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白雲の果て、春の雪
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| 第11話(2) |
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「まあ、もうお帰りになってしまうの?もっとゆっくりして下されば良いのに」
そろそろ屋敷に戻ろうかと友雅が言い出すと、まず名残惜しそうに文紀の両手を引いたのは中宮だった。
しかし、そう思っているのは彼女だけではなく、周りの女房達もそろって慌ただしくなる。
「別の菓子をご用意致しましょうか?」
「採りたての水菓子などは如何?」
「それとも、甘い蜜水をお持ち致しましょうか?」
女房たちがこぞってあれこれ持ちかけては、少しでも彼らが長逗留してもらえないかと懸命だ。
帝も苦笑いを浮かべつつも、本音ではもう少しこの愛らしい若君の姿を、眺めていたいと思った。
だが、そうも言ってはいられまい。
「屋敷では、母君と妹君が帰りを待っているのだろう。そう思えば、少しでも早く戻らねば、と思うのも仕方があるまい?今日は快く、二人を帰路に向かわせて差し上げよう。」
そう言って帝は、文紀を友雅の方へと差し出した。
「先程の話ではないけれど、次の宴で千歳殿にも御会い出来るのを、私も楽しみにしているよ。」
「有り難きお言葉、我が姫の喜ぶ顔が目に浮かぶようです。その際には少しでも良い琵琶をお聞かせ出来るよう、私もささやかですが教示に励みましょう。」
小さな文紀の手を握ると、父の顔を見上げてにこっと笑う。
その光景にまた、周囲の者も胸が暖かくなる。
「…そなたの奥方にも、よろしく伝えてもらいたい。御会い出来るのを楽しみにしていると、ね。」
振り返ると、帝の隣で藤姫が微笑んでいた。そして反対側では、中宮が背筋を真っ直ぐ延ばして、凛々しい姿で微笑んでいる。
彼女に言われた言葉が、もう一度思い出される。
----------愛する気持ちが足りないなら、もっと愛してあげればいいじゃないの。
そんなことを思ったことはなかったが、実際はどうだったんだろう。
本当に、自分は想いが足りなかったのだろうか。
本気でずっと、彼女だけを愛して来たつもりだったけれど、まだまだ彼女にとっては物足りなかったのだろうか。
それは、本人に尋ねてみなければ分からない。
だが…中宮が言うように、彼女に尋ねなくとも、彼女を更に愛することは可能だ。
ためらう必要など、ない。足りなければ補える。
それだけの想いが、自分にはあると自信を持って言える。
---------愛情で示してやると良い。
帝がそう言ってくれたように、自分が出来るのは、それくらいしかないから。
だが、それは何よりも大切なことなのだろう。
「それで、藤姫様が、父上の音は相変わらず良い音だって、そうおっしゃってて」
「ふうん?しばらく御無沙汰していたから、かなり腕は鈍っていると思ったんだが、そうでもなかったのかな」
文紀は屋敷に向かう車の中で、友雅が演奏をしている間に起こったことを、あれこれと話した。
周りの女房たちが友雅をちらちら見ていたり。中には頬を染めて見入っている者がいたとか。
庭先では小鳥たちが、笛の音に惹かれて高欄へと降り立ってきたとか。
「でも、本当に父上の音は素晴らしかったです。僕なんかの音と全然違うもの…」
少し顔をうなだれた文紀を、友雅は引き寄せて自分の腕の中へもたれさせた。
「ね、よく聞きなさい。父上と文紀と、どれだけ年が違うと思う?」
後ろから彼を抱きすくめ、頭の上から顔を覗き込む。
子ども達用にと、軽めに組み合わせた侍従の香りは、文紀の装束にしっかりと残り香が染みこんでいる。
「父上は、君より何倍も長く生きている。それだけ今の文紀より長く、笛に触れているということだ。父上の音は、そんな年月が積み重なって出来たものだけど…文紀だってこれから頑張れば、それだけの年月の積み重ねがいずれ形になるんだ。」
そう言って友雅は、文紀に仕立てた子ども用の龍笛を取り、それを彼に握らせた。
「文紀はまだ五つだろう。これからもたくさん学べるし、吸収できる。いずれは父上よりもずっと、良い笛の音を奏でられるようになるよ。自信を持ちなさい。」
