白雲の果て、春の雪

 第16話(2)
「この間、中宮様に念を押されてね。"愛情が足りないと思っているなら、もっと愛せばいい"って。」
「足りないなんて…そんなことないですよっ!だって、今だって私……」
涙が出るくらいに、あんなに溢れる想いを抱いてくれて…。
それで"愛情がまだ足りない"だなんて言ったら、罰が当たるくらいだ。
「分かってるよ。君が、月に帰りたいと思っていないことは、十分に分かった。ホッとしてる。でも…今はそうでも、これから先は分からないからね。」
あかねの肩を抱き寄せて、友雅は月を見上げる。

この先、いつまたこんな日が来るか分からない。
その時に、彼女が本当に自分から"帰りたい"と思わないでいてくれるように。
今回のように、思い過ごしであるように…。
出来ることと言えば、ひとつしかない。
物語の中の帝のように、軍勢を率いるような力などあるわけがないから、別の方法を考えるしかなかった。
だけど、おそらくそれは…何よりも大切なものだ。

「君が"帰りたい"なんて思わないように、これからも…いや、これまで以上に君を愛すると約束するよ。」
柔らかな頬に手を添え、愛しい唇に口付けをして。
繰り返すそのぬくもりを通じ、この気持ちがそのまま伝わるように祈りながら。
「今よりもっと…次の瞬間には、もっと深く……」
現状に満足なんかさせない。更にその上の愛を。
「こんな想いを注げるのは…君だけだ。受け止めて欲しい人も、君だけだ…」
「…友雅さ…ん…」
腕と腕が絡みあい、互いの背中へと向かって身体を抱きしめ合う。
力が込められれば込められるだけ、離れられなくなると知っていながら、求め合う心が、自然に身体を動かせる

「あかね…受け止めて…くれるかい?」
頬を包み、彼女を見下ろしながら静かに囁く。
「私の気持ちを受け止めるために、ずっと私のそばに--------」

----------「いさせてください…。」

彼の仕草を真似るように、あかねは手を伸ばして友雅の顔に触れた。
その瞳は少し潤んで、けれども表情は幸せそうに微笑んでいて。
「…そばに、いさせてください…。友雅さんの…そばに…」
あなたが愛してくれるなら、私はずっとここにいたい。
その想いを受け止めて、このままこれからも幸せに浸っていたい。
だって、ここに残ってあなたとともに生きていこうと決めたのは、あなたを愛して、愛されたいと願ったから。
そんな夢が叶うのならば、ここより幸せな場所などあるはずがない。


心に触れることが出来れば良いのに。
そうすれば、優しくキスをして、撫でるように愛しんで…想いをもっと直に伝えられるのに。
でも、そんなことは不可能で。しかも、目に見えるものでもない。
確かにあるはずなのに、心は形として目に映らない。
だから出来ることと言えば、こんな風に身体ごと抱きしめるだけ。
心も身体も、すべて抱きしめて愛し合いながら、この愛しさを感じてもらえるようにと祈りながら、月明かりが差し込む部屋で彼女を抱く。

「ずっと…見ていて」
耳元で、小さな声が聞こえた。
「ずっと咲いてるから……見ていて…」
腕の中に閉じ込めて、重ね合わせる肌の下で、あかねの声が、染みいるように深く刻まれていく、
一瞬だけ彼女から目を逸らして、顔を上げたそこには永遠の桜が息づいている。

決して枯らせやしない。
この心を育て続けると誓う。
代え難い、大切なものを君に注ぎ込んで。
唯一の、自分だけのために咲き続ける美しい花を、ずっと見つめて生きていく。
それは必ず、二人の幸せになるはずだから。


月はゆっくり、夜空の上を移動していく。
その姿が見えなくなっても、闇が少しずつ明るくなっても、二人が離れることはなかった。






「………殿、奥方様……」
遠いような近いような声が、目覚めかけた耳に届いた。祥穂の声だ。
「……お目覚めになられておりますか?」
はっとして、あかねは目を開けた。
友雅の腕の中から起き上がり、祥穂の声に耳を澄ましてみると、それは几帳の向こうから聞こえている。
気が利く彼女のことだから、覗き込むことはせずに声を掛けてくれたんだろう。
「あ、起きてますっ…おはようございます、朝餉の用意の時間ですよね?」
返事をしながら、慌てて寝着を羽織って床から抜け出す。
小袖に着替えようと動き出すあかねの影に、再び祥穂の声が投げかけられた。

