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光り降る音
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| 第8話 |
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その感情は、決して恋とは違っていた。
からかうだけのクラスメートたちから姿を隠すため、図書館の隅で隠れるように小さくなっていた自分を、見つけだして声を掛けてくれたのは彼女だった。
理由さえも分からず、彼ら達から屈辱的なあしらいをされるだけの自分に、出会ったばかりの彼女は微笑んでくれた。
その自然な笑顔が、どれほど自分にとって嬉しかったか。
彼女の笑顔を受け止めたとき、必要以上に自分を卑下していたことに気付かされた。そしてそんな自分の肩を叩いてくれたのは、彼女の存在だったのだ。
『きみはきみのままでいればいい』 そう言ってくれたから、立ち上がることができた。
こうして前を向くことが出来た。
彼女がいなかったら……自分はこうして歩き出せなかったかも知れない。
今の自分がいるのは、彼女がそばにいてくれたから。
誰よりも大切な人。自分を支えてくれた大切な人。
だから、守ってあげたいと思った。
彼女が崩れそうになったら、今度は自分が手を貸して挙げられたら良いと、ずっと思っていた。
なのに。
あなたはずっと笑顔を曇らせたままでそこにいる。
■■■
「随分と良い佇まいの屋敷だね」
初めてこの屋敷へ訪れた友雅は、辺りを見渡したあと満足そうにそう言った。
しんとした静けさのたちこめる緑の中から、かすかに池の水音が聞こえてくる。喧噪とは全く縁のない空間がそこにあった。
「これなら随分と気も安まることだろうね」
「あ、そうですね…」
友雅の言葉にも、どこか気が抜けたような返事。というよりも、心がここにあらずという感じが正しいだろうか。
屋敷に入ったときから、あかねは前を向こうとしない。ひたすらに足下だけを辿るようにうつむいて、目の前に現れる何かを恐れているかのようだった。
これまでに何度、この渡殿を歩いたことだろう。
この京という異世界の中で数少ない、現代で生まれ育った少女。天真や詩紋では相容れることの出来ない、同性であるからこその親近感。
誰よりも親しくなれる。そう信じて他愛もない時間を楽しく過ごすことが当たり前だった。
だけど今は…そんな面影など全くない。
いつものように手土産の唐菓子もあるのに、楽しい気持ちなんて浮かんできやしない。
逆に、今すぐにでも引き返して、屋敷を出ていきたいとさえ思う……。
お互いの間に、彼の存在がなかったら…こんな気持ちになることなどなかったはずなのに。
そんな中、ふと聞こえてきたのは琴の音。
それは風に乗るかのように、軽やかで澄んだ響きを持っていた。
「琴の音でもてなしとは、なかなか気が利いているね」
耳を傾けながらつぶやく友雅の言葉が、あかねの胸に重く積み重なっていった。
蘭のことだから、友雅が楽に長けていることは百も承知。例え手習い程度の技量であっても、琴の音には興味をそそられるだろうとの想いがあったに違いない。
そう。彼女は…蘭は、友雅に恋しているのだから。こんなことは当然の下準備。
誰だって好きな人の気を惹きたい。あかねだってその気持ちは痛いほどよく分かっている。
「素敵なもてなしをして頂いて嬉しいね」
彼がその場に姿を現したとたん、琴の音がぴたりと止んだ。
黒い瞳に映るのは、会いたかったその人の姿。ゆるやかに波を描く長い髪が、肩から背中へと延びている。
淡い染め色の扇と、絹織りの装束には華やかな刺繍。雅な香がほのかに薫る。
されど、そんな小細工など彼自身の華やかさにはかなわない。
その瞳が自分を見つめていることを知らされる瞬間、身動きさえ出来なくなる。
「会うのは久し振りだけれど、随分と元気になられたようだね」 友雅の声が自分に囁かれていると気付いて、やっと蘭は我に返った。
