夏と翼と花景色

 003
「まゆきー!ほら、ちゃんと髪を乾かさないといけないわっ!」
バスルームの方から、石鹸の香りが湯気とともに漂って来た。
それと同時に、ピンクのチュニックの裾をはためかせて、まゆきがこちらの方に駆けてくる。
「こらこら、綺麗な髪を整えないといけないよ、姫君」
友雅は走って来たまゆきを受け止め、バスタオルを持った千歳の方へ受け渡した。
「そういう千歳も、自分の髪の毛乾かしなさいよ」
まゆきの髪をくしゃくしゃと拭く千歳の頭に、あかねが持って来たバスタオルがはらりと重なる。
ゆっくりと汗を流した彼女たちの肌は、瑞々しい白桃のようにほんのり紅を差す。
「はい、二人ともそこに座って。ドライヤー使いますからね」
千歳たちを前に座らせ、友雅から渡されたドライヤーをONにする。
少し熱を帯びた風が、二人の髪をふわりと浮き上がらせた。

「さて…文紀、姫君たちが身だしなみを整えている間に、私たちは寝床の用意をしに行こうか」
「あ、はい父上」
文紀の手を引いて、友雅は奥の和室へと向かった。
裏庭に面してはいるが、縁側のような小さいデッキが備え付けられていて、明るい大きな窓から木漏れ日も射し込む。
部屋の向かい側にある納戸を開けると、そこは来客用の寝具などがしまってある。
「それじゃ、全部ぴったりとつなげて布団を敷いて行くからね」
「うん」
10畳の畳の上を、敷き詰めるように並べられた布団が覆って行く。
シーツとタオルケット、枕に肌掛け布団。
クリーニングしたばかりのリネンは、清潔な洗い立ての香りがした。


「きゃー、おふとんー!」
やがて、ぱたぱたと足音が近付いて来て、扉が開いたとたんにまゆきが布団に飛び込んだ。
今度は千歳も一緒になって、布団の上を転がりながら足をばたばた。
「おふとん!おふとん!」
ケットにくるまって、ふざけながら彼女たちは楽しそうに笑う。
これから眠る時間だというのに、まだ元気さが有り余っているらしい。
「もー、ここに来ると、いつもこんな調子なんだから」
二人の様子を見て呆れつつ、あかねは友雅の隣に腰を下ろした。
「まあ良いじゃないか。こんな風に一緒に寝られるのは、ここに来た時くらいしかないのだし」
寝室もベッドも余裕はあるけれど、ここでは和室に布団を敷いて眠る。
普段は祥穂がいてくれるが、別荘では家族しかいない。
子どもたちだけで眠らせるのは心配だから、こうして川の字で寝るのが良いだろうと二人で決めた。
それから数年。毎年夏になるとここに来るけれど、この習慣は当たり前のように根付いている。

「にーにの!にーにのとこ!」
布団の上を這い歩きながら、まゆきが文紀のところにやって来る。
つかまえた、と言いたそうにしがみついて、今にもごろごろ喉を鳴らしそうな。
「で、今日はどんな順番で眠るんだい?」
誰が誰の隣で寝るか。
お母さんの隣を確保するのは?お父さんの隣で夢を見るのは?
さあ、今日は誰がそこの場所を勝ち取るのか。
平和で優しい争奪戦が、布団の上で繰り広げられる。
「にーにのとこ!」
まゆきがまず、自己主張する。
「千歳はどうするんだい?」
うーん、と首をかしげながら、彼女は彼女なりに悩んでいる。
妹から離れたくないし、兄と一緒に寝るのも久しぶりだし。
でも両親と一緒なんてことは殆どないから捨てがたいけれど、じゃあ父と母とどっち側を取る?

「文紀と反対から、まゆきを挟んで眠れば良いんじゃない?」
「うん、それが良い。そして父様たちは、三人を右と左から挟んで寝るよ」
小さいまゆきを真ん中に。その両側を兄と姉が。
その三人を父と母が挟んで……。
「ふふ、まるで花びらの中のお姫様を、みんなで守りながら眠る感じだね」
暖かいものが、まゆきを幾重にも包む。
兄姉の愛情と、そして両親からの愛情と。
「じゃ、この順番に決定ですわねっ」
さっそく千歳はまくらを持って来て、文紀と反対側に横たわった。
「寒くなくても、ちゃんと布団は掛けて寝ないとダメよ」
「はあい」
薄手の布団にくるまって、まゆきは左右に何度も向きを変える。
そのたびに彼女の目の前が、文紀と千歳に変わるのが面白いようで、二人の間を転がるように楽しんでいる。

「……?」
文紀の隣に横たわるあかねの方へ、友雅が手を伸ばした。
「昔はみんな一緒に片手で包み込めたのに、今じゃ長さがとても足りないな」
二人ごと抱きしめたのは昨日のことのようなのに、もう手が届かない。
まゆきの存在もあるけれど、二人がそれだけ成長したという証でもある。
この腕を広げて、どんなものからも彼らを守ってやろうと誓った日。
あれから-------もう数年。
守るものは更に増えて、その気持ちは今もまったく変わっていない。
変わらないどころか、そこから与えられる幸福感は、今も膨らみ続けている。

彼の手に、あかねの手が伸びた。
「こうして手を繋げば、まだまだ三人一緒でも抱えられますよ」
そう笑いながら、二人の手は子どもたちの上で繋がり合う。
一人の手で足りなければ、二人で手を繋げば良い。
元からこの宝物を包む役目は、一人ではなく二人に与えられた使命であるのだ。
二人から生まれでた命だからこそ。
その幸せを味わう権利も、二人だけに与えられている。

「にーに!ねーね!」
互いの顔を見ながら、名を呼んで朗らかに笑う幼い声。
その声は心地良いから、ずっと聞いていたい気もするけれど…。
「さ、そろそろちゃんと眠らないとね。明日、朝顔を見るんだろう?」
「そうだわ、早起きしなきゃ!咲いているところ、ちゃんと見たいもの!」
千歳は布団をかぶって、眠る態勢を整える。


朝一番に、咲き誇る花を見よう。
目が覚めたら、眩しい花を真っ先に愛でよう。
春も夏も秋も冬も、どこにいても、
一番近くにいてくれる輝く花たちを、その目に映して抱きしめてやろう。




-----THE END------



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2012.08.13

Megumi,Ka

suga