「いえ、急がずともごゆっくりなさって下さいませ。今朝は、詩紋殿が千歳様と厨房をお手伝いして下さっておりますので。」
「え、詩紋くんが…千歳と?」
「左様でございます。お世話になっている御礼に、と申されておりました。ですので、奥方様方はごゆっくりどうぞ、とのことでございます。」
几帳から透けて見える祥穂の影は、そう言い残して静かに立ち上がると、再び戸を開けて部屋を後にした。

多分、気を遣って詩紋が言ってくれたんだろう。
天真はどうしているか分からないけれど、おそらく何らかの形で気に止めてくれているに違いない。
最後まで、色々と彼らには世話を掛けてしまった。
礼を言いたいのは、自分たちの方なのに。

「…もう…朝か」
「あ、おはようございます。目、覚めました?」
「…まあね。今、話し声が聞こえたから……」
「すいません、ちょっと声が大きかったですもんね」
あかねは起き上がった友雅に、寝着を肩から掛けてやった。
「詩紋くんが、朝餉を用意してくれてるみたいなんです。だから、今朝はゆっくりしていて良いですよ、って」
そう言いながらも、あかねは既に小袖に着替えを済ませていて、いつでも部屋から出て行ける支度が整っていた。

「寝付くのが遅かったから…まだ眠いんじゃありませんか?大丈夫ですよ、まだ休んでいても。」
出仕の時間には余裕がある。朝食の用意も、すぐに終わるほどではないだろう。
二度寝とは行かないまでも、横になっているくらいの時間はありそうだが、友雅は平気だと言ってそのまま床から起き上がった。
ただし、着替えはもう少し後で。
羽織った寝着に袖を通し、あかねが開けてくれた釣殿の前で身体を伸ばした。
「今日もまた、美しい春の日になりそうだね」
「そうですね。空も青くて…桜の色が映えますね。」
友雅の隣で、あかねは空を見上げて言った。

背後から伸ばした腕で、彼女を引き寄せる。
「何ですか?」
肩に乗せた彼の顔を、振り向くようにしてあかねは尋ねる。
「……良かった。朝になっても、君が居てくれて。」
「当たり前じゃないですか。ずっとここにいますよ…言ったじゃないですか。」
笑いながらあかねは答えて、友雅の手をそっと包み込む。
小さな手と細い指なのに、なんて大きくて暖かい存在なんだろう。
「夕べ結構月明かりを浴びていたから、朝になって消えていたらどうしようか、と思ったよ。」
「もう…そういう心配はなし、ですよ。ほら……」
あかねは、開かれている格子戸の向こうを指さした。
「今朝も綺麗に咲いてますよ、あの桜…」
背の低い若い桜は、相変わらずいつものように満開の花を咲かせて、格子戸からこちらを覗き込んでいる。
その姿は、何となく二人の姿を、嬉しそうに見つめているようにも感じられた。

「…幻じゃないよね?」
こつん、と彼女の額に自分の額を当てて、友雅は目を伏せて苦笑いをする。
そんな彼の頬を、あかねは撫でるように手を添えて笑う。
「こうして触れてても、まだ半信半疑ですか?だったら、満足行くまで、確かめてみても良いですよ?」
何をしようと、私は一人しかいないのだから…と、自信ありげに微笑んであかねは言う。
そして両手を友雅の背中に回して、身体を寄せた。
自然に、二人の唇は相手を求める。
いつもより長く、いつもより甘く。

「…本当だ。確かに、君だね。」
「分かってくれました?だって、もうどこにも行くところないんですから。」
くすくす…と同時に笑い声が上がる。心の中が、暖かくなる。
春の日だまりに寝そべるような、穏やかで優しい暖かさを感じた。

抱き合って笑い合って。
そんな何でもない時間ではあったが、それこそが幸福なのだと…そう思った。



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Megumi,Ka

suga