白雲の果て、春の雪

 第20話(5)
遠くで、聞き覚えのある音がした。
車が通り過ぎる音と、エンジン音。それと重なるように聞こえるのは……雅楽のような笛の響き。
「ん…」
頬をくすぐる花びらに気付いて、詩紋はゆっくりと目を開けた。
頭上に広がるのは、満開の桜の木。そこから花びらが舞い落ちていたのだ。
「……天真先輩…」
目を凝らして隣を見ると、天真が同じように垣根にもたれて眠っていた。

視線を前後左右へ向けて見る。
赤い橋、包む桜の木…広がる池と小さな社。
「……神泉苑…」
ぽつりと、詩紋はつぶやいた。
だが、広大な池など面影もなく、ほんの小さな町中の一角。
通りでは車やバイクが行き交う………現代の神泉苑。
……戻ってきたんだ。自分たちの生きる世界に。

「うーっ…よく寝たなあ〜」
やっと目覚めた天真が、思いっきり身体を伸ばして大きなあくびをした。
深呼吸をすると、花の香りが体内に入ってくる。
春風に踊る水面の音が聞こえたが、それも車の音や人々の喧噪にかき消されてしまった。
「…詩紋、先に起きてたのか」
「うん…」
二人は顔を見合って、これまでのことを思い出そうとした。

別れたままの彼女たちに、もう一度会いたいと祈りを捧げた。
その直後に、歪んだ時空に引きずり込まれて……再びあの京へ戻った。
再会したあかねと友雅。そして…二人の子どもたち。
頼久、イノリ、泰明や永泉、鷹通…藤姫。
そのままの姿の者たちや、逞しく美しく成長した彼らと過ごした……。
「現実か?それとも…俺らが夢でも見てただけか?」
半信半疑でつぶやいた天真だったが、自分の手元にある一本の桜の枝に気付いた。
……別れ際に、彼らの娘がくれた桜。
永遠に枯れることのない、あかねの心の分身。彼らが幸せである証が、咲き続ける桜の理由。
「マジ、か」
「千歳ちゃんが…あかねちゃんたちの子が…これを手渡してくれた…んだよね」
例え離れていても、こうして幸せに過ごしているのを、忘れないでいて欲しいと言って。

「俺、これからマメにお参りに来るかなあ」
池に面した小さな社を見て、天真はそう言った。
願いは叶わないことはない。
叶う可能性は決してゼロにはならないのだ、と分かった。
叶わないと諦めてはいけないのだ。
もう一度会えるのだと…そう思いながら願えば、力は動く。
その願いを、気付いてくれる。八葉の願いを、龍神がきっと分かってくれる。
「うん、僕もお参りに来ようっと。」
パリに留学することになっても、ここの事を忘れずに、この桜を忘れずにいよう。
そしてまたここで……会いたいと願おう。
そうすればきっとまた、夢は叶う。


「あ、見て…天真先輩。」
詩紋が指さした方向に見えたのは、白無垢姿の女性と羽織姿の男性の姿。
「そっかあ。神泉苑って…結婚式も出来るって聞いたっけ。」
確か今日は…大安。
桜の花が咲く季節は、意外にあちこちで結婚式を多く見かける。
最近はチャペル式だけではなく、神社仏閣での挙式をする人が増えたらしい。
この神泉苑付近でも、そんなパンフレットを見かけた。

「詩紋、あのさ…この曲」
流れてくる曲に耳を傾けていた天真が、何かに気付いた。
聞き覚えがある。この管弦の音……こんなに華やかで荘厳な楽器ではなかったが、確かにこのメロディーは……。
「どうかしましたか?」
目の前に現れたのは、おそらく挙式の手伝いをしていたであろう、清楚な着物姿の若い女性だった。
「あ、いえ、その…花嫁さん綺麗だなあって」
「丁度桜の綺麗な季節になりまして、良いお式になりました。」
そう言って彼女は、結ばれたばかりの二人を笑顔で見つめていた。

「あれ?この曲って…歌詞とかあるんすか?」
よく耳を澄ましてみると、演奏だけではなく歌声が聞こえる。
あの夜に聞いたのは、永泉たちの笛や琵琶のメロディーだけだったので、きちんと歌になっているとは思わなかった。
「あれは"越天楽今様"と言いまして、元は平安時代から演奏されている、おめでたい歌なのだそうですよ。」
そういえば確か永泉が、演奏前にそんなことを言っていたっけ。
「歌詞が付いたのは、もっと後らしいのですが。元はと言えば、流行り歌みたいなものだったそうです。」
とはいえ、祝いの席にはぴったりとのことで、こういう音楽をBGMに選ぶことも多くなっているらしい。

「御新婦様が雅楽を嗜んでおりまして、ご友人方が演奏されていたのですよ。私もあまり聞いたことがありませんでしたが、今の時期にぴったりの、とても風流な歌詞ございましてね。」
女性はそう言うと、"良かったらどうぞ"と歌詞のコピーを二人にくれた。

……春のやよいのあけぼのに、四方の山辺を見渡せば、花盛りかも白雲の、かからぬ峰こそなかりけれ。
……花橘も匂うなり、軒の菖蒲も薫るなり、夕暮さまの五月雨に、山ほととぎす名乗るなり。

「フッ…花橘かあ…」
その歌詞を見たとたん、桜の花に包まれた、あの屋敷を思い出す。
永久に枯れない幸せの桜。
それは今も二人の心と、この手の中にある。



「詩紋、そろそろ…俺らも行こうぜ。」
天真はその歌詞のコピーを、じっと見つめている詩紋の肩を叩いた。
立ち止まっては居られない。
歩き出さなければ、再び会える日は来ないような気がするから。

「早く一人前になろうぜ、お互いにな」
「…うん。僕も頑張る。」
目指す夢はそれぞれ違うけれど、前を向いているのは同じこと。
理想の自分に近付くために、歩き出す。
新しい道を、ゴールに向かって。

また会える時がきたら…その時にはもう一度驚かせてやろう。
更に大きくなった自分で、彼らの前に立ってみよう。


いつかまた、こんな春の日に--------------また会おうね…約束。

振り返り、遠くの彼らに微笑んでから、二人は歩き出した。

----------遙か白雲の果てで、桜の花びら舞う中で生きる…大切な人たちへ。






-----THE END-----

(長期に渡るご拝読、どうもありがとうございました!)

※あとがきのご挨拶がありますので、よろしければ先にお進み下さいませ。



2009.1.11. UP

Megumi,Ka

suga