 |
 |
白雲の果て、春の雪
|
|
 |
| 第17話(1) |
 |
 |
 |
予定は夜だというのに、その日は朝から大忙しだった。
しかし、こんな晴れの席の支度に時間を費やすのは、いつの時代も女性であって、男性の方はあっさりと済んでしまう。
「なんか久しぶりで、緊張しちゃうな。」
あかねは小袿に袖を通し、祥穂に髪を梳いてもらいながら、鏡に映る自分を見てつぶやく。
「ほんとに髪が長くなったよねえ、あかねちゃん」
「でも、これでもこっちの世界では、まだまだ短い方なんだよー?」
既に支度を済ませ、あかねの用意を眺めていた詩紋に、彼女は笑いながら答えた。
数年に渡って伸ばし続けた髪は、ようやく膝のあたりまで届くようになった。
ここまで長く髪を伸ばしたことなんて、今までなかった。だが、それでも宮中の女房たちの長さには届かない。
なので、ほんの一房程度の髢を毛先に結びつけて、きゅっと絹の細帯で髪をまとめて見た目を繕う。
身動きとともに、緩やかに靡く髪を眺めながら、ふと詩紋は思う。
彼の心に焼き付いていた、肩にかかるくらいの髪の彼女は、もうここにはいない。
会えなかった数年と幾日の年月の中、伸びた髪はこんなにも長く伸びて、朗らかな印象に穏やかさと落ち着きが加わって。
……それだけ、長い時間が過ぎてるってことなんだよね。
一緒にいるだけで、あっという間に気持ちはあの日に戻ってしまうけれど、この長い髪の中には、彼女が過ごしてきた日々が刻まれている。
友雅とともに生きるその中で、幸せというものを知っただろう。
そしてあかねがそばにいることで、彼もまた新しい生き方を知ったに違いない。
人生の中で見れば、それほど長くはない日々かもしれないが、それが二人にとって幸せな時間であるならば、その形は何かしらで現れて行くものだろう。
「母様っ母様っ、髪が上手く結べませんの〜っ!」
あかねの隣に座り、懸命に髪をまとめようと苦労している千歳を見て、詩紋は思わず笑みがこぼれた。
そう、こんな形で…幸せの形が生まれることもあるのだ、と。
「おやおや…姫君がお困りのようだね。」
悪戦苦闘中の小さな手に触れ、そこから細帯を取り上げる。
天真や文紀と共に部屋にやって来た友雅は、千歳の髪の一部をくるりと帯で巻き上げ、蒔絵細工の簪で留めてやった。
「私の髪はくるくるしているから、綺麗にまとまりませんの。もう、大変なの。」
あきらかに父親譲りの髪を見て、千歳は困り顔で言う。
父に似ているのが嫌なわけじゃないのだが、母のあかねも周囲の侍女たちも、そろって長く真っ直ぐな髪をしているから、何となく疎外感があるようだ。
「でも、千歳の髪はお父様に似て、柔らかくてつやつやしていて綺麗よ?」
「うー…でも、さらっとしたのも素敵なんですもの」
千歳はあかねの髪を触りながら、羨ましそうにつぶやいた。
「いいじゃないか、千歳。波打つ髪は父様と千歳だけじゃない。ほら、詩紋もお揃いだよ?」
友雅が突然そう言い出したかと思うと、くるっと彼女は詩紋に大きな目を向ける。
じいっと彼の金色の髪を眺めるが、その真っ直ぐな瞳が妙にきらきらしていて、こちらが緊張する。
が、彼女はすぐに我に返り、再び小さな唇を尖らせた。
「……でも、どちらにしても殿方ですわっ。私、違いますものっ」
拗ねるようにそっぽを向いて、もう一度あかねの髪に手を伸ばした。
小さいとはいえ、やはり身なりを気にするのは、立派な姫君の素質の証。
こっそりと、友雅は詩紋へ目を向けてみた。
彼は視線に気付いたようで、そのタイミングを狙って軽く目配せをしてみる。
"どうか、我が家の姫君のご機嫌を直してやってくれないか?”と。
「あのっ、あのねっ、千歳ちゃんの髪は綺麗だよ!?」
今までうつむいていたかと思ったら、詩紋の声を聞くなり千歳はすぐ顔を上げた。
「お母さんも言ったじゃない?ふんわりしてて柔らかくって…。くるっとしてるとことか、光が反射して綺麗だよ!?」
別にお世辞とかではなく、本当に千歳の髪は綺麗だと詩紋は思っていた。
この世界の女性には珍しいが、波のようにうねる曲線は艶やかだし、深みのある緑の黒髪の色も良いと思う。
