広間に行くと、既に朝食の支度は各自分揃えられていた。
侍女たちはまだ行き来しているが、あかねは一人つまらなそうに席に着いている。
「だって、みんなが大人しくしてって言うんだもの…。私、全然平気なのに〜。」
不服そうに言うあかねを見ながら、天真は向かい側に、友雅は彼女の隣に腰を下ろした。
「毎日こんなんじゃ、朝が暇になっちゃいますよー。」
「良いんじゃないかい?それなら床の中でゆっくりと、まどろみを一緒に楽しめば良いしね」
「きゃ〜!朝からっ!天真くんが見てるのに〜!」
友雅はあかねの肩を抱き寄せ、その頬に唇を這わせる。
面と向かった先に、天真が座っているのもおかまい無しで、その唇は次第にあかねの唇に引き寄せられて行く。
「あ、別にもう慣れたから、オレ」
さらっとあっさり天真が答えて、ぎょっとするあかねだったが、そうなると遠慮も何も関係ないのが友雅である。
「そうかい?じゃあ御厚意に甘えて。」
「ちょっと、ちょっと待ってっ!とっ、友雅さんってばあー!」
よろけて後ろにのけぞり掛かるあかねに、そのまま覆い被さろうと手を付く友雅。
じたばたしても、彼の力には敵うわけもない。
「……おーい、限度だけは考えろー?朝っぱらから張り切るなよー?一応人目くらいは気にしろー?」
呆れながら天真は、抱き合う二人の背中に一応声を掛けた。
「まあ、殿!奥方様に何てことを!」
広間にやってきた侍女が、主の光景を見て驚きの声を上げた。
彼女の後ろには、支度を済ませた子ども達の姿がある。
「奥方様は大切なお身体なのですから、無茶なことはなりません!」
「平気平気。そこのところはわきまえているから。何せ、こういうことは二度目だからね。」
友雅はそう言って、あかねの身体を抱き起こした。
そう、彼女が命を宿したのは二度目。
最初の頃は何もかもが初めてで、随分と戸惑ったり焦ったりと、過剰に慌ただしい日々が続いたものだった。
それでも無事に生まれた子供たちは、こうして目の前で元気に動き回っている。
「彼女の中の子も、両親がこんな風に仲良くしていれば、嬉しいに違いないさ。」
「まったく、殿は何かと理由をつけるのが御上手で困りますわ。」
はあ…と、侍女は溜息をついた。彼女の気苦労が、しみじみと天真は分かった。
厨房から祥穂たちと共に、詩紋が羹の碗を抱えてやってきた。
「あ、みんな集まったんだね。丁度良かった、あったかいお汁が出来たから、冷めないうちにどうぞ」
黄金色に澄み切ったすまし汁を、一人一人の膳の上に並べる。
子供用の小さな碗を二つ。
詩紋が千歳の前にそれを置いたとき、彼女が顔を上げた。
「詩紋殿…もうすぐお別れなのね?」
「え?」
大きな瞳が、いつもよりもきらきらしている。だが、それは彼女の目が潤んでいるからだと、詩紋は気付いた。
「…うん。今日の夜か明日には…帰らなきゃいけないんだ」
詩紋が答えると、千歳はうつむいてそれきり何も言わなかった。
「千歳、さっき父様が言ったこと、ちゃんと覚えているかい?」
静かに顔を上げると、友雅がこちらを見ていることに千歳は気付く。
そして、彼がさっき抱きしめてくれた時に言った言葉を、一生懸命に思い出そうとした。
「……お別れしても…また会えるって、本当?」
今にも泣き出しそうな顔で、じっと千歳は詩紋を見つめる。
いつもはきはきして元気な彼女が、人形のように身動きも出来ずに、ただ目の前の詩紋だけを見ている。
艶やかな瞳を潤ませて、唇を噛み締めて。
「うん。きっとまた会えるよ。またみんなに会いに来るから…それまで、ちょっと離れるだけだから。」
「ホントに、ホントに?」
「うん、約束するよ。その時はね、千歳ちゃんが好きそうなお菓子作って、持って来てあげる。」
