白雲の果て、春の雪

 第11話(1)
なりゆきで文紀は、その場で笛を奏でることになった。
急に宮中で演奏だなんて、考えただけでも緊張してしまうが、帝たっての所望では断ることも出来ない。
おっかなびっくり笛を握った文紀だったが、そばに友雅が付き添ってくれたことで、いつもの音が何とか出せたようだ。
「まだ五つくらいなのでしょう?なのに、とても立派な音を奏でられるのね。」
文紀の笛の音を聞きながら、中宮が感心しながらそう言った。
「友雅が小さい頃から、彼らの前で聞かせてやっていたんだそうだ。琵琶の音は千歳殿が、笛の音は文紀殿が興味を示したらしいから、二人にそれぞれ教えてやるようになったと言うよ。」
「友雅殿に才がお有りですから、お二人とも受け継がれたのでしょうね。」
帝と藤姫の話を聞きながら、流れてくる彼の音に耳を澄ました。

深く、そして雅やかな音。
まだ技法自体は、時折迷うところがあるけれども、大の大人でもこんな豊かな音はなかなか出せない。
それが、齢五つの子供が奏でているのだから、驚かされる。
「優しい音色ですこと…」
いつのまにか集まっていた侍女たちも、文紀の音に聞き惚れている。
「さぞかし、友雅殿が愛情を込めて、お教えしてらっしゃるのでしょうねえ…」
時折ちらっと父の表情を伺っては、彼が微笑んでくれるのを見てホッとして。
そうして笛の音は、更に艶やかさを増していく。

しばらくして、音がすうっと低くなって途切れた。
何とか演奏を終えて、安堵の溜息をついた文紀だったが、とたんに周りからの歓声と拍手に驚いて、隣にいた友雅に思わずしがみついた。
「お見事でしたわ、文紀様。」
「ええ、…まるで極楽浄土の花に埋もれたような、そんな気分になりましたわ。」
あちこちから賞讃の声が上がったが、まだ文紀の方はぎこちなく戸惑いを隠せないでいる。
そんな彼の肩を、友雅がそっと叩いた。
「文紀。皆様が文紀の笛をお誉め下さっているよ。急な演奏だったのに、よく頑張ったね。」
「でもっ…ちょっと指が上手く動かないところが、いくつかあったし…」
練習の時も何度かつまづいたところだったので、またもそこで躊躇したことが気になっていた文紀だったが、帝は穏やかな声を掛けた。
「いやいや。習いたての曲で、そこまで演奏出来れば立派なものだよ。文紀殿の力量ならば、半月もすれば完璧に弾きこなせるであろうね。その時になったら、また聞かせてもらえるかな?」
「文紀、主上へのお返事は?」
ぽん、と小さな背中を友雅が叩く。
「は…はい。次に御前に上がらせて頂く機に備え、日々精進を重ねて更に良い音を奏でられるよう、鍛錬致したいと思います…っ」
「うむ。期待しているよ。」
幼いながらも、しっかりと挨拶を心掛けようとする文紀の仕草に、周囲にたむろしている女房達は揃って感嘆の声を漏らした。

「ああそうだわ。今度の宴では、お父様と妹君様とご一緒に、演奏されるのは如何かしら?」
急に中宮が提案したので、文紀はぎくっとして再び友雅の袖を握った。
「親子三人で演奏だなんて、素敵だと思うのよ。文紀様の笛も素敵でしたし、友雅の技量は誰もが認めるほどでございましょう?ねえ藤、千歳様の琵琶は聞いたことがある?」
「ええ、千歳様の琵琶も、それは見事でございますわ。」
「それなら、尚更聞かせて頂きたいわ。」
中宮と藤姫が盛り上がっている最中、帝が苦笑いを浮かべながら言う。
「あれこれと強制するものじゃないよ、二人とも。ごらん、すっかり文紀殿が恐縮してしまっているよ。」
見ると文紀は、片手で友雅の袖をぎゅっと握りながら、もう一方の小さな手で笛を抱えてうつむいている。

「あまり無理難題を言うと、文紀殿に怖がられてしまうんじゃないかな、中宮?」
「あらいやだわ!ごめんなさい、文紀様。そんなつもりじゃなかったのよ!?ご機嫌を損ねてしまったかしら!?」
慌てて中宮はフォローを入れるため、彼に近寄って行き頬を何度も優しく撫でた。
「い、いえ…そんな…滅相もありませんっ…」
真っ赤になってうつむきながら文紀が答えると、中宮はたまりかねて彼をぎゅうっと抱きしめた。
「やれやれ。そういうところが、文紀殿を恐縮させると言っているんだがねえ」
笑いながら帝が言うと、隣で藤姫もまた苦笑いを浮かべた。
そして友雅もまた、そんな我が子の姿を微笑ましく思いながら眺めている。

