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白雲の果て、春の雪
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| 第20話(4) |
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丸い月が夜空に浮かび、その姿は広大な池にそのまま映し出されている。
小舟のように水面に漂う、桜の花びらが揺らめいて…静かで艶やかな月夜だった。
「やっぱ、向こうに帰るのはここから、か。」
昼間は花見に来る者が絶えない神泉苑だが、夜になるとひっそりとしている。
目を凝らすと、池の底が青白く輝いていた。
向こうに帰る時と同じ光景が、再び目の前にある。
「じゃ、短い間だったけど…いろいろありがとう」
「ううん、こっちこそ本当に…迷惑かけちゃってごめんね。ありがとう…」
友雅に肩を抱かれながら、あかねは深く頭を下げた。
「俺らがいなくても、今回みたいなゴタゴタは起こすんじゃねえぞ?」
「ああ、もう大丈夫。何よりも…私とあかねの間には、大切な二人の結晶が形としてここにあるからね。もう迷うことはないよ。」
素直に心のままに、これからも愛し合って行く。
そのために二人は、時空を超えて巡り会ったのだ…と、今はそう思える。
「あかねちゃん、元気な赤ちゃん生んでね?」
詩紋はあかねの手を握って、そう力強く言った。
出来ればこの声が、彼女の胎内にいる新しい命にも届くようにと願いながら。
その子が生まれる時には、多分また自分たちは遭遇出来ないだろうが、でも、いつかこうして…会える日を楽しみにしていよう。
「あの、こ…これっ、御持ち下さいっ」
友雅の後ろから、桜色の紙に包んだ二本の小枝を手にして、千歳が天真たちに差し出した。
小さくて細い枝には、膨らんだつぼみと咲き誇る花が数個。
「もしかして、この桜の枝って…」
詩紋が顔を上げると、友雅は首を縦に振った。
「我が家の分身、神子殿のお気持ちのお裾分けだよ。是非、持って帰ってくれないかな」
「うちみたいに育つか分からないけど…それを見て思い出してくれたら、もしかしたら意外に早く再会出来るチャンスが、来るかもしれないでしょ?」
折れてしまいそうな華奢な枝だが、生命力はどんな花よりも強い。
結びついた二人の心のように、永遠に息づく。
「ありがとう。花がちゃんと咲くように、ちゃんと育てるよ。」
「そっちからも栄養を送り続けろよな?」
「ふふっ…了解したよ。永遠に満開の桜を、君たちの世界でも見られるように、せいぜい仲睦まじくさせてもらうよ。」
あかねを抱き寄せて、その頬にキスをしてみせると、天真は呆れたように笑った。
「じゃ、また会いに来るからね!」
そう言って詩紋が、背を向けて池に目をやろうとした時。
「し…詩紋殿っ!」
ずっと友雅にしがみついてた千歳が、急に駆け出したかと思うと、詩紋の背中にぎゅうっと抱きついた。
「千歳ちゃん!?」
「お、どうした…王子様引き止め作戦か?」
立天真の言葉など耳にせず、千歳はぐいぐいと懸命に詩紋の腕を引っ張る。
小さい子供の力は非力ともいえるほどだが、あまりにも必死な仕草に、詩紋は振り返って腰を折り、千歳を同じ目線で見た。
「また会えるからね?元気で……っ」
「……うお?」
「ちょ、ちょっと…千歳っ!?」
「……ひゃっ」
思い思いが驚きの声を上げる中、友雅だけはその光景を笑みを浮かべ眺めていた。
……本当に好きな人には、父様と母様みたいに唇同士の挨拶をしても良いけれど、まだ千歳は小さいから一歩手前で我慢しておきなさい。
それだけでも、気持ちはきっと伝わるだろうから……なんて。
つい嗾けるようなことを言ってしまったが、それを自分から現実にするとは、まったく幼いながらに行動派な子だ。
キスをした千歳の方は恥じらいもなく、詩紋の方が唇を受け止めた頬に手を当てて、真っ赤になっている。
いつか本当に…本番の時が来るのかねえ?…と、友雅は笑いながら二人の姿を目に映した。
「き、きっとまた御会い出来るでしょ?」
「あ…うん、そ、そうだねっ。また来るからね、絶対に!」
照れる詩紋の背中を叩き、軽く千歳の額を小突きながら天真は笑った。
「そんじゃ、またな」
最後の挨拶は、たった一言の簡単な言葉。
"またな”に込められた、次にまた会えるという約束。
四人が見守る中、二人は背を向けて光る池に近付くと、ふわりと広がった白く輝く靄に包まれて----------姿を消した。
あとに残っていたのは、月を映す水面と桜の花びらだけ。