「手作りのウェディングケーキか?」
ニヤニヤと笑いながら、天真が口を挟んだ。
「ウェディングケーキ…とは何なんだい?」
隣でくすくす笑うあかねに、友雅はそっと耳うちして尋ねた。
「私たちの世界で、結婚式の時に食べるお菓子なんです。ナイフっていう小刀みたいなもので、一緒にそれを切るのが夫婦の最初の共同作業ってことで、そういうことをする習わしなんですよ。」
「へえ…。それじゃ、そのナイフというものはイノリに頼んで作ってもらおうか」
「ふふふっ…それ、良い提案ですねえ」
夢物語が叶うと決まったわけではないけれど、何だかそんなことを思い描いていると嬉しくなる。
果たして、詩紋が本当にウェディングケーキを手に、再びここにやってくるのかどうか…まだまだそれは先の話だ。
だけど、何となく信じていたい気がする。
我が子の初恋が花開く、その時を。
「さて、と。もうすぐ向こうに帰るというのなら、最後に皆で今日は出掛けてみないかい?」
朝餉の最中に、友雅がそう切り出した。
「またいつか会えるにしても、すぐには無理だろう。だから、想い出作りにのんびりと六人で近場にでも、と思ったんだが。」
宇治の別荘なら気候も良い時期だが、今日・明日に帰る彼らには少し移動距離が掛かる。
四条から日帰りで気軽に行けるとしたら…。
「双ケ丘近くの庵かな」
別荘とは言えないほどの、簡素で小さな庵を友雅はあの場所に建てた。
あれは、あかねを迎えてすぐの頃だっただろう。
以前からあの地に、のんびりと過ごせる庵でも…と彼女に話してはいたが、晴れて夫婦となった機会にそれを現実にした。
遠出をしなくとも、静かで眺めの良い場所だ。喧噪を離れて、二人逢瀬を重ねる気分を楽しんだ、想い出の場所でもある。
「あかねも、あの辺りなら体調を気にせず出掛けられるだろう?」
「私は大丈夫ですってば。」
友雅にも気遣われたのが息苦しくて、拗ねたようにあかねは答えた。
「じゃあ、これからお弁当作って持って行こうよ」
町中では少しずつ散り始めた桜も、あの辺りならまだ咲いているかもしれない。
それに、丘の上から景色を眺めてみれば、近くにある仁和寺の御室桜も眺められるだろう。
「君たちの世界での、花見に習ってみるのも良いね。」
酒をたしなみながらの夜桜も良いが、子供たちにとっては明るい日差しの中で、花と戯れる方が楽しいかもしれない。
「それじゃ、僕はもう一回台所使わせてもらうね!」
朝餉もそこそこに済ませ、張り切って詩紋が立ち上がった。
六人分の弁当の用意ともなれば、侍女たちにも手伝ってもらわねばなるまい。
「私も…お手伝いしたいですわ。」
粥の入った碗を置いて、千歳がすくっと立ち上がった。
そして、たたたっと詩紋のところへ駆けて行き、彼の腕にしがみついた。
「…良いよ。じゃあ一緒にお弁当作ろうね?」
詩紋は小さな千歳の手を取り、包むようにしっかり握ったまま、彼女の連れて厨房へと向かった。
「おまえらの娘、結構いざとなると積極的だなあ。どっちに似たんだ?」
二人が姿を消したあと、天真が笑いながらあかねたちに問い掛けた。
「さあ…どっちだろうね?」
友雅はあかねの顔を見て、艶やかに微笑みかける。
この恋を導いたのは…どっち?
君に惹かれたのがはじまりなのか。
それとも君が私を見つめてくれたのがはじまりか…。
「順番なんて、もうどうでも良いか。求め合っているのは、君も私も同じだものね?」
「…あ、むっ」
即座に天真が、隣にいた文紀の目を覆った。
「まだおまえには、ちょーっと早いからなー。妹みたいにお目当てが出来たら、いろいろ両親に教えてもらえ。」
とは言っても、刺激の限度にもよるか…。
身体を寄せ合う二人から視線を逸らし、はあ、と彼は天を仰いだ。
|