「……もっと練習すれば、上手くなれる…かなあ」
「頑張りやだからね。あっという間さ。きっと今以上に、周囲から一目置かれるくらいの技量を身に着けられるよ。」
こんな風にして、文紀や千歳を手放しで誉めてやると、いつもあかねは呆れたように笑う。
"親バカなんだから"とか言って。"かいかぶっちゃって"とか言いつつも、喜ぶ子どもたちの姿を微笑みながら、すぐそばで見つめている。
じゃれあう子どもたちは、いつだって笑顔で抱きついて来る。
小さくて柔らかい身体をして、友雅とあかねの間を行き来しながら、あちこちを元気に飛び回る。
そんな何気ない日常ではあるけれど、そのたび何度幸せだと感じたことだろうか。
些細なことでさえ、そこに彼らがいることを確かめるだけで幸せだと思った。
たったそれだけで良かった。愛する人達が、そこにいるだけで。
「僕、その…父上みたいになれたら良いなって、主上に答えたんです」
あかねによく似た瞳をして、文紀は友雅の顔を振り返って見た。
「"自慢の父上ですね"って言われたから、はい、って」
「それは光栄だな。文紀にそう思われるのは、父上もとても嬉しいよ。」
まだまだ小さい身体を抱きしめると、文紀は少しはにかんだように笑った。
千歳は感情を素直に出して、満面に喜びを表現するが、文紀の方はいつも控えめに喜びを表す。
それでも、心から嬉しそうにしている笑顔は、時折彼女を思い起こさせた。
「父上に恥じない大人になりたいって、そう答えたんだ…。なれるかな…?」
「なれるどころか、今でも十分、文紀は自慢の私の息子だよ。」
大切な宝物だ。他の何も代わりの出来ない、大切なふたつの宝物のひとつ。
愛した人と半分ずつ愛を分けた、小さくても輝く宝玉だ。
屋敷に着くと、先に降りた友雅が文紀を抱き留めようと、下から腕を広げた。
「ね、父上。主上がね、僕たちは俗世に生まれた子じゃない、っておっしゃったんだけれど…どういう意味だったのかな?」
「俗世に生まれた子…?さあて、それは父上にも、見当がつかないな。」
文紀の問い掛けに答えてやれないのは、友雅にとっては少し残念ではあったが、生憎思い当たることもない。
またの機会に、それとなく聞いてみようと思いながら、彼は文紀の手を引いて入口へと向かった。
「殿、文紀様、おかえりなさいませ。文紀様、練習は如何で御座いましたか?」
出迎えてくれた祥穂と侍女たちが、まず文紀の手を引いて中へと上がらせた。
「練習はどうだったか分からないけれど、急遽主上と中宮様の前で演奏することになってね。」
「まあ!それはまた急なことですこと。」
「だけど、きちんと演奏できたよ。父としても鼻が高かったよ。」
くるりと文紀は振り返ると、友雅が微笑んでいる。
彼にとって父の言葉は、何よりも嬉しいものだった。
母屋に入ると、いつものように飛びついてきたのは小さな姫君だった。
「おかえりなさいませ、父様、兄様っ」
「ただいま。今日も元気に一日を過ごしたようだね。」
「今日は、母様のお手伝いをしたのよ。色々なものを入れたお米を焚いてみたの。それを握って頓食も作ったのよ。」
その母上の姿はどこか…と見渡すと、厨房の方からやっと彼女が顔を出してきた。
「あ…おかえりなさい、友雅さん…」
「ただいま。天真たちは、まだ帰っていないのかい?」
「イノリくんに会いたいと言っていたから…そっちにも寄っているんじゃないかな、と思うんですけど」
「ああ、そういえば、そんなことを言っていたね。多分久し振りだから、話も弾んで時間も忘れているんだろう。」
友雅は千歳を抱えたまま、簀子の上に腰を下ろして、傾きかけた太陽の光に彩られた庭を眺めた。
「それでね、父様。天真殿や詩紋殿は、私たちよりもお腹がすくのですって。だから頓食を作って、いつでもお二人が食べられるようにって。」
千歳は友雅の腕の中で、はきはきと話をした。
彼女は特に何も言わないが、心の中では自分の作ったものを詩紋が口にすることが、やはり嬉しいと思っているのだろうか。
まるで、彼女の母がそう言って、毎日の食事の支度をしているように。
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