気付くと彼の背後には、あかねと詩紋の姿も見えた。
「あ、おかげさまで随分とこちらにも慣れることが出来ています…」
「そう。それなら良かった。」
そう言って微笑む友雅の表情は、後ろにいるあかねたちには分からないだろう。
向き合っている自分だけが、見ることの出来る微笑。そう、自分だけが………。 認識するたびにどきどきする。
この人の微笑みを独り占めしている現実に。
あかねは黙って、蘭の様子を見ていた。
彼女の目には、自分や詩紋の姿は映っていないのだろう。黒くて大きな瞳には、彼女の心の鏡と同様に、今は友雅一人だけしか映っていない。
うっすらと染め上がる桜色の頬が、蘭の感情をあらわにしていた。
好きな人に見つめられたら、誰だって胸が熱くなる。
友雅に見つめられているとき、どんなに鼓動が激しく鳴り響き出すか知っている。
何度も何度も経験してきた。そしてそのたびに気付かされるのは、自分が彼に惹かれているという現実だけだった。
それはきっと蘭も同じに違いない。だから余計に胸が痛い。
互いの気持ちが分かりすぎるのも、こういう時は問題だ。全く知らずに気付かずにいられたら、どれほど気楽か知れない。
「いらっしゃい!二人ともどうぞこちらにいらして!」
蘭の上機嫌な声が、あかねと詩紋を呼んだ。満面の微笑みが、友雅の肩越しから覗いている。
「こ、こんにちは。これ、お土産持ってきたんだけど。」
そう言って前に歩き出したあかねの隣で、詩紋はただ、軽く頭を下げた。
■■■
静かな屋敷の中に、賑やかな笑い声が響き渡った。若い娘の声は、明るく差し込む木漏れ日のように空気に彩りを添える。
何気ない会話の中でも微笑みが絶えないのは、そこにいる彼の存在が大きい。少しだけ近づいて言葉の交わしを楽しむ蘭の姿は、今まで見たことがないほど幸せそうに見えた。
「ゆっくりと時間を過ごす中で楽をたしなむのは、なかなか良い選択だと思うよ。君のように細くて長い指先は、さぞかし優雅に音を奏でてくれるだろうからね。」
友雅はそう言って蘭の指先を弾くように触れた。
「はい、頑張ってみます…。まだお聴かせできるほどではありませんけれど…」
「そうでもないよ。さっき少しだけ聞いたけれど、始めたばかりとしては良い音が出ていた。これから期待出来そうだ。」
そう友雅に言われて、蘭はホッと胸をなで下ろした。
この屋敷の主である僧侶は、琴の名手として京でも名高かった。そんな彼から直々に習い、自分でもかなり頑張ってここまで上達したと思っていたところだった。 それもすべて友雅のため。彼に誉めてもらいたいがためのこと。
恋のためなら、少女はどんな努力さえも苦労にはならない。それが結果につながるのであれば尚更のことだった。
「次にお会い出来る時には、一曲お聴かせできるように頑張ります」
「それは楽しみだね……早く聞かせて貰いたいものだね」
彼がそう言ってくれることが、何よりの励み。そしてやる気の源。彼に会いたい。そのために…もっともっと琴を練習しよう。出来るだけ早く、またこうして逢うことが出来るように。
蘭は声に出さずに、そう決意を固めた。
「あ、あの………」
いきなりあかねが、膝をついて前に乗り出した。友雅と蘭が、揃ってこちらを向く。
「あのね、さっき裏庭に綺麗な花が咲いてたんだけど……。ちょっと見に行ってきても良い?」
あかねはそんな事を言いだしたが、隣にいた詩紋は少し首を傾げた。
ここまで来るときに見た庭先に、そんな目立つような花があっただろうか。詩紋は全く気付かなかったが…。
蘭はあかねの言葉に、すぐ反応した。
「ええ、良いわよ、どうぞ。」
もしかしてあかねは…。あかねの言い出した言葉の意味は…………。
詩紋は気付いた。
「じゃ、僕も一緒に。あかねちゃんだけじゃ、何かあると困るから…」
徐に詩紋はそう言って立ち上がった。
「ごゆっくり楽しんできてね。」
そう一言口にした蘭が、あかねに向かって軽くウインクをしたことを詩紋は見逃さなかった。
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