白雲の果て、春の雪

 第13話(2)
天真は敢えて、詩紋にその言葉の意味を問い掛けなかった。
自分にではなくて、それは友雅に言っていることなのだと、そう思ったからだ。
「あかねちゃんが初めて、ここに植えようって選んだ桜なんですよね?」
「そうだよ。寝所の近くに植えれば、夜桜を見ながら眠ることも出来るだろう、ってあかねが言ったんだ。」
小さいけれど、蕾のたくさんついた苗木。
その場所に植えた桜は彼女が言ったとおり、一年中どんな時でも夜桜で目を楽しませてくれている。
「それはきっと、あかねちゃんの気持ちそのものだから、じゃないかなあって、僕は思うんですけど…」

あかねの気持ち、そのもの。
彼女の気持ちが宿った----絶えず咲き誇る桜。

「成る程な。俺もそう思うぜ、友雅。」
眉を顰めていた友雅を、天真と詩紋は見つめている。
どういう意味で言っているんだ?と聞き返そうとしたが、天真に先を越された。
「あの桜が枯れないのはさ、あかねの気持ちがそうだから…って言いたいんだろ?詩紋。」
尋ね返された詩紋は、そのまま友雅から目を離さなかった。
澄み切った瞳が、曇りかかっている彼の心の奥を見通している。
迷いながら、心を締め付けられながら、深い不安が漂う森から抜け出せない友雅を、彼はずっと見ている。

「友雅さんに、ずっと見ていて欲しいって、あかねちゃんは思ってるんですよ。」
詩紋はそう言うと、柔らかく無邪気な笑みを作った。
「あかねちゃんが初めて、友雅さんと一緒に住むお屋敷のためにって、選んだものなんだもの。そんな気持ちが染み付いていても、全然不思議じゃないって僕は思いますよ。」
隣にいる天真も、何も言わないが詩紋と同意見だ、と言っているかのような目をしていた。

"せっかく広いお庭なんだから、もっといっぱい花の咲く木を植えましょう?"と、彼女が言った提案。
春夏秋冬…季節が移り変わっても、ここで二人きりで景色を楽しめるのは心底幸せなことだと思ったし、友雅はそれを快く引き受けた。
傍らには彼女さえいてくれたら、それで良いのだと。
「おまえと、ずっと一緒にいたいんだよ、あいつは。」
天真の声が聞こえた。
それは友雅もまた、同じだった。
-----ずっと一緒にいたい。
あかねとずっと…永遠に一緒にいたいのだ。


「だから、俺らは連れて帰ったりはしねえって。安心してろよ。」
友雅は二人の顔を見ると、少し困ったように目を伏せて、頼りなく笑った。
「……鷹通に聞いたのだね?」
「すいません。僕らが無理矢理聞き出したんです。だから、鷹通さんは別に言いふらしたわけじゃ…」
誤解されては困ると、慌てて詩紋が弁解をしたが、友雅はすぐに首を横に振った。
「大丈夫だよ、詩紋。彼がそういう男じゃないことは、私が一番良く分かってるからね。」
同じ天地の対になる白虎である鷹通。
性格は見事に正反対だが、だからこそ誰よりも信頼の置ける真実を持っている。
似ていないからこそ、見えるもの。
自分が憧れているものは、意外とそんな相手が持っていたりするのだ。

「あいつ、本気で心配してたんだぜ、おまえのこと。あかねの事で悩んでて、辛そうでいたたまれないってさ」
「そんな風に思われていたのか…みっともないね、私は。いい年をして…。」
髪を掻きあげて、友雅は気怠そうに空を仰ぐ。爽やかな青空なのに、気持ちはまだ少し重い。
けれど…これまで閉じ込められていた暗い部屋は、明かりも外の風も入らない密室状態の息苦しさだったが、今は小さな光とささやかな風が、どこかから吹き込んで来ているようにも思えた。

「自分でも、こんなつまらないことを引きずっていたって、どうにもならないと思ってはいたんだ。それでもやっぱりね…頭から消せることは出来なかったよ。」
これまでの数日間を、ゆっくり友雅は思い出す。
夜になるたび、月が空を照らすたびに、あかねをひた隠そうとしていたこと。
帰る場所があることを、気付かないでくれと祈り続けていたこと。
「本当に…あかねが必要なんだ、今の私には…。」
振り向かないで欲しい。
その背後に浮かぶ、明るく微笑む月の明かりに触れないでくれ。
離れないでくれ。
ここから、自分のそばから消えないでくれ。
自分を置いていかないでくれ----------。
情けない男だと自己嫌悪に陥りながらも、そう思わずにはいられなかった。