「あのね、僕もこういう髪は向こうでも珍しくって、目立ちそうで嫌だったんだけど。でも、これはこれで綺麗だから良いんだって、言ってもらえたから開き直っちゃった。」
「…そうなんですの?」
君のお母さんに、そう言われたんだ。
これが自分なのだから、その自分を自分から卑下することはないって。
-----だから、少しは強くなれたんだよ。
彼女のそばに寄り添う千歳を見ながら、詩紋は心の中でそう思った。
「せっかく綺麗なんだから、もっと自信もっちゃっても良いんだよ。中にはきっと、そんな千歳ちゃんの髪を羨ましがる人もいるかもしれないよ?」
「そーだなあ。真っ黒髪のくせに、わざと詩紋みたいなパツキンに染めたり、カラコンで目の色を変えるヤツもいるしな。」
自分がコンプレックスと思っていることも、それに憧れる者もいるということ。
お互いに憧れあっていたりするかも、と思うと笑い話になりそうだ。
「…じゃあ、せめてちゃんとお手入れだけは、欠かさないようにしますわ。」
祥穂から花の油を数滴もらって、手のひらに伸ばしながら、千歳はせっせと髪に撫で付けた。
「お見事だよ、詩紋。さすがに千歳の王子様候補だねえ」
「は、えっ?!いや、僕…」
慌てふためきながら顔を染める彼を、友雅たちは笑顔で眺めていた。
+++++
牛車が少しずつ宮城へと近付いて来る。
物見窓から外を覗いている子供たちは、陽明門に差し掛かると身を乗り出した。
「見てっ、見てっ!父様のお勤め先が見えてきましたわっ」
友雅にとっては見飽きた左近衛府の舎も、外出の少ない千歳にとってはまだ物珍しいものだろう。
逆に文紀の方は、笛の習いのついでに何度か来たことがあるので、比較的冷静だ。
丁度その周囲を歩いていた数人の近衛が、通り過ぎようとした車の中から顔を出して、こちらを珍しそうに見ている少女を見つけた。
どこぞの屋敷の娘だろうか…と、彼らも興味津々に視線で追いかけてみると、彼女の後ろから顔を出して微笑む姿に、一同わっと沸いて追いかけて来た。
「た、大将殿!もしやそちらの御方は…!」
「普段は滅多に見せたりしない、大切な我が家の宝玉のひとつだよ。君らは運が良かったね。」
やはり噂の、友雅の娘か。
そう知ると更に彼らは、ぞろぞろと車の後を着いて来る。
「いや、こんなところで自慢の姫君をお目に出来るとは…!本当に我らはツイているなあ!」
「大将殿によく似ておられて、年若いにも関わらず艶やかで花の様でありますな」
「こらこら。私の姫を口説くのは早いよ。」
奥の方に座っていたあかねたちは、友雅と近衛のやりとりを見ながら笑ってた。
「あいつ親バカだよなあ、ホント。何のかんの言って、男から文が来たりしたら、不機嫌になりそうなタイプだな」
「…ふふっ、でもそういう友雅さんを見るのも、なんだか楽しみ」
それだけ、自分の子供たちを愛しんでくれている証拠だものね。
私と友雅さんの子だから…私と同じくらい大切にしてくれているんだもの。
………だから私も、精一杯友雅さんのこと…大好きでいます。
夕べ彼に抱かれながら、耳元で囁いてくれた言葉が今も残る。
これまで以上に愛したいのは、私も同じ。
愛せる相手は、あなたしかいないのだから……。
ぴしゃり、と窓が閉まったと同時に、車の速度が少し早くなったような気がした。
「ふう、まったく千歳には肝を冷やされるよ」
友雅は千歳を抱えると、窓から離れてこちらに戻って来た。
「生まれた時から物怖じを全くしない子だったけれど、この年で男に笑顔を振れ舞うのだからねえ」
「だって近衛の方々が誉めて下さったから、御礼を申し上げただけのことよ?」
「ま、それは結構なんだがねえ…」
大きな溜息をついて、友雅は苦笑いを浮かべる。
確かに千歳は『お誉め頂いて嬉しいですわ』と、にこりと笑ってみせただけなのだが…それだけで年頃の青年近衛たちが沸くのだから、どうしたものか。
「まだ齢五つだというのに、先が思いやられるよ」
ぽつりと本音を吐露したとたん、今度は車内に賑やかな笑い声が響き渡った。
「諦めろって!どのみちおまえの子じゃあ、しょうがねえって!」
良く似た風貌で父と娘はきょとんとしているが、母であるあかねはおかしくて嬉しくて、微笑ましくて涙を流すほど大笑いした。
|
 |
|
 |