲れのせいだから、と。
疲れているのは間違いないし。ただ、その本当の理由はとても話せはしないけれど。
あかねは夕餉を途中で止め、先に部屋に戻ることにした。
天真や詩紋たちに囲まれているのは、楽しくて気持ちも少しだけ和らいでくれるのだが、とたんにふと思い出されてしまう今日の出来事が辛いだけに、それらのギャップに気持ちが追いついていけなくなる時がある。
だから、今は一人でいる方がいいのかもしれない。
一人なら、泣きたくなっても我慢しなくても済むだろうから。
■■■
「あかねちゃん、大丈夫かな…。帰ってきたときから、何だか元気なかったもんね。」
結局あかねの残した分までもたいらげてから、一息ついている天真に詩紋がそう言った。
「食欲がないっていうだけじゃない気がする。疲れたって言ってたけど、今日はそんなにあちこち歩き回ったりしてた?」
「…別に、そんなにハードなことはしてねぇと思うけども」
時と場合によっては、北山や大文字山などの山道を上り下りする時だってあるのだから、それから比べたら今日の行動は楽な方だと言い切れる。この程度で疲れていてはやっていけないだろうし、もう一ヶ月以上この日常が続いているのだからあかねの身体も適応してきているだろう。
ただ、天真が気になっているのは泰明の屋敷でのことだ。晴明に連れて行かれてから、あかねの様子がいつもと違っていたことだ。
「実はよ、俺たちが一条戻り橋にさしかかったときに、泰明が待ち伏せしてたみたいに立っててさ。あいつの師匠があかねに用事があるってんで、屋敷に連れて行かれたんだよ」
「泰明さんのお師匠さんが……」
安倍晴明が直々に、あかねに用があると言い出すのは尋常ではない。それはあかね自身についてのことなのか、それともあかねの周囲にある何かに異変が起こっているのか。少なくとも何かの問題があってこそのことなのだろうが。
「で、俺らは外で待ってろって言われてさ。あかねだけ連れて行かれたんだけどさ。帰ってきてから…何となくだけどあいつの雰囲気がおかしいっつーか…」
「おかしいって?」
「…いきなり、蘭のところに連れてってくれって」
詩紋の澄んだ目が一瞬歪んだ。
天真は今日のことを詩紋に全て話すことにした。彼の話を聞いている限りでは、蘭のところに行きたいとあかねが言い出したのはあまりに突然で、最初から行こうと予定していた雰囲気ではないと感じた。
何かきっかけか思い付くことがあって、蘭のところに連れて行って欲しいと言ったと思われる。
そのきっかけとは何だったんだろう。
「俺はさ、泰明の師匠に何か言われたんじゃないかと思ってるわけなんだけどもさ。でも、あかねに聞いても『何でもない』って言うからさぁ…」
確かにその時点で、あかねの心境を変える何かが起こったと推測することは出来る。しかし、何が起こったのかまでは全く分からないのだ。
「泰明さんに…聞いてみようかな。」
「あいつがそういうことを言うと思うか?」
師匠である晴明の言いつけならば、口外することはまずないだろう。何しろ彼は弟子であるのだから、それは当然のことだ。だが、あかねが言い出さないのではいつまでたっても答えへの手がかりはつかめない。
このまま、あんな調子のあかねを見ているのは詩紋たちにとっても苦痛だ。もしも手を貸してやれるのだったら、出来るだけ力になってやりたいと思う。
「僕、ちょっとあかねちゃんの様子見てくる」
詩紋は立ち上がった。戸を開けると、ひんやり涼しい夜風が吹き込んできた。
夏が近づいているというのに、どこか肌触りの冷たい風だ。
+++++
「あかねちゃん……?」
部屋の前まで行って、戸越しに声を掛けてみた。
しかし返事はない。何度か繰り返し名前を呼んでみたのだが、やはり返事が返ってくることはなかった。
そっと戸を開けると、既にあかねは床に入ってうずくまっている。呼んでも気付かないのだから、よほど熟睡してしまっているのだろう。
布団の代わりにかけた袿から肩がズレ落ちていて、詩紋はゆっくりとそれをあかねの身体の上にかけた。振動で少しだけ寝返りをうったが、彼女は起きることなく再び眠りについた。
多分、蘭のところに行きたいと言い出したのは、友雅のことが絡んでいるに違いない。
蘭が友雅のことを好きだから。
でも、それ以上にあかねだって友雅のことが好きであるはずだ。そして友雅は、あかねのことが好きで………。
少なからずお互いの想いは、距離を狭めて近づいていると詩紋はずっと思っていた。
なのに、ここで蘭の前に友雅を連れて行くなんてことは、どういった意味があってのことだったのか。
友雅と一緒に、彼女の前で真実を打ち明けるつもりだったんだろうか。いや、あかねがそんなことを出来るわけがない。これまで何度も自分の想いを遮って押し切って、蘭の想いを大切にしてきたのだから。
そう、何度も何度も知らぬふりをしていた。気付かないふりをしていた。友雅に惹かれていることを、認めようとしなかった。
まさか。
あかねが蘭のところに行きたいと言った理由は……まさか。
そうしたら、友雅の気持ちはどうなる?彼が想っているのは蘭ではなく、あかねなのだ。それを彼が隠すだろうか。嘘をついて、蘭の想いを受け止めるなんて…するだろうか。
今までの友雅ならいざ知らず、あかねに想いを抱いた友雅を詩紋はずっと見てきた。
その想いは彼からは想像も出来ないほど熱くて、あまりにも素直で正直で、たったひとつの彼女の他には何も欲しくはないほどの、唯一の想いに捕らわれる男の姿だった。
彼が、蘭に肩入れすることは絶対にないだろう。それがあかねの願いであっても、彼が聞き入れることはきっとない。それはあかねだって、どことなく気付いているに違いないのに。
寝返りうったあかねの目尻に、かすかに残る涙のあとを詩紋は見つけた。
触れようと指先を伸ばしてみたが、安らかな寝息を邪魔する気にはなれずに、その涙のあとをぼんやりと眺めていたら少しだけ胸が痛んだ。
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