遠くで、聞き覚えのある音がした。
車が通り過ぎる音と、エンジン音。それと重なるように聞こえるのは……雅楽のような笛の響き。
「ん…」
頬をくすぐる花びらに気付いて、詩紋はゆっくりと目を開けた。
頭上に広がるのは、満開の桜の木。そこから花びらが舞い落ちていたのだ。
「……天真先輩…」
目を凝らして隣を見ると、天真が同じように垣根にもたれて眠っていた。
視線を前後左右へ向けて見る。
赤い橋、包む桜の木…広がる池と小さな社。
「……神泉苑…」
ぽつりと、詩紋はつぶやいた。
だが、広大な池など面影もなく、ほんの小さな町中の一角。
通りでは車やバイクが行き交う………現代の神泉苑。
……戻ってきたんだ。自分たちの生きる世界に。
「うーっ…よく寝たなあ〜」
やっと目覚めた天真が、思いっきり身体を伸ばして大きなあくびをした。
深呼吸をすると、花の香りが体内に入ってくる。
春風に踊る水面の音が聞こえたが、それも車の音や人々の喧噪にかき消されてしまった。
「…詩紋、先に起きてたのか」
「うん…」
二人は顔を見合って、これまでのことを思い出そうとした。
別れたままの彼女たちに、もう一度会いたいと祈りを捧げた。
その直後に、歪んだ時空に引きずり込まれて……再びあの京へ戻った。
再会したあかねと友雅。そして…二人の子どもたち。
頼久、イノリ、泰明や永泉、鷹通…藤姫。
そのままの姿の者たちや、逞しく美しく成長した彼らと過ごした……。
「現実か?それとも…俺らが夢でも見てただけか?」
半信半疑でつぶやいた天真だったが、自分の手元にある一本の桜の枝に気付いた。
……別れ際に、彼らの娘がくれた桜。
永遠に枯れることのない、あかねの心の分身。彼らが幸せである証が、咲き続ける桜の理由。
「マジ、か」
「千歳ちゃんが…あかねちゃんたちの子が…これを手渡してくれた…んだよね」
例え離れていても、こうして幸せに過ごしているのを、忘れないでいて欲しいと言って。
「俺、これからマメにお参りに来るかなあ」
池に面した小さな社を見て、天真はそう言った。
願いは叶わないことはない。
叶う可能性は決してゼロにはならないのだ、と分かった。
叶わないと諦めてはいけないのだ。
もう一度会えるのだと…そう思いながら願えば、力は動く。
その願いを、気付いてくれる。八葉の願いを、龍神がきっと分かってくれる。
「うん、僕もお参りに来ようっと。」
パリに留学することになっても、ここの事を忘れずに、この桜を忘れずにいよう。
そしてまたここで……会いたいと願おう。
そうすればきっとまた、夢は叶う。
「あ、見て…天真先輩。」
詩紋が指さした方向に見えたのは、白無垢姿の女性と羽織姿の男性の姿。
「そっかあ。神泉苑って…結婚式も出来るって聞いたっけ。」
確か今日は…大安。
桜の花が咲く季節は、意外にあちこちで結婚式を多く見かける。
最近はチャペル式だけではなく、神社仏閣での挙式をする人が増えたらしい。
この神泉苑付近でも、そんなパンフレットを見かけた。
「詩紋、あのさ…この曲」
流れてくる曲に耳を傾けていた天真が、何かに気付いた。
聞き覚えがある。この管弦の音……こんなに華やかで荘厳な楽器ではなかったが、確かにこのメロディーは……。
「どうかしましたか?」
目の前に現れたのは、おそらく挙式の手伝いをしていたであろう、清楚な着物姿の若い女性だった。
「あ、いえ、その…花嫁さん綺麗だなあって」
「丁度桜の綺麗な季節になりまして、良いお式になりました。」
そう言って彼女は、結ばれたばかりの二人を笑顔で見つめていた。
「あれ?この曲って…歌詞とかあるんすか?」
よく耳を澄ましてみると、演奏だけではなく歌声が聞こえる。
あの夜に聞いたのは、永泉たちの笛や琵琶のメロディーだけだったので、きちんと歌になっているとは思わなかった。
「あれは"越天楽今様"と言いまして、元は平安時代から演奏されている、おめでたい歌なのだそうですよ。」
そういえば確か永泉が、演奏前にそんなことを言っていたっけ。
「歌詞が付いたのは、もっと後らしいのですが。元はと言えば、流行り歌みたいなものだったそうです。」
とはいえ、祝いの席にはぴったりとのことで、こういう音楽をBGMに選ぶことも多くなっているらしい。
「御新婦様が雅楽を嗜んでおりまして、ご友人方が演奏されていたのですよ。私もあまり聞いたことがありませんでしたが、今の時期にぴったりの、とても風流な歌詞ございましてね。」
女性はそう言うと、"良かったらどうぞ"と歌詞のコピーを二人にくれた。
……春のやよいのあけぼのに、四方の山辺を見渡せば、花盛りかも白雲の、かからぬ峰こそなかりけれ。
……花橘も匂うなり、軒の菖蒲も薫るなり、夕暮さまの五月雨に、山ほととぎす名乗るなり。
「フッ…花橘かあ…」
その歌詞を見たとたん、桜の花に包まれた、あの屋敷を思い出す。
永久に枯れない幸せの桜。
それは今も二人の心と、この手の中にある。
「詩紋、そろそろ…俺らも行こうぜ。」
天真はその歌詞のコピーを、じっと見つめている詩紋の肩を叩いた。
立ち止まっては居られない。
歩き出さなければ、再び会える日は来ないような気がするから。
「早く一人前になろうぜ、お互いにな」
「…うん。僕も頑張る。」
目指す夢はそれぞれ違うけれど、前を向いているのは同じこと。
理想の自分に近付くために、歩き出す。
新しい道を、ゴールに向かって。
また会える時がきたら…その時にはもう一度驚かせてやろう。
更に大きくなった自分で、彼らの前に立ってみよう。
いつかまた、こんな春の日に--------------また会おうね…約束。
振り返り、遠くの彼らに微笑んでから、二人は歩き出した。
----------遙か白雲の果てで、桜の花びら舞う中で生きる…大切な人たちへ。
-----THE END-----
(長期に渡るご拝読、どうもありがとうございました!)
※あとがきのご挨拶がありますので、よろしければ先にお進み下さいませ。
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