白雲の果て、春の雪

 第20話(3)
京にいた頃、双ケ丘には何度かやって来たことがあったが、その面影はやや変わっていた。
雑草の生い茂る山道は簡単に整備され、近くまで車も通れるほどになっている。
そして、殺風景に思えた一の丘には、二間ほどの素朴な庵が建っていた。
「へえー、のんびりしてて良いところだな。」
「まだ二人だけの頃に、よく忍んでやって来たんだよ。だから、生活道具などは殆ど兼ね備えてないんだがね。」
とは言えど、庵の裏には桜と楓の木が植えられ、庭先にはおだまきが咲く。
秋になれば山ぶどうや、あけびが実をつけるらしい。
「季節をそのままに楽しめる、心地良い場所だよ」
友雅はあかねを抱いて、子どもたちと共に庵に腰を下ろした。


「へえ、随分と上手くなったねえ、文紀。」
持参してきた鞠を天真と交互に蹴り合いながら、文紀は上達した蹴鞠の成果を皆に見せた。
「あ、うまい!」
文紀は器用に、天真が放り投げた鞠をつま先でひょいっと蹴り戻す。
そして、ぽんぽんぽん…と三回程度ではあるが、上手く膝で鞠を弾ませてみせる。
「兄様、御上手ですわっ!」
「おまえ、ホントに飲み込み早えなー。今度会いに来る時までに、もっと練習して上達しろよ?」
そう言って頭を撫でる天真も、自分には縁のない年の離れた男兄弟を見ているようで、文紀の存在が頼もしく思えた。

「何だか兄弟みたいねー、文紀と天真くんて」
同年代の宇敦が遊び友達だが、年が近いとライバル心が先走ってしまうようで、なかなか教え合うという気持ちにはなれないようだ。
友雅も一通り蹴鞠などは嗜んでいるが、教えてやれるほど得意というわけでもなかった。
もっぱら楽や弓を見てやるのがほとんどで、こうして蹴鞠を教えてもらうのは文紀にも新鮮なのだろう。
「代わりに千歳は、詩紋にお料理を教えてもらえたわね」
普段からあかねの手伝いはしているが、彼が教えてくれた菓子など初めて見るものばかりで、興味津々で彼の作業を覗いていた。
「詩紋殿に習ったお菓子、もっと作ってみたいですわ」
「じゃあ次に来るときには、レパートリーを増やしておかなくちゃね」
自然の素材だけで作る菓子…。和菓子のような雰囲気の洋菓子。
いろいろとアイデアが浮かびそうだ。


昼食を終えたあと、水干姿の千歳は身軽な身体で庭先へぽんと飛び降りた。
「あのね、詩紋殿。お庭の向こうにある高台からね、とっても綺麗な景色が眺められるのよ?」
千歳が指を指したのは、緑が増え始めた楓の木の裏。
「お見せしたいの。すごく綺麗なのよ、ね?父様?」
「…そうだね。天気が良いから、遠くまでよく見えるだろうね。」
空は薄雲が掛かる晴天。空気がどこまでも透き通っている。
目を凝らせば天空まで覗けそうな、心地良い暖かな春の日だ。

友雅はあかねの手を取り、生い茂った草木をかき分けた。
緑の向こう側に見えるのは、眼下いっぱいに広がる京の町。
「うわ、良い眺めだねー!」
所々に桜の色、山は鮮やかな緑に染まり、人々が息づく家並みがぎっしりと地上を覆っていた。
「君たちがいた頃よりも、今の京はずっと豊かで穏やかで…賑やかだ。」
穢れで朽ち果てた場所もなく、市に行けば威勢の良い売り子たちが新鮮な食物を並べる。
笑い声がどこからともなく聞こえ、花や草木が咲き乱れる町の風景。
「あの頃とは雲泥の差だ。京の町も、詩紋やイノリのように、良い方向へと成長しているんだよ。」

