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白雲の果て、春の雪
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| 第15話(1) |
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釣殿に続く戸を全て開け放って、友雅は腰を下ろした。
朧雲に包まれながらも、月の明かりは闇に染まる夜空から、柔らかい光を地上へと注いでいる。
眩しくもなく、暗くもない。どこかホッとするような優しい光。
静かな夜の庭先は、池の魚もほころぶ花の蕾も、まるで眠りに着いているようだ。
カタン、と背後から音がする。
燭台の灯火に照らされた入口に目をやると、酒を用意した盆を手に抱えて、あかねが部屋の中へと入って来た。
彼女は足音を忍ばせるように、用意されている床の前を静かに通り過ぎると、釣殿の柱に寄り掛かっている友雅の前で、腰を下ろした。
「注ぎましょうか?」
盃を手渡すと、あかねは酒器を持った。友雅は静かに頷いて、彼女の前に盃を差し出した。
澄み切った酒が、素焼きの盃に流れ込んでゆく。
池の水面のようなその中に、月が映し出されていた。
「少し君もね。」
もうひとつの小さな盃に、今度は友雅が酒を注ぐ。
一口程度の量では、その中に月を映すことは出来なかったが、それをあかねは手に取って、舌だけで何度か味わった。
「今夜の月は、眩しすぎなくて良いね」
「春の夜は…霞が掛かりますから…」
穏やかな明かりは、時間をもゆっくりと進ませてくれるみたいだ。
「こんな夜なら、人目も気にせず打ち明けられそうだ」
すべてを照らすような明るい夜なら、誰かが見ているようで憚られるけれど、薄布一枚で隔てたような今宵なら…抱え込んだ重い荷物を紐解くことが出来るだろう。
友雅は、盃の中の酒を二度、三度で飲み干すと、もう一度天空を見上げた。
「鷹通と泰明殿に会って、礼を言ってきたよ。」
あかねは、残したままの盃を盆に戻して、友雅の方を見た。
彼女の視線に気付いてはいたが、友雅はそちらを振り向かずに、ただ空の月をじっと眺めて話を続けた。
「いろいろと彼等には、余計な気苦労を負わせてしまったからね。本当なら、永泉様やイノリたちにも…詫びを入れなくてはいけないんだろうが。」
「お詫び…ですか」
「つまらないことで、他人を巻き込んでしまった。悪いことをしたよ。」
溜息をついて、友雅はようやく月から視線を外した。
つまらないこと……。
そうだよね、赤の他人の鷹通さんや泰明さん達には、何の関係もないことだもの。
私達だけの、ホントにプライベートなことなのに、それをみんな真剣に心配してくれて…。
きっかけはどうあれ、巻き込んでしまって悪かったな…。
「-------でも、私には重要なことだったんだよ。」
はっとして顔を上げた。
友雅は遠くを見るような眼差しで、庭に咲く花を見つめている。
「ずっと…悩んでいたことだったんだ」
音もなく、はらりと桜の花びらが舞い落ちた。
「泰明殿から、話は聞いているんだろう?」
友雅は、そう問い掛けた。
「……いろいろと…」
「何を馬鹿なことを考えてるんだ、って思っただろうね」
「………」
答えに詰まるあかねを見て、彼は少し乾いたように笑う。
「私だって、客観的に見ればそう思わざるを得ない。本当に……馬鹿な男だ。」
情けないほどに、自分から行き止まりの方向へ向かって。
すぐ近くに、明るい出口があるにも関わらず、背を向けて暗い道を選んで…そして絶望に近い袋小路に自らを追い詰めて。
「一人で悪い結果ばかり思い描いて、それで悩みを積み重ねて…。自分で自分の首を絞めてもがき苦しんで…挙げ句の果てに、周りまで不安にさせて。」
声に出してこれまでの自分を振り返り、ふう、と友雅は大きな溜息をこぼした。
