白雲の果て、春の雪

 第10話(1)
泰明が口にした言葉に、あかねは一瞬硬直したように固まったが、次第に頬に熱が上がって来て、我に返った。
「な、何言ってんですか、泰明さん…。急にそんなこと…」
「おまえは、気付いていないのか?あいつの目が、おまえしか追いかけていないことに。」
「そんなこと…言われても…」

幸せに満ち溢れた毎日。
彼と出会い、恋に落ちて、結ばれて、二人の心の結晶が命として生まれ出て。
全てが穏便だったわけじゃなく、ささやかな波乱は日常茶飯事だったけれども、それさえ良い想い出だと思い出し笑いを出来るほど、今の自分は充実している。
それは、彼がずっとそばにいてくれたからで。
見守って、手を差し伸べて…愛してくれていたからだ。
自惚れるつもりはないが、彼が自分を見つめてくれていたことが、今の幸せにつながっていると思うけれど…。

「数日前に、知人から絵巻物をもらって来ただろう。」
「え?あ…ええ。子どもたちにどうぞって、宰相様から頂いたみたいですけど、それが…?」
「その中に、竹取の翁の絵巻があるはずだ。」
竹取物語の絵巻?そんなもの、あっただろうか。
絵巻物であるから、文字は読み難くても絵柄で話の内容は察せる。
聞き覚えの無い物語ならともかく、竹取物語なら絵を見れば、おそらくあかねにも分かるに違いないのだが。
「そういうのは…見かけなかったですけど?」
子供たちが開いて眺めていた中には、思い当たるものはなかった。
「…おまえに気付かせたくなくて、どこかに隠したか…または、処分してしまったのかもしれぬ」

隠した……?
「あ、もしかしたら…」
思い当たる節が、ひとつあった。
"まだ子どもたちには難しい"と言って、一本だけ彼が抜き取った絵巻がある、と天真が言っていた。
もしや、それが……。
「その絵巻が、竹取の翁の話が記されているものだ。おまえに、見せたくなかったのだろうな。」
かぐや姫が、月の使者と共に自分の故郷へ帰るという、そんな選択肢があることを気付かせたくなかった。
自分が生きている場所以外に、行くところなどないのだと、そう思っていて欲しかったのだ。

「あいつは、"自分は、おまえに依存し過ぎている"と言っていた。ここまで依存しなければ、こんなことで悩むこともなかったのだろう、とな。」
愛することの幸福感の裏で、その存在が消えたとき…自分はどうなるんだろうかと不安になった。
そしてその可能性は、彼女の生い立ちを思えば、決して無とは言えないのが現実。

「だが、どうにもならぬのだ。おまえを一人の女として愛したときから、あいつはおまえに依存せずに生きることは出来ない。」
その目に映すのは、一人だけ。想う人は、ただ一人だけで良い。
誰にも代わりの効かない、唯一の存在。
その人を想うことが、幸せであることを知ってしまった。
だから…彼女を想い続けざるを得ない。
その幸せに、浸っていたいと思うが故に。

「友雅の生きる糧は…神子、すべておまえの存在だ。おまえを、そして子どもたちを、今まで通りに愛して行くことだ。」
「泰明…さん…」
「だからこそ、不安だったのだろう。」
彼女を失うかもしれない可能性を、あの物語に重ねながら胸を痛めて。


「…私、友雅さんに、何て言えば良いんですか?」
何て言えば、この心が通じるだろう。
あなたが、そんな不安を抱く必要なんてないということを。
あなたが想っているように、自分もまた彼のそばで生きることが、何よりの幸せであることを。
胸の奥が熱い。
恋をした時から、灯り続けている心の炎が、今、少しだけ強く燃え始めている。

「別に、その気はないのだと、あいつに言ってやればいいのではないか?」
「………」
さらっと一言泰明が言ったのは、あっけないほどストレートな助言だった。
こんなに悩んでいたにも関わらず、解決策としての答えは、こんな簡単なことで良いのか?
「友雅の心は、おまえの声でしか反応せんだろうに。おまえが自分の言葉で、そう言ってやれ。それが最短の解決策だ。」
愛した人の想いが詰まった言葉で、不安も切なさも消えて行く。
泰明はそう言って、ほのかに表情をほころばせた。

