白雲の果て、春の雪

 第18話(2)
「でね、天真殿が川に連れて行って下さって…」
「それは楽しそうですね。今の時期は、外も暖かくて気持ちが良いでしょう。」
「うん、お水も冷たかったけど、とても気持ち良かったわ」
千歳は鷹通の隣で、この間のことをあれこれと話し続けている。
「ですが、河原は足を怪我する事もございます。滑らぬようお気をつけ下さい。」
「分かってるわ、絶対に急がないで、そーっと足場を見て歩くわ。」
今度は反対側の頼久に、千歳は答える。

「それで、父様のお知り合いの方に教えてもらっているのです。」
「あの方は、笛の演奏では名高い御方ですよ、文紀殿。その方にお誉めを頂くとは、それだけ文紀殿が優れていることでしょう」
「…どうなんだろう。まだ僕は、そうは思えないのですけれども…」
永泉に話を聞いてもらいながらも、文紀はまだ遠慮がちに答えると、今度は横から泰明が代わりに口を挟む。
「あの男は、世辞を言うような男ではない。文紀に言ったことは、嘘ではない。」
「ホントに…そうですか?」
「おまえの笛の音は、永泉に比べればまだ稚拙ではあるが、その年令では十分すぎるほどだ。いずれは良い名手になれる力がある。」
「……なら、良いんですけど。」
泰明も、お世辞などを一切使わない者である。
だからこそ、文紀は少しホッとした顔をした。

「おまえらの子供ってさあ、他の奴らと完璧に打ち解けてんのな。」
用意されている乾物や肴をつまみながら、子供たちと話している面々を眺めつつ、天真が感心したように言った。
「うん、そう。生まれつき尻込みしない子だったから…。それに、やっぱりみんなちょくちょく顔を見に来たりしてくれてたから、二人にとっては全員が親戚の伯父さんみたいな感じなんじゃない?」
「あの泰明も、平気でチビと話してるんだもんなあ」
「みんな、生まれたときから可愛がってくれてたからねえ。」
友雅や天真たちに酒を注ぎながら、あかねもそんな光景を眺めてみる。
別々に暮らしていたとしても、みんな自分の家族のように、いつも自分たちと子供たちを気にかけてくれている。


「あの子たちが懐いている理由は、それだけじゃないと思うよ。」
あかねが注いでくれた盃の酒を、二口ほど口に運んだあとで友雅が言った。
「おそらく無意識のうちに、彼らが私たちの…自分たちの両親の、大切な友人たちなのだと分かっているからだと思うよ。」
--------例えば鷹通とイノリでは、全く違うタイプの人間だ。
泰明など、普通の大人でも取っ付き難いのに、二人は動じたことなど全くない。
しかもその泰明自体が、自ら子供たちに話しかけたりもするのだから、何も知らない者は驚くだろう。
「だけど、そんな風に全く違う性格の彼らでも、本能が心から信じていい者なのだと、あの子たちは分かっているんだよ。」
長く付き合って来た知人や親類などより、数ヶ月の間を共に過ごした彼らの方が信頼出来る。
友雅もあかねも、そう思って来た。
それは、間違いなく二人の子供たちの遺伝子に、しっかりと刻まれているはず。

「だから……初対面の天真たちでさえ、あんな風にすぐ懐いたんだよ。」
そう言って、友雅は詩紋と天真の方に目をやった。
「急に珍しい格好の男が現れたら、普通は誰だって驚くか騒ぎ立てるかだろう。なのに、全然平気に話していたんじゃないのかい?」
「…そういえば…そう、かなあ…」
出会った時のことを、詩紋は思い出してみる。
服装と言うよりも、この否応にも目立つ髪と面持ちを見られたら、と慌てたのは自分の方だ。
文紀は驚くこともなく慌てもせず、しっかりと向き合って話してくれたっけ。
「確かになあ…。きゃーとか騒ぐと思ったら、どこから来たのかとかどこに行くのかとか、向こうから尋ねて来たもんなあ、おまえんとこの娘」
あまりに堂々としているので、こっちが戸惑ったくらいだ。

