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白雲の果て、春の雪
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| 第18話(3) |
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「随分と久しぶりの昇殿だな、晴明殿」
部屋に入ったとたんに、まず彼に出迎えの声を掛けたのは帝であった。
さすがに彼もその場で深く頭を垂れたが、すぐに弟子の泰明が近寄って来た。
「何故急にここへ?参内するという話は、おっしゃっておられなかったと思うが」
「うむ、まあな。別に今急ぐことではないとは思うのだが、せっかく皆が集まっているとのことであるし、それならばと思ってな。」
晴明は白い髭を弄びながら、特に焦った様子も見せずに淡々と話す。
だが、それが逆に泰明にとっては不思議で仕方がない。
「おお、そちらにおられるのは…神子と友雅殿の御子であるな?」
八葉たちに囲まれて、こちらを見ている幼い二人の子供を見つけると、晴明は彼らに穏やかな笑みを向けた。
それを見て、二人は小走りに駆けて行く。
「晴明様っ!随分とお久しぶりですわねっ」
「そうだなあ。前に会ったのは三つの祝いの席以来かのう。色々忙しくてなあ。」
二人の頭を撫でながら、晴明はこれまで会えなかったことを詫びたが、子供たちは今こうして会えていることの方が嬉しいようだ。
「…何か、ものすごく珍妙な光景を見てるような気がするぜ、オレ」
天真がぽつりとこぼしたので、あかねも友雅も笑いが込み上げて来た。
京でも取っ付きにくさで評判の二人が、子供相手にすっかり緊張も解いて穏やかに接していて。
さながら晴明が千歳たちをあやしている姿は、まるで孫を可愛がる翁のようにも見える。
「友雅殿は良いとして、神子とも久しぶりに会うな」
「あ、はい…どうもお久しぶりです。いつも泰明さんにはお世話になっていて…」
「ははは、いくらでもこき使ってやって構わぬよ。こやつは今でも、神子の八葉だと思っているようだからな。」
などと言いながら、軽快に晴明は笑う。
その後から泰明に連れられて、千歳たちが戻って来た。
「目に見えて、健やかに育っているようで何よりだな」
「ええ。これも、この子たちが生まれる前から、いろいろと晴明殿方のお力を頂いたおかげでしょうね。親として感謝しておりますよ。」
友雅は千歳を、ふわりと抱き上げる。
生まれたばかりの頃は、片手でも二人同時に抱えられるくらいだったのに、今はもう両手で一人が精一杯だ。
時が流れるにつれて身の丈も重さも増えて、その都度輝きを増して行く我が子を眺めるのが、こんなにも幸せなものなのかと感慨深く思うこともある。
この子たちが生まれなければ、そんな気持ちを知ることもなかっただろう。
そして、彼女がいなければ…彼らを抱くこともなかったに違いない。
「御子二人とも、随分と立派になった。もう十分に、一人前と言えるだろうな」
「ふふ…まあ、いろいろと達者にはなりましたけれどもね。ですが、まだまだ一人前には程遠いですよ。」
友雅は笑いながら言うと、その隣に寄り添うあかねも共に笑った。
「いやいや、一人前と言っても色々あるのだよ。成人するのが一人前でもなかろう。子供として一人前、という意味があっても良いとは思わんか?」
「なるほど。晴明殿のおっしゃる事は、一理あるかもしれませんね」
鷹通は水菓子の皮を剥き、それを文紀に差し出してやりながら言った。
物心もつくようになり、自分から意志を持って行動出来るようになった彼ら。
まだまだ元服や成人には時間があるけれど、そういうことなら一人前の子供と言っても良いだろう。
「一人前と認めてやっても良かろう?これからのためにもな」
………これからのため?
それはどういう意味なのだ?友雅と顔を見合わせながら、あかねは首を傾げた。
「お師匠、何を申される?」
おそらくそこにいる全員が、首をかしげて晴明の言葉の意味を考えただろう。
すると、晴明はあかねの肩にそっと手を置き、けれど顔は友雅を見上げた。
「来年の春には、そなた方の屋敷も更に賑やかになるだろう。」
……えっ?
