白雲の果て、春の雪

 第15話(3)
本心をようやく吐露出来たことで、我を失いあかねに身を投げ出していた友雅だったが、そんな彼女が自分の身体を包むように、細い腕でしがみついて来たことで我に返った。

「あかね……」
その背中に手を添えると、時折細い肩が大きく震えて、同時に啜るような声が聞こえる。
「心を惑わせてしまったね…すまなかった。」
出来るだけ優しくあかねを抱きしめて、友雅はそう囁いた。
彼女を不安にさせるつもりなど、なかった。
それなのに、自分は重要なことを忘れていたのだ。
自分は常にどんな時でも、彼女と共に生きていることに。
すぐそばに、彼女がいることに。
毎日、こんなに近くにいたのだ。いつかは気付く…当然だ。
自分だけのことであっても、悩みを抱えていればわずかにでも異変が起こる。
それに気付けば、あかねだって不安を抱くはずだった。
今になって、そんな単純なことに気付くなんて。

「悪かった。私がただ、考え過ぎていただけなんだ…君が思い詰める必要なんてなかった…。私の責任だ。」
すすり泣く声と、強く背中に回された手。
胸の中の細い身体から、ぬくもりだけが伝わって来る。
「こんな事を言える立場ではないけれど…どうか、泣き止んでくれないか…。そして、私を思いきり責め詰ってくれ。」
馬鹿なことばかり考えて、つまらないことで一人悩んで、どうしようもないことを背負い込んで。
愚かな男だと……非難してくれれば良い。

「…頼むよ。君にそう言ってもらえたら、私も少しは目が覚めるだろう。はり倒してくれても良い。好きなだけ罵倒して欲しいんだ。」
あかねの手を取って、友雅は自分の頬に持って行く。
けれど、彼女は涙の溢れた目を伏せて、うつむいたまま顔を上げてはくれない。
「……出来ない…そんなこと、出来…ません…」
瞳から頬を伝って、涙は顎の先で雫に変わる。
一粒一粒の涙は、そこからぽたぽたとあかねの膝へと滴り落ちた。

小さな一滴の涙も、続け様では十分な水量となり、彼女の寝着は膝元だけ肌色を透かしている。
「何も…言えない…。友雅さんのこと…責めるなんて出来ない…っ…」
とぎれとぎれの声で言いながら、震えた手で彼の頬に触れていた。
しかしその手はすぐに離れて、ゆるやかにあかねの身体は、再び友雅の腕の中に倒れ込んで行く。

「責められて当然の原因を、私が自分で作ってしまったんだよ?」
「そんなことっ…ない…」
「いや、ないわけがない。そのせいで皆にまで心配させて、君にまでこんな涙を流させて……」
「……違うの、違う…んです……」
暖かく広い胸に顔をうずめて、ほのかに香る侍従を吸い込む。
この香りが他人行儀だったのは、もう随分と昔のことだ。
今はいつも一番近くにある、親しみのある香り。
友雅の移り香が染み込むほど、ずっと一緒にいる。こんなにも近くに。

何て言えば…良いだろう。
この感情を言葉で表現するとしたら、何と言えば伝わるだろう。
初めて本当の恋をして、結ばれて愛し合うことを教えてくれたその人に、これほど求められている嬉しさを、どう言えば分かってくれるだろうか。
嬉しい、と素直に伝えたい。
だけど…彼の思い悩んだ日々を思うと、そんな言葉を気軽に言う勇気がない。
「違わないよ。君をこうして泣かせただけでも、私には十分に罪があるだろう。」
「…違…っ。哀しくて…泣いてるんじゃ……」
哀しいから出て来る涙ではない。まったく逆の意味の涙。
「ごめんなさいっ…」
嬉しくて涙が止まらないんだ…って、あなたの心を思ったら、やっぱり言えない。

