光り降る音

 第3話
初めてその変化に気付いたのは、もういつだったのかも覚えていない。
ただ、風が強い晴れた日だったと記憶している。

いつものようにあかねを迎えに、彼が朝早くやって来た。その日の風は決して冷たくはなかったが、彼は手持ちの衣を広げてあかねの身体をくるみ、その肩を支えるようにしながら牛車へと連れて行った。
詩紋は、見送りをしながら二人を見ていた。
そしてその時、衣に隠れたあかねの頬がほのかに色づいていたことも、見逃さなかった。


恋をしている。そう確信した。

友雅自身の心はどうか分からないが、あかねを見下ろす彼の瞳は甘く優しげで、その手のぬくもりを受け止めるあかねは、かすかに目を反らしながらもその微笑みを心に染みこませる。

一度芽生えてしまった恋する心を消し去る術など、どこにもあるはずがない。
しかし別の世界に生きる自分たちには、今後のことなど一切不透明だ。恋の行く末も、自分自身の辿り着く世界までも見当が付かない。
だけど……その姿を見ながら詩紋は思った。

……あかねちゃんが、本当に友雅さんのことを好きなら……

ほんの少し距離が狭まっただけで、頬を染める彼女の心を堰き止めることなど出来ないと。


■■■


「あかね、いるか?」
夜も深まり始めた頃、天真があかねの部屋にやってきた。だが、彼を出迎えたのは部屋の主ではなく、金色の綿毛を持った愛らしさの残る少年の姿だった。
「あかねちゃんは、藤姫がお話があるって、今出てきました」
「…なんだ、留守か。でも、まあ…どうせそんなに時間かかんないんだろ?しばらくここで待たせてもらうぜ」
天真はすっと詩紋の前を横切って、燈台のたもとあたりにどっかりと腰を据えて座った。

京の夜は、驚くほどに静かだ。
二十四時間ひっきりなしに喧噪の途絶えない現代で育った天真にとっては、かえってこの静寂に心が落ち着かなくなる。
ちょっとした物音まで気になって、雑な動きも出来やしない。肩の力が抜けない夜は、勝手知ったる相手と過ごすくらいしか気持ちに余裕を作れない。
寝る前にこうしてあかねや詩紋とともに、どうでもいいような会話を交わす。日々の疲れを床の中で癒すための、重要な儀式になりつつあった。


「天真先輩…僕、今日あかねちゃんに着いていったんだけどー……」
既に半分ほどリラックス体勢に入っていた天真は、詩紋の言葉にぴくりと反応した。ぎらり、と瞳がこちらを向く。
「……詩紋が付き添いか。なら良いけどな。…なんか言ってたか?蘭のヤツ」
これは、そう簡単に鎮火するようなケンカではなさそうだ。
「『お兄ちゃんがうるさい』って、怒ってた…」
詩紋がそう言うと、天真は面白く無さそうに顔を反らして、ちっと舌を鳴らした。そしてすぐに向きなおし、がっとこちらに顔を近づけた。
「俺がうるさくなるのもしょうがねえだろ!?あいつの好きなヤツは、よりにもよって…あの不貞を頂点まで極めた男だぞ!?大切な妹がそんな男のそばに自分から近づこうとしてるのを、黙っていられるかってんだ!」

出逢った当初から合いそうにもないと思っていたが、天真と友雅の相性はとことん悪い。
それに加えて蘭のこの事件。これではおそらく永遠に理解しあえることはないだろう。これもまた、運命的に相性が悪い、という意味もあるのかもしれない。

だが。詩紋は少し違っていた。
天真が頭から否定する『橘友雅』という男の姿が、表面に薄くまとわりつくベールに見えた。
本当の彼の姿は、果たして今見ている姿なのか。それとも別の何かがあるのか。真実は分からない。
分からないからこそ、彼という男を否定することが出来ないでいた。
そして、そんな彼の姿に心を奪われた彼女の瞳が輝きを増す。



「あれ?どうしたの天真くん…何か用事だった?」
藤姫の部屋から戻ってきたあかねが、部屋の中にいる彼らの姿を見つけて立ち止まった。
「おう、ちょっと座れよ。ちょっとな…今日、蘭のところに行ったんだろ?それで聞きたいことがあってよ」
詩紋は、あかねの方をちらりと見た。天真の言葉を聞いたあかねは、その場でぼんやりと立ち往生してしまっていた。

ゆっくりと浮き上がってくるのは、昼間聞いたあの人の名前。
彼女の声で聞いた、あの艶やかな人の名前。
そして、胸の奥深くに刻み込んだ名前。

「あかねちゃん」
詩紋が自分の名前を呼んでくれたおかげで、それまで意識が抜けていた身体に自分自身が一気に後戻りした。
「あ、ごめんね、ぼーっとしちゃって。うん、蘭のところ…行ってきたよ。元気そうだよね。じっとしてるのが退屈だって言ってたよ」
「あー…だから余計に始末におえねーんだよなぁ。あいつ、あかねみたいな格好してたら…それこそ外に飛び出してくぜ、きっと。」
そう言いながらも、妹が元気であることは天真にとっては嬉しいことに違いなく、そんな会話の間は表情もさほど険しくはない。

しかし、彼が言いたいのはそんなことではない。
「…で、あいつ言ってたろ、友雅のこと」
スカートの下から覗く膝においた手のひらに、じわりとわずかに汗が湧き出る。彼の名前を聞いただけで。
「あいつが何を言ったか知らねぇけどな、甘えさせるなよ。相手にしなくて結構だからな。詩紋も、あれこれ頼み事するかも知れないけどさ、無視してやってくれな、頼むぜ」

天真が何を言おうが、どれだけ阻止しようとまくし立てようが、恋してしまった少女の心を変えるのは不可能に近い。
諦められるものなら、とっくに切り捨てている。
刻み込んだ彼の名前を削り取ってしまうことが出来るのなら、こんなに重い気持ちを抱いたまま彼に会うこともしなくて良い。
出来ないから……始末に負えない。
それは、あかね本人が一番良く知っている。


「神子殿、夜分遅く失礼致します」
庭の方からすらりとした人影が伸びた。頼久が闇を背に立っている。
「天真、そろそろ屋敷の周りの見回りに行く時間だ。」
土御門家に居候している天真は、頼久の武士団の役目も兼用している。
八葉としてあかねを護ることが本職であるので、このような屋敷の警備も彼の仕事と言える。
「んじゃ、ちょっと行ってくるわ。また明日な。」
「うん、おやすみ。気を付けてね」
天真はあかねたちに背を向けたまま、軽く手で合図をかざして闇へと消えていった。

「それじゃ、僕もそろそろ………」
夜も深まりつつあり、詩紋も自分の部屋へ戻って休もうと立ち上がろうとした。あかねも簀子の外まで見送ろうと、立ち上がろうとした。その時だった。
「失礼いたします。神子様、少々よろしいでございますか?」
姿を見せたのは、あかねに付き添ってくれている女房の一人だった。彼女の手には、ひとつの文が添えられている。
「神子様に御文が届いております。」
彼女はそれをあかねに手渡した。
受け取ったそれは、誰の香の移り香もない。添えられる花もない。
素っ気ないが、どことなく愛らしいほのかな若草色だ。

……違うよね。

知らないうちに、あかねの五感が動き出して侍従の香りを探した。
あの人の香り。寄り添うと漂う、あの雅やかな…あの人に似た香りを。

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Megumi,Kasuga