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白雲の果て、春の雪
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| 第19話(3) |
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演奏を一通り終えたあと、彼らには皆から拍手が送られたが、友雅のそばにいた千歳は少し機嫌が宜しくない。
「父様ったら、ひどいですわっ。急に弾いてごらんなさいって言われても、私、緊張して指が上手く動かなかったのよっ」
薄い紅を引いた小さな唇を尖らせ、友雅の袖をくいっと引っ張って顔を見上げる。
宴で演奏をするために、琵琶の練習をしてはいた。
なのに、急に全く弾いたこともない曲を、一緒に弾くようにと連れ出されたところで、上手くこなせっこない。
せっかく練習していた曲があったのに…と頬を膨らませている千歳に、帝が声をかけた。
「いや、初めてにしては随分と滑らかな音だったよ、千歳殿」
「ええ本当に。文紀様の笛も…先日聞かせて頂いたときより、更に艶が出てお見事でしたわよ?」
「あ…ありがとうございますっ」
こちらにも言葉が掛けられて、慌てながら文紀は頭を下げた。
気がつけば、もう随分と夜が更けていた。
楽しい時間は、常に早く流れて行ってしまうもの。名残惜しいのは誰もが同じだが、宴の幕を引く時間もそろそろ近付いている。
「では千歳様…練習されておられた曲を、最後に演奏致しましょうか?」
「本当?」
「もちろんです。構いませんでしょう?」
永泉の提案に、帝も喜んでうなづいた。
「それじゃ-------やってみようか」
友雅が琵琶を構えると、千歳もそれに習って小さな手で琵琶を抱える。
文紀も永泉の姿勢を手本に笛を手に、すうっと息を吹き出す。
「あ、これって"さくらさくら"…?」
まさかこの世界で、この曲を耳にするとは。
詩紋が驚いていると、あかねが隣で笑う。
「うん、そう。私があの子たちに教えてあげたの。小さい頃に、子守歌代わりに歌ってあげてたら、覚えちゃったみたい。」
「へえ……」
闇の折りた夜の闇の中、庭で明かりに照らされる桜の花。
流れる優美な旋律と共に、ふわりと花びらは舞い踊る。
「綺麗な曲だから、琵琶や笛でも弾けるようになったら良いねって、友雅さんが教えてくれてたの。」
それも今じゃ、しっかりと奏でることが出来るようになった。
教えてやった歌詞も覚えて、時々一緒に歌ったりしながら。
「……お父さんとお姉ちゃんとお兄ちゃんの演奏、お腹の子も喜んで聞いてるかもしれないね」
ちらっとあかねの腹部を見て、詩紋は柔らかく笑った。
まったくそんな形跡は感じられないけれど、彼女の身体には新しい命が芽吹き始めている。
それはまだ小さくて、意識も何もないかもしれない。
だけど、母親の心音と、彼女が耳で受け止めたその音は、きっとその命にも何かしらの形で伝わっていくはずだ。
「なあ、天真…どうする?」
お開きの時間を迎え、イノリは腕組みをして仁王立ちのまま、困ったように大きな溜息を着いた。
足元には、顔を赤くして高いびきをかいている天真が、転がっていた。
「どーしよ…。友雅さんに手伝ってもらって、車に乗せよっか…」
とは思ったが、彼は子供たちの世話があるだろうし、何よりあかねの身の心配をせねばなるまい。
「……仕方がない奴だ。私が抱えて車まで連れて行こう。」
相棒の醜態に呆れ果てていた頼久が、再び後始末を買って出てくれた。
そうは言っても、やはり同じ青龍同士である。
こんな世話であっても、互いに接することが出来るのが嬉しいみたいだ。
困った様子をしつつ、どこか苦笑いで目元を緩ませて、彼は天真を持ち上げる。
「ああ、ちと待て。その前に酒気を払っておこう。このまま車に乗せては、子供たちが可哀想だからな」
晴明に指示された泰明は、天真の前で呪を唱えてから、軽く九字を切った。
酒気はこれで払えたらしいが、彼は爆睡したまま目を覚まさない。
そのまま天真は頼久に担がれて、車宿の方へと連れて行かれた。
「あらあら、お二人も少し眠くなってしまわれたのでしょうか。」
藤姫が覗き込むと、文紀も千歳もぼやあっとした表情で、瞼がとろんとしている。
普段なら、もう床の中に入っている時刻。眠くなるのも仕方がない。
「賑やかな宴となりましたから、疲れてしまったのかもしれませんね。」
あんなにはしゃいでいた千歳も、すっかり大人しくなってしまって。
