 |
 |
光り降る音
|
|
 |
| 第10話 |
 |
 |
 |
「でも、無理だよ……」
もう一度笑ってみせたあかねの笑顔には、詩紋の優しさが流れ込んで来るのを閉ざすように翳りを落としていた。
「私には無理…。友雅さんと向き合う自信なんて………」
自信なんて、ない。 そう言おうとしたけれど、声が詰まってそれ以上が言えなくなってしまった。
無理をすれば声は出せただろうけれど、言葉になったかどうかは分からない。胸の奥深くからこみあげてきたものが、息を止めるように心の入口を圧迫しているかのようだ。
じわりと目尻が熱くなってきて、ゆっくりと瞳の表面が緩くぼやけはじめて………もう何も言うことが出来そうにない。
友雅を意識するようになってから、あかねは彼の過去が気になり始めた。 これまでどんな女性と恋を楽しんできたのだろう。彼の目に止まる女性は、どんな美しさを兼ね備えた人なのだろうか。
彼は、どんな女性をその腕に引き寄せるのだろう。そんなことが気に掛かり始めた。
ひょんなことから、幾度かそんな女性の姿を耳にしたり目にしたりしたことがある。
その誰もが一様に美しい漆黒の長い髪と艶やかな単衣に身を包み、慎ましやかながらも女性という芳香を漂わせる艶を持っていた。
明らかにそれは自分とは違うタイプの女性ばかりで、才色兼備という言葉が当てはまる女性が殆どだった。
同性のあかねでも憧れてしまうような、絵巻物語に綴られるような女性達。
そんな彼女たちと逢瀬を重ねた友雅の瞳が、相容れない異世界の価値観を持った、彼女たちの足下にさえ及ばない子供じみた自分を、恋の対象になどするはずがない……。
せめて自分が、もう少しだけしおらしくしていられたら。せめて単衣が似合うような娘だったら。
せめて友雅と同じ趣味を楽しめるような才があったなら、努力のし甲斐もあるだろう。
だが、どうあがいても自分は違う。龍神の神子である自分にはそんな時間もないし、あったとしても…果たして努力が身になるかも分からない。
………自分がなんでもない、ただ京に生まれた娘であったなら良かった。
龍神の神子でなければ良かった。
あかねが龍神の神子である限り、友雅との関係は『八葉』から先には進めないような気がする。 それでも、自分が選ばれし神子でなければ、永遠に彼と会うことはなかった。
そして、こんな恋を知ることもなかった。
どちらが良いのか…あかねには分からない。
ガサガサ、と草を踏み込む音がした。
「失礼。邪魔をしてしまったかな?」
あかねは、その声にすぐ反応して顔を上げた。詩紋は彼女の両肩を支えたまま、その声のする背後を振り返った。
「いえ、何でもないです。友雅さんは、どうしたんですか?蘭さんは…?」
「ああ、彼女の言づてで神子殿を探しに来たのだよ。二人で話がしたいそうで、部屋に来て欲しいとのことだよ。」
友雅はまだ色の薄い紫陽花の垣根をかき分けるようにして、やや湿った地に潜む飛び石の上をゆっくりと歩きながら二人のところに近付いた。
「二人で…ってことは、僕は行かない方が良いんでしょうか」
詩紋が尋ねると、友雅は自分の肩を軽く手でもみほぐすようにしながら答えた。
「そうだね。女性同士で話したいこともあるだろう。私達はしばらく時間を潰しているしかないようだね」
こちらに視線を向けた友雅と目が合った。一瞬あかねはどきっとして、軽く目をこすって背筋を伸ばす。
「じゃ、私…蘭のところに行きますね。あとで、また呼びに来ます。」
あかねは友雅たちと会話をする間を与える隙もなく、即座にその場をすり抜けるようにして足早に母屋に向かって歩いていった。
■■■
華奢な背中が一度もこちらを振り向かないことを確認すると、友雅は小さなためいきをついた。
「やれやれ。神子殿と同じ年頃とは言え、あまり馴染みのない姫君のお相手は少々気を遣ってしまうね。」