「どうかな、友雅。せっかくだからそなたの笛も、聞かせてもらえないかね」
今度は帝の申し出が、友雅の方へ向いてきた。
「文紀殿にお手本を聞かせるつもりで、一曲お願いしたいのだが…。さあ、皆はどう思う?」
周りの反応を伺う必要もなく、彼女達は既に満場一致で帝の意見に賛成の様子だ。勿論、中宮や藤姫も同じである。
そして何より、文紀が瞳を輝かせて友雅を見ている。
「楽しんで頂けるほどの音が、お聞かせできるか不安ではありますが…それでも宜しければ。」
用意された笛を受け取り、友雅は快くそれを承諾したが、そんな彼の言葉が謙遜でしかないことは誰もが承知のこと。
文紀の音があれほど豊かでなめらかなのは、血を受け継がせた父の才が優れていたからだ。

藤姫は文紀を自分の隣へ座らせると、友雅は笛を構えて唇へと近づける。
息を吸い込む直前、文紀を見て合図のように微笑むと、静かで深い音色が春の空気の中へと漂い始めた。

「演奏を聞かせて頂くのは、随分と久し振りですわね。相変わらず、良い音色をしてらっしゃいますこと。」
最近は昇殿しても長居をしないので、こうしてゆっくり彼が楽を演奏するのは、あまりないことだった。
だが、過去に一度でも彼の演奏を聴いた者は、その音を忘れることはない。
それほどに、友雅が奏でる音色は印象的で、まさに彼を表現しているような、鮮やかな余韻を残すからだ。

「やっぱり…父上にはまだまだ敵いません…」
こつん、と藤姫の腕にもたれかかるようにして、文紀は友雅の演奏を羨望の目で見ている。
彼の息子なのだから、自分もあんな風な音が出せても良いはずなのに、まだ足元にも及ばない。
いつかあんな音を出せたら良いと、そう思いながら頑張っているけれど、成果は出ているのかどうか…。

「文紀殿にとって、自慢の父上なのだね。」
ふと文紀が顔を上げると、帝がこちらに眼差しを向けていた。
「は…はい。父に恥じないような、そんな人間になりたいと思います…」
「あら、今のままで十分素敵な殿方よ?楽も優秀でお人柄もお優しくて、将来はお父上より素敵な殿方になれますわ。」
横から中宮が手を伸ばして、文紀の髪を撫でながら言った。

まだ五つの小さな子供だ。
それでも、親にとって理想的な大人になろうと、一生懸命に努力しているが、父である友雅はきっと、今のままの彼で満足しているに違いない。
健やかで素直で、父に対して尊敬と親愛の情を抱き、その心は友雅に伝わっているはずだ。
「文紀殿は…父上や母上と、妹君と暮らしていて幸せかい?」
中宮と逆の方から文紀の髪に触れたのは、帝の手のひらだった。
まさか帝の手が触れるとは思わず、びっくりして彼はこちらを見上げる。
「…あ、あの、私の家族は、少し他の家と比べて風変わりなところが多いのです…が、でも、とても幸せ…だと思っています。」
「そうだろうね。みんな、君たちの家族が羨ましくて仕方がないのだよ。」

一時期は、京の華やかな噂を独占していた雅男。
その彼の妻になったのは…異世界からやって来た娘。
娘は龍神の加護を受けた神子で、彼はそんな彼女を護る八葉の一人で。
生活文化も価値観も全く違う彼女と、彼は恋に落ちて結ばれ----神は二人の子どもの命を彼らに授けた。
奥方自ら食事の支度をしたり、あまり馴染みのないものまでも、料理の材料にすることが多いとか…変わった噂もよく耳にする。
それでも、正室の彼女以外に妻を持たず、愛情を注ぐのは彼女と二人の子供だけ。
例え風変わりな営みであっても、彼らが皆同じ愛情を抱いて生きているというのは、何て幸せなことだろう。

親として子供たちを愛し、そして妻として夫を愛し、夫として妻を愛する。
子供たちは母を愛し、父を愛す。妹として兄として親愛の情を抱く。
決して一方通行ではない想いが、彼らの家庭の中には存在しているからこそ、彼らの周りにはいつも春のような暖かな空気が漂っている。
永遠に続く心地良い春。
彼が以前、よく口にしていた"桃源郷"という理想の地は、もしかしたら彼らが住む場所、そのものなのではないだろうか。

「なるほど…な。そなたたちが幸せなはずだ…」
帝は文紀の柔らかな髪を、優しく何度もその手で撫でた。
不思議そうに見上げる、そのきらきらと輝く大きな瞳は、どこまでも奥底まで澄み切っている。
「そなた方は私達のように、浮世の生まれではないものな…。」
「主上?どうかなさいましたの?」
それきり帝は黙ったが、ずっと文紀の姿を眺めては思った。

……桃源郷に生まれた子らだものな。生まれたときから、不幸なはずなどない。
愛情によってこの世に生を受け、愛情によって育まれていく彼らを包み込む者がいるからだ。

伸びやかに笛の音は、庭先に舞う花びらの間をすり抜けながら、彼女たちを宙で踊らせる。
父の音に耳を澄ませて、瞳をこらして彼はその姿を目に焼き付ける。
いつか、自分も彼に近付こうと願いながら、憧れの姿として目で追いかけている。



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Megumi,Ka

suga