鷹通の声に、黙ってこくっとうなづくだけ。
文紀も、いつものしっかり背筋を伸ばした感じが全然ない。
「さ、それじゃあ車に行こうか。中なら眠っても構わないからね。」
友雅は千歳を抱き上げ、もう片方で文紀の手を握った。
「今宵は…皆様と再びこのような形で御会い出来て…楽しい時間を過ごさせて頂きました……」
小さな声を詰まらせながら、藤姫は深く頭を下げた。
今思えば、ほんのひと時。夢のような時間だった。
もう会えないと思っていた人々と、あの頃のように共に過ごせた、うたかたの時。
この夜が終われば…次に会えるのはいつの日か。
そう思うと、やはり込み上げるものが我慢出来なかった。
「藤姫殿、主上も言って下さっただろう。これからは、頃合いを見てあかねを連れて参内するよ。」
友雅が言うと、永泉もそれに続いた。
「よろしければ、私も参内する折りにはお伺いさせて頂きます。」
「…私はこちらに上がる事は出来ませんが、お屋敷に戻られる際には何なりとお申し付け下さい。」
頼久は彼女の家の一員として、そう告げて頭を下げた。
「詩紋殿や天真殿も、これで今生の別れには早すぎる。機会があれば…またこうして再会することもあるはずだぞ。」
安倍家の車の前に立つ晴明が、泰明の隣で藤姫にそう告げた。
「うん、もしそうなったら…僕、また藤姫に会いに来るから!」
その頃には、彼女はどんな地位にいるだろうか。
もしかしたらこんな風に、簡単に会える立場ではないかもしれないけれど……。
「その時は、また私に伝えてくれれば良い。今宵のような夢のひとときを、再び楽しめるように配慮しよう。」
「勿論ですわ。その時は…文紀様も千歳様も、さぞかし艶やかなお姿になられているでしょうねえ。想像しただけでも、うっとりしてしまいますわ。」
そして、その時にこの子は……。
あかねは自分の腹部に、そっと手を当てる。
男の子だろうか?それとも女の子?まさかまた双子だったりして……。
まだまだそんな気配も自覚もないけれど、次の桜が咲く頃には、この腕に新しい命を抱くようになる。
「神子様、お身体にお気をつけて下さいませ。元気なやや様をお産みになられますよう…」
「だ、大丈夫。まだまだ気が早いよ、藤姫…」
瞳を潤ませて手を握る藤姫に、少し照れながらあかねは答えた。
「それじゃ、藤姫、またね!」
開けた物見の窓の中から、詩紋が藤姫たちに向かって手を振った。
またきっと会えるチャンスはあるから、しめっぽい別れなんてしない方が良い。
再会の日を楽しみに、待ち続ける方がずっと良い。
中宮や帝に肩を支えられながら、それでも懸命に微笑みを作って藤姫は手を振り続けていた。
「あーあ、楽しかったけど…終わっちゃったね。」
牛車は橘家へ戻る道を、ゆっくりと進んでいる。
相変わらず天真は爆睡中で、起きる気配など微塵もない。
そして、うつらうつらしていた子供たちも、友雅や詩紋に寄っかかって寝息を立て始めていた。
「でも、やっぱり最後まで分かんなかったな…。どうして変わった人と変わらない人がいるんだろう…?」
詩紋とイノリと藤姫は成長しているのに、他は殆ど変わっていない。
泰明は"何かしらの意味があってのことだろう"と言っていたが、その意味は結局分からず終いだ。
すると、友雅が口を開いた。
「それもまた、私たちが八葉であるが故だろうと、晴明殿は言っていたよ。」
八葉であるから。それは元を辿っていけば、神子であるあかねがここにいるからなのだ、と晴明は言っていた。
「鷹通も頼久も、八葉としての心を失ってはいないんだ。君のことをずっと、色々な意味で護って行きたいと思っているんだよ。」
友雅は自分の衣を子どもたちに掛けてやり、そのあどけない寝顔を眺めながらあかねに話す。
「だから、ずっとあの頃のままで変わらないんだそうだ。衰えずにいられれば…出来るだけ長く君のことを護っていけるからね」
「……そんな理由で…?」
「正確には分からないよ?ただ、そういう事なんじゃないかなって…晴明殿はこれまで調べてきた中で、ようやく立てられた仮説らしい。」
あかねは話を聞いて、驚くと同時に胸がいっぱいになった。
愛する人に愛されることでさえ、この上ない幸せだと思っていたのに…あれから何年が過ぎても、皆がずっと自分を気に止めてくれていること。
さりげなく少し離れて見守ってくれる、そんな彼らの心が…言葉に出来ないほど嬉しくてたまらなかった。
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