涼風肌に心地良く

 002
ぬるすぎず、熱すぎず。
汗をかくほどの暑い日ではあったが、やはりそんな日も暖かい湯で身体を洗い流すのは、さっぱりして気持ち良い。

「ねえ、父上。母上って…すごいね」
「母上?どうして急に、そんなことを思ったんだい?」
友雅にとっては、腰を下ろして胸あたりまでの水位だが、文紀には丁度肩まで浸かるくらいの湯量。
風呂は必ず男同士・女同士で入るのがルール。
千歳はあかねと、文紀はこうして友雅と共に。
こうやってのんびりと、疲れを湯に浸かって癒すのである。

「だって、母上って、他の人が絶対にしないことをやっちゃうでしょう?しかも鷹通殿や泰明殿が、あんなに感心しちゃうんだもの、すごいよ」
泰明は、師匠である安倍晴明の鏡とまで称される、今や有名な陰陽師の一人。
鷹通は名家藤原家の出で、治部省の時期トップと噂の高い男。
そんな彼らが、自ら話を尋ねにやって来るのだから、あかねの知識は彼ら以上のものなのだ。
「それに…今日は主上からも、力になって欲しいって御言葉を頂いたでしょう?」
「母上に関しては、一目置いてくださっているからね」
彼女が神子であった時から、その行動の一部始終を友雅づてに耳にしていた。
異世界からやって来て、環境の変化と思いも寄らない立場に右往左往しながらも、ひたむきにこの京を護り抜いてくれたこと。
どれほどに彼女が、一途で真剣だったかを知っているからこそ、帝にとっても未だにあかねは特別なのだ。

「母上はね、私たちよりもずっと広い世界を知っている、特別な人だからね。」
ふたつの世界を知っている、おそらくこの京で唯一の人。
彼女が当たり前と思っていることは、すべて自分たち生粋のみやこびとには、全く新しいことばかり。
「千歳が驚いてたけど、僕もこんなお風呂が他ではあまりないんだなんて、全然知らなかった。」
「母上がここに嫁いで来たときに、特別に作ってみたのだけれど…使ってみたら気持ちが良くてね」
文紀もその言葉にうなづいて、湯の中でちゃぽんと泳ぐように手を遊んで見せた。

「冬になると、庭の橘の実を採ってきて、たくさん浮かべて入るでしょう?あれって、すごく良い香りで気持ち良くて好きだなぁ」
「それも、母上の提案なんだよ。蜜柑などの皮を風呂に入れたりすると、暖まるんだそうだ」
酸味が強すぎて、なかなか食するには適しない橘の実も、あんな風に使うと香りが湯で引き立つ。
おそらく、風呂なんてものを作らなかったら、一生知らなかったことだろう。
「母上のお話って、為になることばっかりだなぁ……」
肩までしっかり湯に浸かり、文紀はしみじみとそう言った。



風呂から上がると、籠の中に木綿の浴衣が用意されてある。
友雅の分と、文紀の分。
湯上がりに着るためにと、祥穂に頼んで作ってもらったものだ。
「はい、父様、兄様。氷を入れた蜜水ですわよ」
「ああ良いね。湯上がりの喉を潤すには最高だ」
暖まってさっぱり汗を流したあとは、水分補給を欠かさないように、というのもあかねの言葉。
ほんのり甘い蜜水を、文紀はごくごくと飲み干す。
「二人とも、ちゃんと髪の毛を乾かして下さいね。暑くても濡れたままじゃ、風邪ひいちゃいますから。」
二枚重ねの木綿手ぬぐいを渡されて、友雅は文紀の髪をくしゃくしゃと拭く。
拭かれている文紀の方はというと、何度も友雅の方を振り返りながらはしゃいで。
「ほらー、友雅さんも髪の毛ちゃんと拭いて下さいよ?」
「はいはい。文紀の髪が乾いたらね」
「じゃあ、今度は僕が父上の髪、拭いてあげます!」
そういって文紀は、友雅の手からするりと手ぬぐいを取り、まだ雫が落ちそうな彼の長い髪を、しっかりと挟んで拭き取り始めた。

普段はどちらかというと、大人しい性格の文紀も、父親である友雅の前では、まだまだ無邪気な子どもだ。
遠慮などせずじゃれ付いて、そして友雅もまた文紀を楽しそうにあやしている。
毎日のように行われる、日常の光景に過ぎない。
でも、そんな二人を見るたびに、無性に嬉しくなって…こちらまで楽しくなって。
こういうのがきっと、"幸せ"っていうものなんだな、と思う。
何度も、何度も、何度その光景を見ても、そう感じる。