苦笑しながらそう言った友雅を、詩紋は少しびっくりしたように見上げた。
「え…友雅さん、蘭さんのこと苦手なんですか?」
「いや、そういうわけではないけれどもね。何せ育ちの違う人だから、いろいろとやはり考えることも言葉の意味も若干違うこともあるようでね。しかもあまり付き合いが深くないものだから、そうそう適当な扱いをすることも出来ないしね。」
それならば、あかねも同様のことだろうと思うのだが。
同じ世界で同じように生まれ育って、同じ年代の娘なのだから、さほど蘭と変わることなどないと思う。
「神子殿は特別だよ。彼女は彼女で私たちの方を理解しようとしているから、こちらも自然に神子殿を理解できるようになってきている。私だけではなくて、鷹通や泰明殿も同じように思っているはずだよ。それに、もう随分と長く神子殿と付き合っているような気がするしね。」
確かに蘭に比べれば、常にいつも一緒にいる神子と八葉の関係が、あかねを深く知るための条件を満たしているといえる。
決して京にやってきてから長い時間が過ぎているわけではないが、蘭と比べれば親密度は大差があるだろう。
「それに、神子殿と一緒にいる方が、私としては楽しいしね。」
静かに微笑んだ友雅の発言を、詩紋は敏感に反応した。
「…それって、どういう意味なんですか?あかねちゃんと一緒の方が、気楽っていうことですか?」
「まあ、それもあるけれどね。知らない相手より知っている相手の方が、やはり気分も楽だろうしね。それと同時に、神子殿がどんなことで喜んだりするか、とか。こんなことをしたら驚くだろうか、とかね。そんなことも知っているから一緒にいると楽しいよ。」
恋愛という感情とは、やはり違うものなんだろうか。
友雅の言うのは、小さな子供をからかうとか可愛がるとか、どんな類のものしかないのだろうか…。 それが少しでも恋に近い感情から来るものであるなら、あかねはどれほど嬉しく思うか知れないというのに。
親密度合いが高くても、これではまだまだ前途は多難と言える。
「ところで詩紋、神子殿はどうされたのかな」
「え?」
あれこれと詩紋が考えていると、突然友雅がそんなことを聞いてきた。
「少し目が赤かったようだからね。朝から元気もなかったし、いつもの様子とは違うだろう?」
詩紋は友雅の顔をまじまじと見た。
もしかして彼は、一瞬こぼれそうになって潤んでいた彼女の瞳に気付いたのだろうか?
ほんの少ししか顔を合わせなかったというのに、それを彼は見逃さなかったのか。
「………友雅さん、気付いてたんですか?」
「そりゃあねぇ、いつも見ているから変化くらいはすぐに分かるよ。」
いつも見ているから。そう友雅は答えた。
「神子殿の元気がないのは…見ているこちらとしても少し心配だからね。まさか、詩紋が神子殿の機嫌を損ねるようなことをしでかしたんではないだろうね?」
「そ、そ、そんなことしてませんっ!!!」
むしろこっちはあかねのことで、色々思い詰めている状態でもあるのだ。それを更に混乱させるようなことなど、するわけもないしする気もない。
「冗談だよ。もしも詩紋が原因だとしたら、いつまででも問いつめようかと思ったけれど。」
本気なのか冗談なのか分からない笑みを浮かべながら、友雅はそう言った。
「作り笑いは魅力的ではないね。今日の神子殿は、ずっとそんな調子だ……」
彼は遠い目をしながら、ここにいない彼女の表情を思い浮かべた。
友雅は………詩紋が思っている以上にあかねのことを見ている。
もしかすると、すぐ近くにいる自分や天真以上に、彼はわずかな瞬間のあかねの変化までも、取りこぼすことなくその瞳は彼女を見つめているのかもしれない。
それは何故だろう?
彼の瞳は何故、そこまで細やかにあかねの姿を追い続けているのだろう?
|
 |
|
 |