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萌ゆる春の緑に覆われて、隅々まで洗練された美しい庭を眺めながら、静かな時間が流れていた。
誰もが口を閉ざしたままで、差し込む日差しの暖かさを感じつつも、心の中は穏やかなものではなかった。

最初に一応断りはしたが、結果的に二人を傷付けてしまっていないだろうか。
何より、勝手にこれらの事を打ち明けたせいで、天真たちと友雅との間に、不穏な感情が芽生えてしまったら…。
そんなつもりは、鷹通自身も友雅も全くなかったのだが…。

「申し訳ありません…。余計なことを吹聴してしまったかもしれません。」
詫びるように鷹通は頭を下げると、彼らはそれに気付いて視線を戻した。
「べ、別に鷹通さんが、謝るようなことじゃないですから。僕らが、聞かせて欲しいって頼んだんですし…」
慌てて詩紋がフォローに回った。
鷹通に責任は無い。そして、友雅にも責任があるわけじゃない。
彼が不安に思うのは、当然のことなのだ。

「…馬鹿だな、アイツ…」
ぽつり、と天真のつぶやきが聞こえて、二人は彼の方に視線を向けた。
「あかねが、そんなことを思っているわけ、ねえじゃん…」
鼻で軽く笑い飛ばすように、天真は頭を掻きながらそう言った。
友雅を捨てて、元の世界へ戻る?
彼女は一瞬でも、本気でそんな事を考えていたと、友雅は思っているんだろうか。
久しぶりに再会したあかねは、彼の妻となり、そして母となっていて。
酔いしれるほどの幸せに浸りながら、毎日を生きていることが、自分たちにも手に取るように分かるのに。

「少なくとも、俺らはそういうつもりで、ここにいるわけじゃねえ。連れて来られた意味は、正直俺らにもさっぱりだけど…」
でも、自分の意志でなら、はっきり言える。
「俺は…他人の幸せをぶちこわすような、そんな趣味は持ち合わせていねえよ。」
そう天真は答えると、再び庭に視線を移した。

「鷹通さん、僕も天真先輩と…同じです。」
深く澄んだ泉のように、青い瞳の詩紋も口を開いた。
「僕は…ただもう一度だけ、あかねちゃんたちに逢えたら良いな、って…そうお祈りしただけなんです。連れ戻そうなんて…思ってない。」
当然のように毎日共に過ごして来た彼女に、会えなくなって数年が過ぎて。
春が来るたび…あの、時空が揺らいだ季節が訪れるたびに、今はどんな風に過ごしているんだろうかと、何度も思い出した。
彼とともに生きて行きたいと、そう言って別れて向こう側に残った彼女。
元気で、幸せあればそれで良い。
でも、もしも…もう一度だけ可能なら、この目で今の彼女の姿を確かめたい、と。

「僕らに連れ戻す使命とかがあって、ここに連れて来られたとしたら…僕はそれを放棄します。」
詩紋は真っ直ぐな力強い目をして、鷹通にそう断言した。
「だって、再会して感じたもの…。ホントに…羨ましくなるくらい二人とも幸せなんだって…。」
さっき鷹通が言ったように、あんな恋が出来たら良いだろうなと、自分も憧れてしまうほどに。
愛した人に愛され続け、そしてその人に愛を返せる。
愛しいものだけに囲まれた生活が、充実しているのは目で見て分かる。
そんな二人を、龍神は引き離すつもりで、もう一度自分たちが京に来る事を許したのか?
何故、彼女を護るために存在する龍神が、彼女を傷つけようとする?

「龍神の…命を放棄…するのですか?」
詩紋は迷わずに、うなづいた。
「僕は龍神のためじゃなくて、あかねちゃんたちの幸せのために、力になりたい。友雅さんが、そんな風に不安を募らせてるなら…僕は、それを払う力になりたいです。だってそれが、二人の幸せでしょう?」
きっぱりと、そう強く言った詩紋の面影は、あの頃の柔らかすぎる物腰の気配はなかった。



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Megumi,Ka

suga