二人は、もう一度顔を見合わせた。
次に晴明は、子供たちを見て言う。
「そなた方もな、これからは兄上・姉上として、父上と共に母上の身を敬って行くのだぞ?」
…………誰もが一瞬、息を飲んだ。
そして次の瞬間に、皆があかねと友雅を取り囲む。
「もしかして!もしかして…あかねちゃんっ……」
「…えっ……」
あかねは放心状態だった。
自分が今どんな状況にいるのか、思考回路が動かなかった。
だが、それは友雅も同じことで。
いくら身の変化はあかねに起きていることだとしても、それは二人の……大切なことだから。
「せ、晴明殿!神子様の…神子様のお身体には、もしや…」
藤姫が瞳の奥を潤わせながら振り向くと、晴明は静かに黙ったままうなづく。
「これは…まさかこんな、めでたい機会に遭遇するとはな…」
溜息のように帝がこぼすと、そばにいた中宮があかねの元へと駆け寄る。
「奥方様!まあ何て申し上げれば良いのかしら…!」
「あ、あの……その…」
彼女に手を握られ、八葉たちに取り囲まれ、あかねは戸惑っているばかり。
友雅もまだ呆然とした感覚でいたが、抱いていた千歳の声に、我に返る。
「母様……おややが生まれるの?」
「ええ、そうですわよ、千歳様はお姉様になられるのですよ。」
気持ちが定まらない友雅に代って、藤姫が喜び溢れる表情でそう答えた。
「弟君か妹君か…ご兄弟が出来るのですよ。」
「ホント?父様、ホント?」
藤姫や永泉が答えてくれても、千歳はどうしても父である友雅から、確かな答えが聞きたいようだ。
とは言っても、まだ気持ちが早まっていて…言葉が上手く出て来ない。
あの頃と同じだ。この子たちを宿したと告げられた時と。
それはあまりにも突然で。
いずれは…と思っていたが、実際にその場に立ち会うとなると、自覚するまでに時間が掛かって。
だけど、そのとたんに胸の中に、暖かなものがすうっと広がってきて。
「と、友雅……さ…ん…」
あかねが、おぼつかない瞳で見ている。
突然のことに、気持ちが着いて行かないのはお互い様だ。
その小さな身体に宿した命は、紛れもなく彼女と…友雅の絆が作り上げたもの。
愛さなければ、授からなかったもの。みっつめの、宝の原石。
「…君っていう人は…本当に…」
友雅は目を閉じると、前髪を掻き上げて溜息とともに苦笑した。
一体これまで、悩み胸を傷めたのは何だったんだろう。
すべてが終わったそのあとで……こんな形でお互いの想いの結晶を目の当たりにするなんて。
友雅は手を伸ばして、あかねを抱き寄せた。
言葉などはいらないから、ただ彼女を抱きしめたくて…たまらなくて。
何か気の利いた言葉を言うより、こうする方が想いを伝えられそうな気がして。
イノリが横から手を伸ばし、彼の腕に抱かれていた千歳を受け取る。
千歳を預け、自由になった両手を背中にまわし、友雅はあかねを抱きしめた。
強く抱こうとしたが、その身体に輝く宝石があることを思い出し、そっと包むように、それでもしっかりと彼女を抱きしめながら、目を閉じる。
耳を澄ましても、まだ命の鼓動は聞こえはしないだろう。
けれども、こうして彼女を抱いていれば、やがて目を覚ますであろう小さな命も、同時に抱きしめてやれるはず。
「……本当にいつも君に、驚かされてばかりだ…」
「あの…わた…私…その……」
腕の中に閉じ込められて、あかねは乱れた鼓動に声を震わせる。
そんな彼女を抱きしめながら、ゆっくりと友雅は想いを噛みしめた。
「喜ばせることばかりだよ…君が私に与えてくれるものは…」
初めて感じた、あの胸が詰まるほどの歓喜と暖かさを、もう一度この胸に感じられる日が来る。
すべて…彼女がここにいたから。
ここにいて、愛することを許してくれていたから…。
「来年の春は…また華やかな春になりそうだね」
「次は必ず、私にも会わせて頂きたいわ。主上はお二人がお生まれになった時も、こっそりとこちらにお招きして…ずるいですわ。」
中宮が拗ねるように言うので、帝は苦笑しながら昔のことを思い出した。
ようやく這い出せるようになった頃に、やっと会うことの出来た文紀たちの愛らしさと言ったら。
そして、そんな子供たちを見守る二人の表情が、幸せに満ち溢れていたことを今も忘れられない。
愛する者がそばにいること。それが、何よりも幸福であること。
あの時の彼の表情が、それを物語っていた。
そして、それは今も続いている。
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