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白雲の果て、春の雪
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| 第14話(3) |
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山の頂上から渓谷を伝って流れる水は、緩くなって穏やかな川を作る。
上流に比べてここは、子どもたちも安心して歩けるくらいの浅瀬ではあるが、意外と魚や沢蟹などの生き物も多い。
「凄いのっ!凄いのっ!兄様の竿に、またお魚が掛かりましたのっ!」
少し離れた場所で竿を垂らしていた天真のところへ、小袖の裾を捲った千歳が、ばしゃばしゃと慌てて駆けて来る。
文紀の方を見ると、彼の放った釣り糸の先が、ぐっと水面から引っ張られていた。
「おおっ、何だよ結構やるじゃんか」
アタリのない自分の竿を放り出して、天真は千歳と一緒に文紀のところへ行った。
水面がばしゃんと暴れるように飛沫を上げて、二人掛かりで引っ張り上げた釣り竿の先には、30cmくらいの魚が食らいついている。
「うわあ!すごい大きい魚だよ!文紀くん、釣りが上手いんだね!」
詩紋が感嘆するのも当然で、男3人揃って竿を垂らしている中、掛かったのは文紀一人。しかも既に大小合わせて、これで4匹目の獲物だ。
「将来有望だぞー、おまえ」
天真に頭をくしゃっと撫でられて、小さな釣り人は照れくさそうに笑った。
太陽がてっぺんまで差し掛かり始めた頃、釣りを一段落させて橋の袂に腰を下ろし、詩紋が用意してきた昼食を摂った。
「午前中で4匹も釣れたんじゃ、今日は大漁かもしんないぞ?」
「そうだねー。千歳ちゃんがすくった沢蟹も、いっぱいあるもんね」
籠の中には、彼女が浅瀬を探りながら笊ですくった沢蟹が、10匹くらいうようよと動いている。
これなら良い手土産になりそうだ。
「あかねが言ってたけど、釣りが好きなんだな。」
「別荘に行ったとき、初めてやってみたら面白くて…。それから、時々宇敦と出掛けたりしてて。」
「私も宇治では、いつもこんな格好でお外を駆け回れるの。そして、木の実とかを取ったりするの。」
竹筒に入った水を啜りながら、詩紋の隣で千歳が自慢げに言った。
「野山を駆け回るのか?やっぱ親譲りのお転婆姫だなあ、おまえ」
「違いますものっ!父様がっ、女性も時には外をのびのび歩き回っても良いって、そうおっしゃったんですものっ!」
咄嗟に天真と詩紋は、互いに顔を見合わせて笑った。
貴族の娘ならば、土御門家にいた頃の藤姫のように、外に出ることなく色鮮やかな袿を纏い、大人しく屋敷で過ごすのが当然だろう。
なのに父親である友雅が、そう千歳に言った理由は…安易に理解できる。
「きっと友雅さん、千歳ちゃんの中にあるお母さん似のところを、分かってるからそう言ったんだね。」
「…皆、私は父様に似ているっておっしゃるわ。」
見た目は確かに、友雅によく似ている。でも、そんな風にして自由に動き回る姿は、天真たちがずっと見ていた彼女の面影にぴったりと重なる。
「良いって良いって。おまえの母親もな、ちょっとばかしお転婆過ぎてたけども、そんなとこが友雅は気に入ってんだ。だから、あんまり気にすんな。」
天真の言葉に千歳は少し首を傾げながらも、竹筒の水をくくうっと飲み干した。
「本当は、外を走り回るなんて貴族の娘がするもんじゃない、って言われたことはありますの。」
和やかなせせらぎの音を聞きながら、ぽつりと千歳が言う。
「母様のお手伝いで、厨房に入って料理をしたりするのも、侍女がやるものだから大人しくしているものだって。」
そういえば以前、そんなことを誰かが言ったことがあるような…と、文紀は思い出した。
友雅の知人の屋敷に仕える女房が、使いでやって来た時だっただろうか。
今よりもっと幼い頃だったが、千歳が"母の手伝いをしてはいけないのか?"と聞いて来たから、答えに困ったことを覚えている。
「でもね、父様がおっしゃったの。"どんな身分の殿方と結ばれるか分からないのだから、市井の方々と同じ暮らしや生活の仕方も、きちんと理解しておくべきなんだよ"って。」
「どんな男と…って、あいつこんな子供に、そんなこと教え込んでたんかよ!」
呆れる天真に、詩紋は苦笑いを浮かべる。
「だから、お料理したり外でお買い物することも、おしとやかな振舞いも覚えなさいっておっしゃるの。」
それなりの家に嫁ぐことになれば、普通の貴族らしい生活を強いられるだろうし、それには雅やかな才も必要だろう。
だが、普通の男と結ばれたのであれば、何もかも自分でしなくてはいけなくなる。
千歳がどんな相手に恋をして、そして伴侶として選ぶか分からないが、その相手と同等に生きて行けるために、いろいろな事を経験して知って行くのは無駄ではないとの判断だ。