「おまえがそんな風に悩んでたの、もうあいつも全部気付いてるぜ?」
天真の声に、友雅はゆっくり振り返った。
「泰明さんがここに来て、話してくれたんだそうです。」
「でも、その前から気がかりではあった、ってあかねは言ってたぜ。おまえが、あまりに月にこだわるから、おかしいなって思ったって。」
鷹通だけでは留まらず、あの泰明にまで気を使われてしまったか。
……まったく呆れるほどだ。
いくつになっても自分は、恋に関しては何も成長出来ていない、未熟者のままだ。
ようやくあかねに出会えて、本当に一人の女性を愛する喜びを知ったはずなのに、いざという時には気の迷いが出てしまう。

「月の光でも浴びたら、そのままあいつが連れ去れてしまう…とか思ったか?」
友雅は目を伏せて、苦笑しながら顔を逸らした。
「ああ…そうだよ。月の光が…私はずっと怖かったんだ。」
そして君たちが、もしかしたらあかねを連れ去りに来たのではないかと…そんなことも考えたりしたんだ、と彼は言った。

「気分を悪くしただろうね、謝るよ。別に私は、君らの訪問を迷惑に思っているわけではないんだよ?」
「そんな…平気です。友雅さんは、そんな人じゃないって僕、分かってますし。」
陰りの無い目で詩紋が答えると、友雅は少しホッとした様子だった。
初対面での彼の印象は、はっきり言って良いものでは決して無かった。
どこか冷めていてつかみ所がなくて、そのくせ子ども扱いされて腹を立てることも多くて、天真も詩紋も友雅への接し方には戸惑うばかりだった。
けれど、付き合って行くうちに分かることがある。
彼は、頼ってもいい力を持っていること。
そして、信じても良い人間であること。

だからあの時、思い切ってあかねの未来を任せた。
そして今、こうして永久に咲き誇る桜があることを目の当たりにして、二人はその選択が間違いじゃなかったことを実感していた。

「あの桜を、枯らしたりするんじゃねえぞ」
天真が言った言葉の意味は、"あかねを不幸にするな"ということだろう。
「そうだね。どんなことがあろうと……あの桜だけは護るよ。」
庭の花木が全て枯れてしまっても、橘の葉の緑が消えてしまったとしても、あの桜だけは咲き続けさせてみせる。
彼女だけは、彼女の心だけはずっと護る。
それが彼女の幸せで、子どもたちの幸せで、そして…友雅自身の幸せであるのだ。

「私は、たいした力も無い男だよ。泰明殿や頼久のような強い力や、鷹通のような家柄や永泉様のような高貴な生まれでもない。勿論君らやイノリたちのように、素直な性格でも決してないしね。」
少し自虐的な友雅の発言に、二人も苦笑いをしつつ耳を傾ける。
「だから、せいぜい私が出来ることは…やっぱり…ひとつしかないんだろうね。」
中宮が言った言葉。帝に言われた言葉。
もう一度繰り返して、自分に言い聞かせる。
たったひとつ、自分が誇れる何よりも大切なこと。

「今以上に…これまで以上にあかねを愛するよ。それだけは、私にしか出来ないものであるだろうしね。」
「…けっ。また堂々とこっ恥ずかしいこと言いやがって!」
思わず天真が突っ込んだが、友雅は笑顔のままでそれを交わした。

すうっと、心地良い朝の風が頬を撫でて行く。
同時にその風は友雅の心の中を通り抜け、溜め込んでいた重い空気を押し出して行った。
物憂げな気持ちは、まだ完全には消えていないけれど、外から風が入ればいつしか中の空気は循環していくもの。
いつしかそれらも吐き出せるだろう。
強く誓ったその想いが、それらをきっと現実にしてくれるに違いない。
その時を待ちながら、彼女を想い、愛していこう。
そんな日々もまた、幸せであるだろうから。


「さて、と。おまえもそろそろ寝た方が良いぜ。宿直帰りで疲れてんだろ。」
あかねは子ども達の部屋で寝ている。まだ起きては来ない。
おまえも独りじゃ寂しくて眠れないか?と天真がひやかすように笑った。
友雅はほんの少し納得しながらも、寝所へ一人戻ることにした。
「いろいろ悪かったね。」
去り際、彼は背を向けたままで言った。
「あいつには、ちゃんと話しとく。起きたら…洗いざらいあいつに話しちまった方が良いぜ?。」
天真の声を背中に受けながら、友雅は足を踏み出した。



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Megumi,Ka

suga