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光り降る音
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| 第9話 |
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あかねが向かった裏庭には、ささやかに紫陽花の花が咲いていた。特別目立つような存在ではないが、確かに色合いは美しい青紫をしている。
しかし、彼女はそんなものを見に来たわけではないのだろう。
「詩紋くんまで一緒に来なくても良かったのに…。」
背を向けたまま、あかねは詩紋に言った。
「僕だけ残るのも…なんか気まずくて」
詩紋は答えた。
おそらく、あかねはあの場所にいたくなかったに違いない。
目の前で繰り広げられる幸せな情景に、自分が入り込めないで居ることが辛かったんだろう。
自分だって恋をしている。あんな風にその情景の一員になりたいと思った。
だがそこに主人公は一人しかいらない。自分はあくまでも、客観的な存在でしかない……そんな現実が耐えられなかったのではないだろうか。
幸い蘭の方としては、そんなあかねの行動を『気を利かせてくれた』と思い込んだと思われる。最後にこちらに送ったウインクがそれを意味している。
「紫陽花、綺麗だよね。このお屋敷って紫陽花が有名なのかな。土御門家は藤で、友雅さんのお屋敷は……………」
ぼんやりと花を眺めていたあかねが、語りの途中で声を止めた。
あの日は鷹通と一緒だったが、一度だけ招いてくれた友雅の屋敷の周りには、白い橘の花が咲き乱れていた。
あれから時間が流れているのに、その映像はくっきりと色褪せることはなかった。
華やかとは言えない清楚な色の花が、その中に佇む彼の輪郭を引き立たせる役目を補い、ひとつの景色を作る。
彼が心を落ち着かせるに相応しい空間。静かに流れていた夕暮れの風の感触が、まだ名残惜しそうにあかねの頬に記憶を忍ばせていた。
ふと現実に戻ったあかねは、目の前の紫陽花に手を伸ばした。
冷たい雫がこぼれ落ちる。夜露の名残なのか、それとも気付かないほどの小雨が降ったのか。濡れた指先はひんやりとして冷たい。
「ねえ、あかねちゃんは、どうして我慢ばっかりしてるの?」
詩紋の声が、あかねの肩にそっと触れるように聞こえた。
「どうしてずっと我慢してるの?蘭さんの気持ちを聞いているだけで…何で何も言わないの?」
「別に…何も言うこともないし」
あかねは振り向かずに、詩紋に背中を見せたまま答えた。
一瞬だったが、肩がぎこちなく震えたことを詩紋が気付かないわけがない。
「友達だから…?友達の恋だから、自分の気持ちを我慢して応援するの?それであかねちゃんは良いの?」
最初はどう切り出そうかと思っていた詩紋だったが、もう言葉は止められなかった。
これ以上、黙ってあかねの姿を見ていることが出来なかった。
蘭の楽しそうな姿とは正反対の彼女の表情を、隣で見ていることは詩紋にとっても苦痛でしかない。
何故、あかねが我慢する必要があるのか。あかねだけが、どうして気持ちを抑えつけなくてはいけないのか。
友雅がどちらを選ぼうとも、まだ完全に恋愛という関係が完成されていない現時点では、あかねも蘭も同じ対等な立場であるはずなのに、その想いを押し殺しているあかねの姿が歯がゆくて仕方がない。
「あかねちゃんだって、好きになる権利はあるんだよ。想いを告げる権利は、蘭さんだけのものじゃないよ。あかねちゃんにだって………」
「詩紋くん」
心の裏側で引き止めていた想いを伝えようと、堰を切って話し始めたばかりだったのに、自分の名前を呼んだあかねの声に、詩紋は言葉の続きを息とともに飲み込んだ。 背を向けたままでいた彼女が、ゆっくりとこちらを向いた。
そして自分の手のひらで、そっと胸を押さえた。
「詩紋くん、私は…龍神の神子なの」
何かを諦めたような口調で、あかねは少し目を伏せたまま詩紋にそう答える。 「龍神の神子と八葉は…京を護るために存在するの。恋をするために…いるわけじゃないでしょう…?」
何度か声を詰まらせながら、話すあかねに詩紋は胸が痛んだ。
あかねは、自分の恋を終わらせようとしていた。 龍神の神子に科せられている存在理由と、八葉との関係が本当のあかねの気持ちなのかは分からない。
だが、心に生まれた友雅に対する想いを、このまま閉じこめてしまおうという考えは間違いなかった。
「私は龍神の神子だから……恋なんてしている余裕ないもの。」 『龍神の神子』という立場は、割り切るためには好都合の条件だった。
振り返って考えれば、嫌というほどよく分かる。重荷過ぎるほどの重圧に。 気楽に構えていられる余裕は、あかねには全くと言って良いほどない。
自分にどれほどの力があるのかさえ、自信も持てない。
なら……無心にならなくてはいけない。無心に、ただ目の前のことをやり遂げなくては。
それは、恋をすることでは絶対にない。
十分理解出来ているはず。
でも。
「あかねちゃんがそんな風に辛そうにしてたら、僕だけじゃなくて…みんな心配するよ」
ぽん、とあかねの肩を叩いた小さな手は、まだ幼さが残っていて暖かくて柔らかい。
視線を上げると、レモン色の綿毛の奥から綺麗な宝石色の瞳が覗いている。
「あかねちゃんは気付いてなかったかもしれないけど、友雅さんと一緒にいるときのあかねちゃんて…すごく楽しそうで幸せそうな顔してたんだよ」 詩紋がそう言うと、あかねはびっくりしたように彼を見た。
そして恥ずかしそうに、ほんのりと頬が染まった。
「いつもそんな顔してたから、すぐに分かっちゃった。あかねちゃん、友雅さんのことが好きなんだなあ…って」 朗らかに笑う詩紋とは正反対に、あかねの方は更に顔が赤くなってしまった。
自分で気付いてはいなかったが、そこまで感情がそのまま顔に出てしまっていたなんて…。もしや友雅にまで感づかれていたらどうしよう…?
「恥ずかしい…☆気にしたことなかったー!」
両手で頬を押さえて、真っ赤になった顔を両手で隠そうとする。一瞬だが、さっきの寂しそうな表情が消えたのが詩紋は嬉しかった。
「でも、僕はあかねちゃんにはずっと、あんな風に楽しそうにしていて欲しいんだ。友雅さんの隣で、嬉しそうに笑ってるあかねちゃんを見てるのが僕は好きだから。」
その手を伸ばせば、届くところに大輪の花は咲いている。
すぐそばに。あかねのすぐ近くに。
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