何の不満も無い生活を、これまで営んでいたはずだ。
なのにわざわざ、考えなくても良いことを引きずって。
お互いが別の世界の人間であることは、どうやっても変えられない事実だ。
例えそれが過去であろうとも、どんなに悩んでも変えられない。
「そうだ。ちょっと待っていてくれるかい?」
友雅は立ち上がると、あかねをそこに残して部屋を出て行った。
取り残された部屋の中で、彼がさっきまで見上げていた空を、あかねもまた見上げてみる。
……綺麗な月。柔らかそうで、たまご色の優しい黄色。
小さい頃は、あの月に兎がいるんだと真剣に思ってたっけ。
そんな昔聞いた物語を思い出す。
さほど時間を置かずに、友雅は部屋に戻って来た。
彼は抱えていた巻物を紐解き、あかねの前でくるくるとそれらを広げて見せた。
「宰相殿から頂いた絵巻物の一つだ。千歳たちには、見せていないのだけど。」
長く広げられたその中には、鮮やかな大和絵と優美な文字が記されている。
最近は随分と文字の読み書きに慣れたあかねだが、あまりに達筆な筆文字にはまだ戸惑うことも多い。
この絵巻物も見た目には美しいが、あかねには読みづらい。
だが、その大和絵を見れば、どんな物語かは容易に理解出来た。
「月からやってきた、姫君の話だ。天真や詩紋も知っていたから、君ももちろん知っているだろう?」
「…小さい頃から、よく聞かされてました。」
絵本や小説、映画など。
いつの時代も何かしらの形で、その物語はすぐそばにあった。
友雅はその絵に描かれている、艶やかな女性を指差した。
「多くの男達に求愛されて、帝さえも彼女に心を奪われた。けれど彼女は誰とも結ばれずに…」
「月に帰ってしまうんですよね」
彼女は月の人間だから。当然のように、生まれた場所に戻っていく。
そこが、彼女が生きていくために最適な場所であるから。
「じゃあ、一体彼女は何のために、この地に降り立ったんだろうね?」
「え、それは……」
あかねは返答に困った。
その後竹藪で金を見つけて裕福に…という話は聞いたことがあるけれど、それだけの意味だったんだろうか。
「帝とも親しく歌を交わすほどだったのに。翁たちとも幸せに暮らしていたのに、それなのに何故月に帰ることを、彼女は選んだんだろう…」
何不自由なく暮らしていた生活を捨て、月に帰る日を泣きながら待ち続けて。
それなのに彼女は、連れ去られるようにして月へと戻る。
「何故、逆らわなかったんだろう?泣くくらいなのだから、帰りたいとは思ってなかったのだろうにね」
考えたこともなかった。
彼女は月の人だから、帰らなくてはならないのだと、漠然と考えていたけれど。
「逆らえなかったのかな?そういう運命で…変えられない決められたことだったのかな?」
描かれている艶やかなかぐや姫を、友雅は静かに指先でなぞる。
「どうにもならないことだったのかな…」
多くの軍勢を立ちはだからせても、留まりたいと彼女が思ったとしても、許されない決められた運命というものは存在するんだろうか。
例え月に戻った彼女が、涙を流して暮らし続け、残された者たちが彼女を忘れられずに、切ない一生を終えることになっても。
「辛いね。幸せな記憶は残るだけに、そのあとの寂しさと切なさは……残された者にとっては辛すぎるよ。」
出会うことがなければ、お互いを知らずに済んだ。
そのまま何事もなく、時は流れただろう。
だけど、それが例え運命の悪戯であっても、巡り会ってしまった以上、その記憶は永遠に消えない。
幸せな記憶に浸り、その都度目が覚めて寂しさを知る。
再びその人に会えなくても、心は求めながら、触れることの出来ない日々を生きるしかない。
「そんな思いはしたくない…って、そう思っていたんだ。」
かぐや姫の姿を眺めながら、彼はつぶやいた。
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