天真たちの話を、友雅は微笑みながら耳を傾ける。
「だからね、ちゃんと分かっているんだよ。君らも含めて、みんなが自分たちを護ってくれる人なんだってね。」
子供は素直だから、余計なことなど考えたりしない。
ひとつのことに気を取られて、そんな当たり前のことを忘れるなんてことはないだろう。
「…分からなかったのは、私の方だよ。悪かったね。」
「あ、あの、別にそれはもう良いじゃないですか!すべて丸く治まったんだし!」
目を伏せた友雅に、詩紋が慌てるようにじたばたしながら弁護した。
「…そう思ってくれると、私も有り難いよ。」

こつん、と肩に少し重みが掛かる。
隣に目をやれば、あかねがそっと寄り添っている。
彼女が幸せになれるのは、自分のそば以外にあるわけがない。
月に帰りたいだなんて、思わせたりするものか。
そのために、彼女を愛することを誓ったのだ。あの時に。
盃を右手に持ち替えて、友雅はあかねの肩を抱き寄せた。


「おい!だからって、ここでまたいちゃつくのはよせ!みんな見てるんだぞ!」
さっきよりも二人の密着度が高くなった事に気付き、天真が思わず声を上げる。
だが、あろうことかそれを寛容に受ける者の声がした。
「…私は構わないがな?」
くすくすと笑いを含んで、帝が酒を口にしながら言うと、中宮がそれに続く。
「ええ、私も別に?どのみち、いつも参内しては、奥方様との仲睦まじさを延々惚気て行く友雅ですもの。別に今更、何があろうと構いませんけど?」
「姉様!お口が過ぎますわ!はしたないですわよっ!」
今度は藤姫の方が、慌てて姉をせき止めた。

「……お言葉に甘えたいところではありますが…ね。」
「えっ!?」
ぐっと背中を抱きかかえられて、友雅の顔が近くなる。
まさかそんな、いくら何でも主上の御前で!?
しかも中宮様も藤姫も、子供たちもみんな見てるのに〜っ!?
酒など殆ど飲んでいないのに、既に真っ赤になっているあかねが目を閉じると、重なるかと思った唇は…瞼にそっと触れただけだった。
「私は一向に構わないのですが、彼女は意外に照れ屋でしてね。お披露目するのは、この程度でご勘弁願えませんでしょうかね?」
「いっ、意外にって何ですか、それっ。友雅さん、一言余計!」
唇を尖らせながら友雅を睨むあかねを、帝と中宮たちは顔を見合わせながら表情を緩ませた。

……心配など、必要なかっただろう?
そなた方を引き裂けるものなど、どこにもありはしないのだよ。
桃源郷に我らが行けないのと同じように、その中で生きるそなた方を邪魔することなど、龍神でも出来ないだろう。
こんなにも、多くの仲間が護る力を持っているのだから、何も心を惑わすことはないのだ。
……今宵の酒は、妙に美味く感じるな、と帝は思いつつ、戯れ合うような二人の姿を瞳に映した。




「お師匠の気が、すぐそこまで来ている」
急に泰明が立ち上がり、庭の向こう側を見るような視線を遠くへ投げた。
晴明が参内するという話は、聞いてはいなかったが…と、帝は不思議な顔をした。
そもそも、それならば泰明が何か言伝をもらっているはずだ。
その彼も、今はじめて気付いたように眉を顰めている。

すると、泰明が言った通り、すぐに女房が部屋にやって来た。
「失礼致します。安倍晴明殿が、皆様に御会いしたいとのことで、お越しになられているとのことですが…如何致しましょうか?」
「お師匠がここに来るという話は、私は聞いていない。深刻な急用か?理由は聞いていないのか?」
「はあ、深刻と言えば深刻ではある…との事では有りますが、詳しい事は橘大将殿方に御会いしてお伝えしたいと。」
泰明は首をかしげた。

帝に謁見という理由ではなく、友雅たちに会いたいということか。しかも何か伝えたいと…は、一体どんなことか?
「構わぬよ、泰明殿、そなたの師匠を参内することを許そう。こちらに通されると良い。」
話を聞いた帝は、晴明の昇殿を快く許可した。
だが、急に彼がやって来た意味が泰明には分からず、怪訝そうな顔をして皆と共に待つ事にした。



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Megumi,Ka

suga