こんな風にゆっくりと町を眺める余裕なんて、あの頃は一度もなかった。
毎日、鬼たちと向かい合うことを考えて、自分たちの役目でせいいっぱいだったけれど…こうして数年後に再び訪れた京は、あの日自分たちが取り戻そうとした、豊かな世界だ。
「君たちがここから離れても、私たちの思い描いていた京は、ずっとこうして変わらずにいるよ。」
貴族、庶民、それぞれの生活の中で、個々の迷いや些細な争いはあるだろう。
それでもみんな、懸命に生きている。
一日一日を大切に、そして明日という未来に希望を馳せながら。

「……だから、またいつか会いにおいで。」
千歳を片腕に抱いて、友雅が詩紋たちの背中を叩く。
「ここは君たちが取り戻した町だ。君たちの…もうひとつの故郷だと思って、また様子を見に来ると良い。」
「そうだね。例えて言うなら…天真くんたちは名誉市民っていうところかな?」
「名誉市民ねえ〜?」
あかねの言葉に、軽く吹き出すように天真は笑った。

もうひとつの故郷…か。
あれっぽっちしかいなかったっていうのに、確かに再びやって来た京は、どことなく懐かしくて。
当時とは違って活気づいた町を見ると、無性に嬉しくなったりした。
正義のヒーローを気取るつもりじゃないけれど、この穏やかな世界を取り戻すことに自分たちの力が役立ったなら、やはり嬉しいに越したことはない。
「また京に来たら、うちを宿にしてね。客間はちゃんと空けておいてあげるから」
「おう。次はどこに飛び出るか分かんねえけど、四条の橘邸に連れてけ、って暴れてやるから用意しとけ?」
明るい笑い声が響き渡る。
風に乗せて、それらは京の町に溶けるように流れて行った。





「ねえ、本当に今夜帰っちゃうの?」
夕暮れになって屋敷に戻り、部屋の片付けをし始めた二人を眺めながら、あかねが言う。
分かっていたが、その時が近付くと寂しさは隠せない。
「俺らも忙しいしさ。新人社会人が、最初っからのらりとしてたら、首切られしまいそうだし、頑張らねえと。」
借り物の狩衣を折りたたみ、シャツに袖を通してジャケットを羽織る。
首に掛けたネクタイも、ぱっと簡単に結べるのが当たり前になって。
「何か天真くんがスーツって、変な感じ」
「あぁん?おまえまで詩紋と同じ、小憎らしいこと言いやがって」
「だって、あまり印象ないんだもんー」
寂しさを紛らわすかのように、あかねたちはわざと賑やかに笑い合う。
宛てのない再会の日が、いつ来るか分からないからこそ、今の一秒でも楽しく過ごしたいと思った。


「ねえ…父様、お願いがあるの」
天真たちの部屋に向かう途中で、、ぴたっと千歳がその場で立ち止まり、友雅の手を引っ張った。
「あのね、詩紋殿…と天真殿にね、贈り物をしたいの。お土産になるようなものを、御送りしたいの。」
「そうか。そうだねえ…でも、もう遅いし、今から用意するものも限られてしまうけれど。」
かと言って屋敷の中に、そんなたいそうなものがあるわけでもない。
衣や刀なんて持ち帰らせても、向こうの世界では逆に不便だろう。

「お花とかは、どうかなあ?」
文紀が庭を指差した。
溢れるほどに咲き誇る花に囲まれた庭から、それらを切り落としてもたいして見映えは変わらない。
だが、それではすぐに枯れてしまって、後には何も残らないだろう。

「…ああ、そうだ。やはり二人には、手土産に花を贈ってあげることにしよう。」
ふと、友雅は気がついた。
たったひとつだけ、永遠に枯れることのない花がここにはある。
その一枝を、彼らに持たせてやろう。
「二人とも、おいで。桜を一枝ずつ、天真たちに手渡してあげよう。」
「桜ですか?お庭の?」
見渡せば数本の桜が、もうほころび始めて花を散らしている。
「いや、父様と母様の寝所の近くにある、小さな桜の枝だよ。」
「ずうっと咲いている桜の木ね?」
「そうだよ。あれは、父様と母様と…文紀たちが元気で幸せに暮らしている証だからね。」
手が届かなくても、姿は見えなくても、こうして幸せに過ごしている。
例え離れて暮らしていても、その枝に咲く花を見るたびに、そんなことを思い出してくれれば良い。



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Megumi,Ka

suga