千歳はさっきと同じように、友雅にぐっとしがみついてる。
「千歳が寂しい気持ちは、よく分かるよ。もしかしたら、こんな経験をするのは…私だったのかもしれないしね。」
背後からあかねを抱きしめて、彼女の肩に顔を乗せた。
ここで愛する人を見送るはずだったのは、取り残されて涙したのは……千歳ではなくて…。
「友雅さんは、有り得ませんから大丈夫ですよ。」
あかねの両手が、友雅の手を包み込んだ。
「私はここにいるでしょ?」
「……そうだね。こうしてちゃんと、抱きしめられるのだからね…」
友雅は彼女を抱き直し、そのまま何も言わずに唇を重ねた。
子どもたちがいる前で…なんて、普段なら拒まれそうだったが、今はそんなこともなく、あかねは彼の求めを黙って受け止めている。
本当なら、もう隠す必要はないのかもしれない。
文紀はともかく……千歳は、恋というものを知り始めたのだから。
「友雅さん、ちょっと耳…貸してくれます?」
唇を離してから、あかねがそっと友雅に言った。
彼女が言う通りに。耳打ちしやすいように首を傾けてみる。
「あのね……私も友雅さんのこと……ずっと愛してますから、ね?」
そう囁くように言ったあと、くすくすと笑ってごまかすように、あかねは友雅の胸に顔をうずめた。
「…とても魅惑的な言葉を聞いた気がするんだけれど、最後がよく聞こえなかったな。もう一回言ってくれないか?」
「ダメですよー。友雅さんがそういうこと言う時は、絶対に聞こえてるのにわざと言うんだから。騙されませんっ」
そう、聞き逃すはずもない。
どんなに小さな声でも、彼女の声なら聞き漏らさない。
恥ずかしそうに、耳元で"愛してます"と言った声も。
「…でも、言ったことは本当ですからね?」
腕の中で、あかねが笑っている。
暖かなぬくもりを抱きしめて、友雅は目を閉じた。
「君を幸せにしてやろうと思っているのに、幸せにしてもらっているのは、いつも私ばかりだな…」
出会ってから、今の今まで…これからもずっと。
彼女を愛することで、幸せは増えていく。来年の春には…もうひとつ。
「千歳、泣かなかったのは、偉かったね」
しがみついている千歳の髪を、友雅は撫でて抱き上げた。
だが、よく顔を見てみると、目尻には小さな涙のあとが分かったが、見なかったことにしてやろう。
「…またきっと会えますものっ。くしゃくしゃに泣いた顔なんて、見せたくありませんものっ」
「ふっ…そうだね。泣いた顔も可愛いけれども、詩紋には笑った顔で覚えていてもらいたいものね?」
こくんとうなずいて、千歳は友雅にしがみついた。
そんな彼女の王子様が、再び迎えに来るのはいつだろうか。
「その時までに、私いっぱい琵琶もお勉強も、歌も覚えるのっ。教えてもらったお料理も、一人で出来るように練習するわっ」
「じゃあ、これからは朝と夜のお手伝い、一緒にやりましょ」
あかねは千歳の目尻を指先でこすり、彼女の頬を軽く撫でてやった。
「大丈夫ですわ!。母様はお腹のおややのために、お休みになられて良いの。私がちゃんと代わりにお手伝いするわっ」
「それは頼もしいねえ。千歳は良い姉君になりそうだ。」
「僕も、力仕事とかだったらお手伝いします!」
「そうかい?文紀も良い兄君だね。きっと生まれてくる子も、喜んでいるよ。」
新しい命が産声を上げる日を、皆が楽しみに待っている。
……君に会える日を、今から心待ちにしているのだよ。
彼女の中の命に、友雅は心で語りかけた。
「さ…帰ろうか。今夜は父様が、眠るまで二人に話をしてあげよう」
「お話?母様がお話してくれるような、お姫様と王子様が出てくるお話?」
「そうだね…。月から来た姫君のお話だよ。」
千歳に話す友雅を、あかねは横からそっと見上げる。
その瞳に気付いた彼は、静かに微笑んだあと再び千歳を見た。
「月から来た姫君が、愛する人を見つけて…月に戻らず幸せに暮らすお話だ。」
「…友雅さん…」
文紀の手を繋ぎながら、千歳を抱いて前を歩く彼の背中を見つめる。
すうっと春の風が吹いて、水面を揺らしていく。
最高の権力を持つ帝でさえも、月に戻ることを止められなかった姫君。
だけど、ただ一人だけ…彼女を引き止められた男がいる。
地位や名誉ではなく、愛することだけしか出来ない男だけれど、何よりもそれが大切なもので。
それしかないけれども、だから二人は幸せになれる。
月明かりの中で、夜風に吹かれた桜が花を散らす。
水面に色鮮やかな花びらを靡かせた池を眺めながら、友雅たちは静かな神泉苑を後にした。
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