「黙ってはいられないんだよ。こうして、涙が溢れてるあかねの目を見ているのは。どうしたら止められるか、教えてくれないか?その為なら頬どころか、身体ごと差し出しても良いよ。あらゆる罵詈雑言も受け止める。だから…」
あかねの頬に流れる涙の道を、親指の先で何度も拭うけれど、潤んだ瞳から溢れるものは止められない。
「頼む…もうこれ以上、哀しそうな姿を見ていたくない。」
友雅は、あかねの身体を抱きしめた。

すると彼女の手が背中で組み合い、ぎゅっとしがみついた。
「…違うの…哀しくなんかないの…っ。…嬉しいから……っ……」
ただ、嬉しさの涙が、止まらないだけなの。
だけどそれを、伝え難かっただけ。


「……あかね…」
「ごめんなさい…っ。友雅さんがっ…そんなに辛いこと思ってるのにっ…私…っ」
喉元から沸き上がるのは、涙の名残。そして熱い想い。
嬉しさ、そしてもどかしさ。
「辛そうな…のに…悩んでるのに…私……私……は……」
もう一度、友雅はあかねの涙を拭う。
例え拭いきれなくても、輝くその雫をすくってやりたくて。
「……友雅さんの想いが…嬉しくて…仕方ない…んです…」
あかねは目を伏せた。
再び、睫毛の先から雫がぽろりとこぼれ落ちた。

泣いてしまうほど、嬉しかった。
あなたが、私と離れることを、そんなにまで辛く思ってくれていたことが。
離れたいなんて、思ったことは一度もなかった。
あなたの隣が、私にとっては何よりも幸せな場所であると信じていた。
そして、いつもそれを確かめられたから。

……私の気持ちは、あなたが想ってくれる気持ち以下じゃない、と自信を持っていたけれど。
敵わない。あなたの想いは私よりもずっと大きくて……強くて…。
「離れたくないって…そんなにまで悩んで…くれたのが嬉しかったんです…だからっ…」
だから涙が止まらない。
「ごめんなさい……そんな風に…思ってしまって…っ…」
もう何度目か分からない"ごめんなさい"を言ってから、あかねは友雅の胸の中で顔を伏せた。


耳朶に、指が触れる。
普通は冷たいそこが、赤くなって少し熱を持っている。
「謝ることなんかないよ。私がそこまで悩んでしまったのは、仕方のない事なんだから。」
友雅はそう言って、指先をすうっとあかねの頬へ向かわせた。
湿った肌、濡れた瞳、震える唇と順番に触れていく。
そして最後に、顎をゆっくりと持ち上げた。

「愛している人と離れるなんて、あまりに寂しくて辛いことだからね…」
-----------君が、私に教えてくれたことじゃないか。


唇同士が、重なり合った。
呼吸なんてどうでも良くなって、口付けを止められなかった。
息が止まったって構わない。二人一緒に、離れないでいられるなら。
……本気で、そう思った。

「友雅さ…んっ…友雅…さ…ん…」
あかねは未だに止まらない涙を伴って、彼の名を繰り返しながら背中に手を回す。
自分を包み込んでしまうほど、大きな胸に身体を預けると、友雅はあかねを強く抱きしめた。
言葉がなくても、確信できる。
今、二人は同じことを考えている。
愛している、その人のことだけを。

ただ、ひとつだけの想いを胸に灯して、抱きしめ合う互いの手は力を込めていく。
御簾の裏に隠れて、横たわったまま無心に二人は口付けを続ける。
甘い吐息と、乱れる鼓動。衣の奥に忍ばせた指から、直に伝わる肌のぬくもり。
何もかもが…愛しい人のもの。
そこに愛しい人がいる、存在の証。
確かめたい。抱きしめたい。
その心と身体のすべて…何もかも。

友雅の重みと肌の感触を全身で受け止め、あかねは後ろへ首をもたげる。
ゆっくりと視線を上げると、下ろされた御簾の透き間から、月の姿が見えた。

---------私は、帰らない。
私はかぐや姫じゃないから。
ここにいる意味を、私は見つけた。
誰よりも愛する人を見つけた。だから…月になんて帰らない。

静かに、もう一度目を閉じて口付けをする。
愛する人の、その唇に。



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Megumi,Ka

suga