光り降る音

 第2話
しなやかに青づく竹林に包まれた庵。蘭が身を寄せている屋敷は、静かな佇まいの中にあった。
「なんだか、かぐや姫がいそうな感じだよね」
少し前を歩く詩紋が、笹の葉を見上げながら言った。

「ようこそおいで下さった。蘭殿は離れにおられる。ご自由にどうぞ上がってくだされ。」
初老の主はあかねたちを見ると、そう言って門を開いてくれた。

ここに来るのは、もう五度目になるだろうか。
少しずつ会話を重ねていくうちに、あかねと蘭の距離はどんどんと狭まってゆき、今ではこの世界で唯一気の知れた女友達と言っても良いくらいだ。
こんなご時世でなければ、二人で町を歩き回って楽しみを広げてみたいが、京ではなかなか女性が自由に外出出来る環境はない。
ましてや、まだ右も左も分からない。異空間という感触がまだ抜けない二人にとっては、町を闊歩するなど夢の又夢。
それでも、同世代で同性であり…話し相手には申し分ない。だからこそ、蘭の方もあかねの来訪を快く迎えてくれていた。

数少ない、大切な友達だもの。

あかねは本心から、そう思っていた。勿論、蘭もそう思っていたに違いない。
それは決して、間違いではなかったのだ。


■■■


「良かった。あかねちゃんと一緒に来てくれたのが、お兄ちゃんじゃなくって。」
二人を迎え入れたとたん、詩紋を見た蘭が言ったのはその一言だった。

…これはやはり、一悶着あったのだろう。
天真だけではなく、蘭の方も顔を会わせにくいということで、何やら気まずい空気が流れている。
「…もしかして、蘭…天真くんとケンカした?」
『もしかして』などと付けなくても、見れば一目瞭然なのだが。
「ケンカじゃないわよ。お兄ちゃんが一方的に、無神経に私の言うことを全部否定するもんだから、ついカッと来ちゃって……」
愛らしい唇を尖らせて、不機嫌そうに蘭はつぶやく。その後ろで、詩紋が声を殺して笑った。

似ているのだ。自分の言ったことを否定されると、ついカッとしてしまうところ。男女の差があるとは言えど、こういうところは兄の天真によく似ている。
詩紋は気付かれないように唐菓子の袋を取り出して、それらを三等分して彼女たちの前へ差し出した。


「で、何が原因なの?天真くんとのケンカは……」
菓子をつまんでかじりながら、あかねは切り出した。
こういつまでたっても意地の張り合いを続けられては、天真のことだから今後の八葉としての役目にも集中出来そうにないだろう。
ここはひとつ、仲介役をかって出なくては。まずは、その原因を追及しなければらなない。

だが、蘭は口を開かなかった。
時折、詩紋の様子をちらちらと伺いながら、そしてまた黙り込む。

「あ、僕…ちょっと外の空気吸ってくるね…」
こういう時、詩紋はカンが良い。おそらく自分がいることが、蘭にとって少々気まずいのだろうと、とっさに察したのだ。
だからと言って、八葉としてその場を遠く離れられるわけもなく。
仕方がなく高欄の下で、ぼんやりと庭を眺めながら時間を潰すことにした。



さて、部屋にはあかねと蘭の二人だけとなった。
同じ年代の友達同士。もう何一つ気兼ねなど必要はない。
「それで?ケンカの原因は?」
改めて聞き返す。蘭は肩にかかる髪をかきあげて、深い溜息をついた。
「……言ったでしょ?お兄ちゃんが、私の言うことを全部聞かないうちに、うるさいこと言って文句ばっかり言うからっ……」
それは充分に分かった。問題はその…天真が執拗にこだわった蘭の言い分について、なのだ。

再び蘭は、口を閉ざした。そして、頬をほのかに紅に染める。
唇を指先であやすようにして、かすかに目配せするかのように瞬きをする。
「あの…ねー……私ね、好きな人がね…出来て……」
少しずつ言葉をつむぐようにして、小さな口を開く。
それは、恋をした少女が奏でる微妙な愛らしさを込めた仕草。

「好きな人っ…て!こ、こっちの人?」
蘭は小さな顎でうなづく。
「だから、ちょっとその人のこととか詳しく聞いてもらえないかなって思ったんだけど…そしたらお兄ちゃん、いきなり怒り出すんだものっ!」
なるほど、それがケンカの原因というわけか。
こちらの男のなど、天真にとっては出所不明なうさんくさいヤツ、に他ならない。やっとのことで見つけだした妹が、そんな輩に引っかかって傷物にでもされたら……と思うと黙っていられなかったのだろう。

だが、蘭の好きな男とは一体……。

前述の通り、この京では自由に女性が外出など出来ない。
ましてやこんな寂れた寺院に、この年頃の少女が見惚れるほどの見目麗しい男が、顔を出す理由なども思いつかない。
そんな環境の中で、どうして蘭は彼に出会ったんだろう。あかねの好奇心がうずいた。

「ねえ、蘭の好きな人って…誰なの?」
女の子同士なら、気軽に会話も出来る。
秘密にしたいことも、女の子同士という特権があればこそ、深いところまで突き詰めることも違和感がない。仲が良ければ、尚更のことだ。
男友達だったら、からかわれたりもするけれど。女の子同士なら恋愛観なら運命共同体。
こういう会話は、血縁関係の兄よりも他人の女友達が一番だ。

「……秘密、ね?」
念を押すように唇を人差し指で差し押さえ、蘭はあかねの耳元へ口を寄せた。

そして蘭は、彼女の心に住み着いた…恋しい男の名前を囁いた。

「あのね……………」


■■■


夕暮れが近付いてきた頃、あかねは詩紋とともに寺院を後にした。
山へ帰ってゆく野鳥の羽ばたき音が、揺れ動く牛車の中までも聞こえてくる。
誰もが家路へと急ぐ時間だ。

あかねは、ずっと黙っていた。そんな姿を、詩紋も黙って見つめていた。
じっと見つめるのも気が引けるので、時々どこか遠くへ目を反らしながら、横目で、または伏し目がちに様子を伺ってみる。
だが、そんな詩紋の仕草にもあかねは無反応だった。

「あかねちゃん……」
詩紋が名前を呼んでも、ぼんやりとしているあかねの心はここに在らず。
今、自分がどんな表情をしているかも、今どこにいるのかも気付いていないに違いない。

蘭が言った言葉は、直接詩紋の耳には聞こえてこなかった。
だが、その後の二人の会話で…知ってしまった。
----- 蘭が、誰を好きになってしまったのか。それが誰なのか。


その名前を蘭が告げた瞬間、あかねの心の奥深くに湧き出る泉の水面がゆらりと波打った。
広がる波は、いつしか水を緩やかに乱し始めている。

『あのね…友雅………さんのことが好きなの』

繰り返し繰り返し、その言葉が耳の中で渦のように響き続いている。


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Megumi,Kasuga