光り降る音

 第14話(1)
ふと、友雅は内裏でどこぞの公達が話していたことを思い出した。
「そろそろ蛍が美しい頃だから、是非神子殿にも見せて差し上げたいと思ってね。」

顔も知らない彼らは、確かそんな話をしていたように思う。
暦を見れば、確かに蛍が輝き出す季節になってきている。せせらぎのほとりに、小さな灯りが幽玄の如く舞い踊る姿を彼女にも見せてやりたい。
普段は日中しか逢うことがないのだから、こうして夜に連れ出すには最高の口実ではないか。

「というわけで…藤姫殿、今夜神子殿を借りても良いかな?」
「えっ?お、お待ち下さいっ! 友雅殿……っ!?お、お二人だけで参られるのですか!?」
慌てて藤姫が友雅に詰め寄る。
「心配するほどの遠い場所ではないよ。貴船ならそんなに遠くはないだろう?」
「貴船?!」
何てことはない、といった平然とした友雅に対して、言われた方の藤姫は更に驚きを隠せない。

貴船と言えば鞍馬山と貴船山に挟まれた山深い地。この土御門家からの距離も決して近いとは言えない。
既に陽は陰り始めている今から貴船に行くとしたら、結構時間もかかるだろうし夜の闇も濃くなる。決して安全といえるような場所ではない。
「…貴船より近くの場所はございませんの?今からでは少々道すがらも危険なのでは……」
藤姫が心配するのも無理はないと思う。もっと近くで蛍を見ることの出来る場所は、いくつか友雅も知ってはいるのだが、どうしても貴船でなくてはならない、彼なりの理由もそこにあっての上で決めたことなのだ。

「あそこには橘家の古い山荘があるから、いざというときに逃げ込むことも出来るよ。それにね、八葉の力は神子殿を護るためにあるのだから、この力を藤姫殿にも信じて頂きたいものだね」

八葉として、龍神の神子を護る。男として、女を護る。命を盾にして。

「あかねちゃん、行っておいでよ。蛍、きっと綺麗だよ?」
友雅と藤姫が会話を交わしている前で、立ちつくしていたあかねに声をかけたのは詩紋だった。
小さな手であかねの肩を叩き、にっこりと天使の笑顔でこちらを見る。
「僕達の世界よりも京は自然が残っているから、すごくたくさんの蛍が見られるよ。せっかく友雅さんが誘ってくれたんだから、楽しんできたら?」
そう言って微笑む詩紋の表情は、あかねの想いを知っているからこそ。友雅に惹かれるあかねの恋心を、知っているからこそ、そう背中を押してくれている。

「でも……詩紋くん…」
あかねが戸惑いを見せた瞬間、こちらに声を掛けてきたのは藤姫だった。
「致し方有りませんわね。友雅殿を信じて、神子様をお連れして頂くことに致しますわ。くれぐれも無茶などなさらないようにお気を付けてくださいませね」
いつのまにか話は決着が付いていたようで。
いささか諦めの様子を浮かべた藤姫の言葉に続いて、差し伸べられたのは友雅の大きな手のひらだった。
「それでは、参ろうか、神子殿?」
あかねの手を待つその手を目の前に、胸が熱くなる。
そんな彼女の背中を、静かにぽんと友雅の方へと押し出したのは詩紋だった。

重なる手のひら。小さな手を、しっかりと友雅の手が包み込むように握りしめる。
鼓動と脈拍は熱く熱く身体中を踊るように流れ出し、胸の深く沈む熱い想いを上昇させてゆく。


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進むにつれて薄暗くなっていく山道を、友雅とあかねを乗せた牛車はゆっくりと奥へと進む。
決して平坦とは言えない道沿いは、ガタガタと音を立てながら川の源流を求めて闇に向かっていく。
「帰ってきたところを無理矢理連れ出してしまって、申し訳なかったね。さぞかし疲れていただろうに。」
「あ、別にそんなことないです。山道とか今日は歩かなかったんで、いつもよりは…楽だったんです。」
一条戻り橋と朱雀門、そして羅城門跡。比較的移動距離も短かったし、体力的には疲れるほどではない。
むしろ……これからのことを考えるほうが疲れる。

友雅のこと、自分のこと、そして蘭のこと……色々な考えで混雑した頭の中を整理しようとするだけで、気が遠くなるほど疲労が涌いてきてしまう。
そんな気苦労が浮かぶのも分かっているのに、こうして彼に着いてきてしまった。
断れば良かったのに。それも出来ない自分がそこにいて。

「貴船は山奥だから暗いけれど、灯りが少ない方が蛍の輝きの美しさを堪能出来るものだからね。川からの涼しい風も流れてきて、これからの季節には良い場所だよ。」
友雅はそう話しながら、あかねから視線を離すことはなかった。
あかねはといえば、その視線に焼かれているかのように身体が熱くて、友雅と目を合わせることが出来ないでいる。
見つめられていることをあかね自身が理解しているからこそ、秘めている胸の奥の想いがまた沸騰し始めてきているのだ。


「せせらぎが聞こえてきたね。もうすぐ着くよ。」
山から流れゆく川の涼風は、この火照った心を冷ましてくれるだろうか。


■■■


しばらく進んでから、友雅はあかねを連れて車を降りた。
目的地まではもう300メートルもないのだが、鬱蒼と木の繁った道は狭まっていて牛車のままでは進むことが出来なかった。

比較的ここまで来ると道はなだらかになってきて、あかねの華奢な足でも苦痛ではなかった。そんな彼女の手を引きながら、やっとのことで視界の開けた場所へとたどり着いた。
「あれが、橘家の山荘だよ。今は殆ど行き来する者もいないし、寂れたあばら屋みたいなものだけれどもね」

友雅の指さす方向には、深い竹林を背負った小さな屋敷が建っていた。
人の気配がないせいで、あちこちの柱に見えるはずの気の艶やかさは剥がれていて、見た感じ何とも寂れて見える。

ふと、あかねがぼんやりと屋敷に目を遣っている前を、友雅が横切って行った。彼は屋敷には向かおうとせず、その左手にある草藪の中へ下りていく。
「友雅さんっ?」
名前を呼ぶあかねに振り向きもせず、友雅はどんどん下へ向かっていく。あかねは慌ててその後を追いかけた。
こんな暗い山の中で置いてきぼりをくらったら、それこそ身の危険にさらされることになる。彼の照らす灯籠の明かりに近付くために、あかねは足を速めた。

次第に水の音が近付いてきた。さらさらした川の風が、頬を撫でるように通り抜けていく。
藪をかきわけて、やっとのことであかねが追いついたのを確認すると、友雅は手にしていた灯籠の明かりを、ふっと息を吹きかけて消した。
一瞬のうちに、暗闇が辺りを包み込む。


「友雅さんっ!」
あかねが叫ぶと、その手をしっかりと友雅が握りしめた。
「目が慣れれば、そんなに暗くはないよ。靴を脱いで、そのまま私が手を引く方向にゆっくり進んでおいで。」
少しずつ闇が目に柔らかく感じられてくると、友雅は思った以上に近くにいた。あんな風に叫んで呼んだことが恥ずかしくなるくらい。

靴を放り投げるように片足でふるい落として、あかねは素足のままで友雅にたぐり寄せられるように歩き出した。
そっと、そっと、ゆっくりと進んでいくうちに、ひやりとした水が足を包んだ。


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Megumi,Kasuga