「私、綺麗な袿を着たり、琵琶を弾いたりも好きだけれど、こんな風に外を歩き回ったり、母様のお手伝いをするのも大好きよ。」
「そっか。でも、それで良いんじゃないかな。本当に、どんな人と巡り会うか、わかんないもんね…」
詩紋がしっとりと思い深くつぶやくと、ぴくんと千歳の目が大きく反応した。
「お父さんとお母さんを見てると、そう思わない?二人がどうして知り合ったか、聞いたことあるでしょ?」
幼い頃から、寝物語に聞かされて来た話。
母は、この京で生まれ育った人ではない。
遠い唐国や別国ではなく、空の向こう、月よりも遠い別の世界から来た人だった。
龍神に呼ばれてこの地に降り立ち、鬼によって乱された京を救った神子であった。
そして父は、そんな母を護るために選ばれた八葉の一人。
四神である白虎の加護を得て、彼女と共に戦うことを命ぜられて巡り会った。
その中で二人は恋をして------------------------。
「全く違う世界で生まれ育ったってのに、結婚しちゃったんだぜ?何があるか分かんないだろ?」
知らない者は、そんなことはおとぎ話だと笑って、信じてくれないだろう。
だけど、それは幻想ではない。
その証こそが、ここにいる二人の子供たちだ。
「あのな、これ…内緒だけども…おまえらの父親な、結婚する前は結構な遊び人だったんだぞ?」
「てっ…天真先輩!子供にそういう事はっ!」
慌てて止めようとした詩紋だが、千歳は当然のようにけろっと答える。
「存じておりますわ。随分と浮き名を流されて、それはそれは多くの女性のところへ通われたとか。」
「へ、平気なのっ!?お父さんのそんな話…!」
「でも、母様と結婚されてからは、一切そういうお話は聞きませんもの。なら、別に構いませんわ。過ぎたことは仕方ありませんもの。」
他人の詩紋の方が慌てふためいている。何だか妙な光景だ。
「ま、そんだけおまえらの母親が、大切な存在だってことだよ。」
天真の手が、千歳の背中をぽんと軽く叩いた。
「以前のことを知ってるヤツでも、今のおまえらの父親の変貌はびっくりしてるんだぜ?。でも、そこまで変われるってことは、よっぽどおまえらの母親が特別な相手なんだよ。」
たかだか数ヶ月しか一緒にいなかった天真たちには、友雅の過去はそれほど深く知ってはいない。
しかし、藤姫や頼久、鷹通やイノリ…自分たちよりも長く友雅を知っていた者が、口を揃えて言うのだからよっぽどだ。
「不思議だと思わん?普通なら巡り逢えっこない運命なんだぜ?」
そう…本当におとぎ話のような出会い。
「おまえらの両親、すっごい仲良いだろ」
「いっつも一緒ですのよ。父様は母様をぎゅうってしてちゅーってするのがお好きなの。それは、母様のことが大好きだっていう表現なのですって。」
「あ、そ……」
「でね、私と兄様にもしてくれるのだけれど、唇は母様だけに許されたものなのですって。恋仲の方と夫婦になった方しか駄目って言われたの。そういうものなのかしら?」
「うーむ…ま、そういうことにしとけ…」
さらりと千歳は言って退けるが、想像するとかなり恥ずかしい状況なので、皆顔を赤くして笑ってごまかした。
そして文紀が、途中から答えを組み立て直す。
「あの…みんな驚かれます。本当に父様も母様も仲が宜しいって。」
外に知人も多い宇敦は、文紀たちの両親の噂を聞いてくることがある。
そして、いつもそんな話をされる。
側室も持たず二人だけで、あれほど仲が良いとは珍しいし、羨ましいほどだと。
「それはさ、お互いに一番幸せになれる相手を、見つけたってことだと思うぞ。でも、そういう人に出会えない環境にいるヤツも、世の中にはいっぱいいるんだ。」
「恵まれてるんだよ、千歳ちゃんたちのお父さんとお母さん。だから、一緒にいて幸せなんだと思うよ。」
そんな相手とどこで巡り会うか、どこで見つけられるか。
…それは誰にも分からない。
有り触れた日常ではなく、歪んだ時空のすき間から、相手の存在を知ることだって現実に有る得るのだから。
「おまえらだって、幸せだろ?毎日楽しいだろ?」
「楽しいですわ。父様に琵琶を教えて頂いたり、母様のお手伝いも好きよ。」
「それで良いんだよ。そうやって、おまえらは大きくなって、好きな相手と幸せになれればいいの。それを、おまえらの両親は願ってるから。」
自分たちがそうであるように、彼らにもそんな恋に出会って欲しいと思いながら、出会ったその人の手を握り肩を抱く。
父として、母として、子どもたちの幸せを願いながら日々を過ごす。
誰よりも大切な人とともに。
運命だったとしか思えないほど、希有な出会いで結ばれた、その人とともに。
それが一番最良なのだと、互いに思い合っているからこそ。
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