ととととっと、早い跫音が近付いてくる。
このリズム感は、千歳の足音だ。
「母様〜っ!祥穂がね、続いてお風呂をお使いになって下さいってー!」
夕餉の後片づけも終わったし、今日の仕事はひととおり終了した。
そばにやって来た千歳の手には、既に自分とあかねの浴衣と手ぬぐいが抱えられている。
「行っておいで。出てきたら、ここで四人揃って夕涼みでもしよう。」
友雅と文紀は、すでにリラックスした様子で、簀子の上に寝転がっている。
「じゃあ、そうしちゃいましょうか、千歳」
「ええ!」
小さな千歳の手が、ぎゅっとあかねの手を引っ張る。
「あとで祥穂に、二人の分の蜜水を用意させておくよ」
「冷たーくして、あまーくしてって伝えて!父様っ!」
「了解。早く行っておいで」
文紀を胸に抱えて友雅が答えると、千歳はあかねの手を引っ張って風呂に向かっていく。
あかねは一度振り向いて、友雅と目配せで微笑みあってから、まだ湯気が立ちこめる部屋へと歩いていった。



昼間の暑さは夜になると落ち着いて、過ごしやすい気温になる。
湯上がりで身体は暖まっているが、このぬくもりは触れていても、決して居心地の悪いものではなかった。
あかねを胸に抱き寄せて、二人の子どもたちに膝を貸してやり、夜風に身を任せてみる。
「でね、母様のお腹ね、ぽわぽわって膨らんでるんですのよ」
「そーいう事を言わないのっ。なんか太っちゃったみたいに思われるでしょっ」
意気揚々と、風呂で見た腹部の話をする千歳に、苦笑いをしながらあかねが言う。
三人目をこの身体に宿して、もう5ヶ月ほどになる。
重ね着の袿姿では殆ど分からないが、裸になれば腹部の膨らみも目立ち始める。
日々、母の身体が変わっていくことが、千歳には新鮮に見えるのだろう。

「あとねっ、お腹だけじゃなくて、お乳も大きくなってる気がするのだけど、気のせいかしら?」
「いいや、確かに大きくなっているよ。」
「…友雅さんっ!!」
あかねが顔を赤くして、腕を軽くつねる。
「どうして父様が分かるの?母様と一緒にお風呂入っていないのに」
疑問が浮かぶと、素直に尋ねてくる千歳の問いに、どう答えていいのやら…。
こっちが困っているというのに、友雅は静かに微笑んでいるだけだ。

「……きゃっ!何ですかっ!!」
後ろから友雅が、あかねの身体を強く抱きしめた。
「こうして母様をぎゅうっとしているとね、大きくなったのが分かるんだよ」
両腕でしっかり抱きしめると、張ってきた胸が少し浮き上がって腕に触れる。
本当のコトはともかく、千歳の疑問を解消するくらいの答えにはなる…か。
「そっか。お風呂を一緒に入らなくても、そうすると分かるのね」
納得した彼女は、今度は無邪気にあかねの胸をぽんぽんと触れた。

「でもね、昔の父様は母様と一緒に、お風呂に入っていたこともあるんだよ」
「えっ!?本当なの?母様!」
……そ、それは……確かに事実ではあるけれども…。
もう、余計なことばっかり言うんだからっ、友雅さんはっ!!
ちらりと彼を横目で睨むが、こういう時は相変わらず素知らぬ振りで甘く微笑む。
「千歳たちが生まれてからも、四人で一緒に入ったこともあるよ」
「え、僕も?」
今の今まで、男同士・女同士が当たり前だと思っていたのに、まさか千歳や母と一緒の風呂に入っていたとは…。
文紀はびっくりして、二人の顔を交互に見る。
「ん、それは…ホント。生まれたばっかりの頃よ。」
清潔にしてあげなくはいけないと思って、ぬるい湯で身体を洗ってやろうと思ったが、二人まとめてはとても無理。
だから一緒に風呂に入って、手伝ってもらいながら洗ってやったのだ。

「来年子どもが生まれたら、今度は五人でお風呂に入ってみようか?」
「私、賛成ですわっ!私も身体を洗うお手伝い、してみたいですもの」
千歳は乗り気だけれど、文紀はうーんという感じで苦笑している。
親子とはいえ、男女が一緒にお風呂なんて…良いのかなあ、と悩んでいるような文紀を尻目に、全く邪気なく千歳は楽しそうだし。
「まあ、今くらいしか出来ない事だし、良いと思うよ」
「……そうですねえ。小さい時しか無理ですもんねえ」
年頃になれば、そんなことはもう出来なくなるから。
子どものうちは、そんな触れ合いも良いかも。

「大人になっても、相手がいれば出来るけどね?私たちみたいに。」
「そういう事は、もう言っちゃダメですっ!」
頬を赤くして友雅の口を手で塞ぐあかねを、二人は「???」という感じで見上げている。

月明かりの降り注ぐ静かな庭から、舞い込んでくる優しい夜風。
湯上がりの肌に涼しげに触れて、楽しそうに戯れる彼らの間を流れていく。




-----THE END------



お気に召して頂けましたら、ポチッとしていただければ嬉しいです♪


***********

Megumi,Ka

suga