光り降る音

 第14話(2)
「浅い岩場だから危なくはないけれど、足下には気を付けて。」
そう言いながら連れてこられた場所は、山から流れてくる川の浅瀬だった。広くはないが、ゆったりと流れは穏やかで、それでいて冷たい水と風が心地よい。
「この川が…何かあるんですか?」
そう尋ねると、友雅はそっとあかねの唇を人差し指で止めて、もう片方の指で向こう岸の方向を指さした。
何だろう?とあかねが目を凝らして視線を流すと、耳元で友雅の声がした。
「よく見てごらん。何かが浮き上がって見えてくるよ」
友雅の言われるとおり、じっとその闇の中を凝視してみる。
すると、しばらくして小さな光の粒のようなものが、いくつか浮かんで飛び回っていることに気付いた。


もしかして。
と、思うよりも先に、友雅があかねの前に拳を差し出した。
閉じられた大きな手のひらが、あかねの顔の前に近付いて、そっと指先が貝のように開く。
「わっ…」
あかねが声を上げると同時に、一つの灯りが目の前に揺らぎながら飛び出した。
「まだ少し時期が早いようだね。もう少し経てば、この辺りは星が集まったように蛍が多くなって綺麗なのだけれど。」
「そんなに?それじゃ、その頃になったらこの辺りも人が多くなって、賑やかになるんでしょうね。」
ふわふわと漂う蛍を目で追いかけながら、あかねはそんな風景を思い描いた。
夏になればあかねの世界では花火大会で毎夜賑わうが、まだ花火もないこの世界では、夏の夜に楽しむ灯りは空を彩る鮮やかなものではなく、ささやかにほのかに漂う無数の蛍の灯りなのだろう。それもまた風情があって良い。

「いや…嵯峨野あたりなら人も多いかもしれないが、ここはおそらく誰一人としてやっては来ないと思うよ。」
「え?どうしてですか?そんなに蛍が多いんだったら、涼みも兼ねてやって来る人もいるんじゃ……」
山の奥だからだろうか。
確かに牛車でも時間はそれなりにかかるし、歩きでは尚更どれくらいかかるか分からない。
「ここから川の向こう岸一帯はね、一応橘家の土地だから。せいぜいうちの一族関係しかやってこないだろう。まあ、こんな山奥くんだりまでわざわざ来る者もいないだろうけれど。他は皆、宇治川近くの山荘ばかりに入り浸っているんじゃないのかな。」
友雅はそう説明した。
ここは友雅の一族の持つ土地。彼は以前、自分の一族など落ちぶれたものだと笑ったけれど、あかねのような現代の一般庶民から見れば、それは謙遜じゃなかったのかと思いたくなる。

「だから、ここの蛍の美しさを知っているのは、私くらいのものだよ」
あかねの肩を、そっと大きな手が触れた。
「私と………神子殿だけだよ」
甘い囁きのような声が、川を流れる水音に消されることなくあかねの耳に入る。
背後を包むように、耳にかかるほどの距離で唇を寄せて、友雅の声があかねだけに聞こえた。


心音がおかしくなる。身体の中を熱いものが蠢く。
後ろに友雅がいることを確認するたび、息が出来なくなりそうで、唇が乾いて…………。
ふいに開かれた友雅の両手が、あかねの胸の前でクロスした。

「友…雅さ…っ」
強く抱きしめられているわけではないのに、胸が苦しい。
呼吸が出来ないほどに締められているような気がしている。勿論、それは身体の衝撃ではなくて、心への衝撃。
それなのに、触れた手の先から伝わる熱いぬくもりは、あかねを捕らえて離さない。そして、離して欲しくないと酔いしれる自分を、今のあかねには自覚出来ている。


「誰にも秘密の場所だよ。誰も連れては来ない。絶対に…ね。」
「ど、どうして……ですか…っ」
懸命に息を吸い込もうとしたとたん、ぐっと締め付ける友雅の腕に、さらに力が込められた。
「………君以外に、この景色を見せたくないからだよ…」

流れゆく水流に浸した足が冷えていくのに、抱きしめられている身体はとても熱くて。
温度の違う自分の身体が、まるで自分ではないような錯覚さえ感じられてくる。
「その理由、分かるかい?」
友雅が尋ねる。答えようにも、心が頭に追いつかない。
「君しかここに連れて来たくない理由が、分かる?」
どくん、という音は、心音が跳ねた音。


「特別な人にしか、ここには連れてきたくはないから…だよ」

眩暈がしてきそうだ。暗闇のおぼつかない空間の存在と、友雅が触れた手のひらの熱さにのぼせてしまいそうな………。
力の入らないあかねの肩を、友雅がそっと翻す。
さらりとした頬に指先を伸ばすと、ほのかに暖かい熱が感じられた。
そこに彼女がいるという現実。愛おしい存在が、そこにあるという現実。


「----------私にとって、君ほど特別な存在はいない」
龍神の神子と八葉という関係ではなく、もっと艶やかな甘く熱い感情で。
あかねの視界に、暗闇がゆっくりと押し寄せてきた。目の前が真っ暗になる。
しかし不安や怯えることはない。
近付く友雅の顔がおぼろげにゆらめいた距離に近付いて、ふいに目を閉じると……ほぼ同時に友雅の唇が重なった。


桜のように可憐な唇にぬくもりを求め、抱きしめる力を更に強める。
その腕の中から、あかねは逃げる様子はなかった。
愛しい少女が、この手の中にいる。そう思えば思うほどに胸は熱くなり、唇を求める欲望は更に激しさを増していった。
初めて愛した少女は、ここにいる。


そしてあかねは、初めて愛したその人の腕に身を任せた。
ただ、心がそうしたいと叫んでいたから。


もう、立ち止まることが出来なかった。
ただ…恋した人の心で、永遠に抱きしめていて欲しいと……それしか考えられなかった。



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Megumi,Kasuga