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白雲の果て、春の雪
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| 第9話(3) |
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「泰明殿、お久しゅうございます」
「千歳か。相変わらず息災なようで、何よりだ。」
「ええ。泰明殿も、お元気なご様子で結構なことですわ。」
大きな瞳で見上げる彼女の髪を、泰明はそっと撫でた。
まったく千歳って、小さい頃から物怖じしない子だけど…泰明さんにも全然尻込みしないなあ…。
私だって、最初はちょっと取っつきにくくて、話しづらかったのに。
それに、泰明さんも不思議と煙たがらないのよね…この子たちのこと。
まとわりつかれても、ちっとも嫌な顔もしないし。
子供好きとは、お世辞にも思えないんだけど…おかしな関係だなあ。
……などと、あかねは二人の姿を見ながら、ぼんやりと考えていた。
「今日は、友雅は出仕か。」
「え?あー…ちょっと違います。今日は、文紀の付き添いで出掛けてます。笛を習う日なので。」
「そうか。文紀も健やかなようで結構だ。」
じーっとあかねは、泰明の顔を見る。
表情を乱さずに、彼は冷やした麦湯に手を付けた。
「どうかしたのか。さっきから、何をじろじろと見ている?」
「いや、その…泰明さんて、千歳と文紀を気に入ってるんですか?」
あかねの言葉に、横から千歳が泰明を覗き込んだ。
「悪い気はしない。」
「私も泰明殿は大好きですわ。だって、いろいろな事を教えて下さるもの。」
千歳が度胸が良いのか、それとも泰明が変わっているのか。
どちらの比が高いか知らないけれど、妙に釣り合いの取れた関係だなあ…と、母としてあかねは不思議に思いつつ、笑みがこぼれた。
「まあ、それは良いですけど…急にどうしたんですか?私に用事があるって聞いたんですけど」
以前にも、自分に用事があると言って、突然前触れもなく彼がやって来たことはあった。
あの時は確か……今、彼の横に座っている千歳たちを身ごもった時のこと。
……え、もしかしてまさか、また…そ、そんなことがあって来たのでは…!?
「そういう理由で来たのではない。」
心音がドキドキと鳴り乱れて、熱くなった顔を押さえて戸惑うあかねに、泰明はあっさりと答えた。
「回数と命中率は、必ずしも比例する訳ではない。今のところおまえからは、そういう兆候は感じぬ。」
「きゃ〜〜〜!!こ、子供がいる前で、そんなこと言わないでください〜〜〜!!!」
「泰明殿?どうして母様は、大騒ぎされてるの?」
「千歳もっ!そこで突っ込まないで、お庭でお花を摘みに行ってきなさーいっ!!!」
そろそろ、人の言葉に興味を抱き始める頃だから、彼らの前での発言には緊張しっぱなしだ。
「何を動揺している?おかしな事でもあったか?」
「も、もーっ!泰明さんが露骨なこと言うからじゃないですかあ!!」
「仲睦まじい故、だろうが。何も…問題ないことだろう。」
頬を染めて、日頃の自分たちの仲を思い浮かべては、鼓動をうち鳴らしている彼女を見る限りは、何も問題はないように思える。
子供たちも素直なまま、順調に健やかに成長している。
友雅が抱く想いさえ知らなければ、ずっとその淀みない幸せは続いていくだろう。
だが、その中に生きる一人が、胸に痛みを抱えて生きていく、その先にあるものは…完璧な幸せじゃないかもしれない。
「変な事を聞くようだが、最近友雅の様子はどうだ?」
「えっ…友雅…さん?」
それまで軽いパニックに陥っていて、落ち着きのなかったあかねだったが、泰明が急に友雅の事を聞いてきたとたん、ふと表情が固まった。
「どうしてそんな事を、聞くんですか?」
「……普段通りなら、別に構わないがな」
泰明はそう言って、素焼きの碗に入った麦湯を口に運んだ。
「変わったことがない…ってわけじゃない…んですけど。」
あかねの手に添えられた碗は、一度も口を付けられていない。
泰明は、少し遠くを見るような眼差しの彼女を見る
「気になること、っていうか…。何でかなあって、不思議に思うことがちょっとあって…」
「言ってみろ。」
さっきとは違った戸惑いの表情で、あかねは顔を上げた。
「…最近、何だか友雅さん、月って言葉に敏感になってる気がして…」
眠る時、外から月の明かりが入らないように、しっかり戸締まりをしろと、何度も言う。
ゆっくりと月を眺め、その柔らかな明かりに包まれて眠る事が好きな彼だった。
なのに、突然にそれを避けるようになった、その理由が…思い当たらない。
「泰明さん、もしかしてその、月明かりを浴びちゃいけないとか、災いがあるとか…友雅さんに言いました?」
「何故、私にそんなことを尋ねるのだ」
「だって…そういう理由があるなら、分かるんですけど……」
そんな事がなければ、唐突すぎて、不思議でならないのだ。
「月明かりを浴びても、おまえに直接的な問題が生じるわけではない。だが、広い意味で捉えれば…友雅には災いがあるのかもしれぬ。」
夜空を見上げ、思い浮かべるひとつの迷いと、不安。
優しく甘い月明かりの中に、彼女の姿が溶けてしまうのではないか…と。
「おまえが元の世界に戻ってしまうのではないかと、それを友雅は恐れている。」
「えっ…!?わ、私が…っ!?」
泰明から聞かされた言葉は、あかねには全く予想もしないことであり、そして自分もまた考えたこともないことだった。
元の世界に戻る?どうして急に、彼がそんなことを思い付いたのだろう。
"帰りたい"だなんて…友雅と一緒になってから、言った覚えもないし、一度だって思ったこともないのに。
「天真たちが、ここにやって来たのは…おまえを向こうに連れ戻すためなのではないか、と。あいつは、そう思ったらしい。」
「ちょっと待って下さいよ!別に、天真くんたちはそういうつもりじゃ…」
未だに彼らが再び京へ飛ばされた理由は、分かってはいない。
でも、少なくとも彼らにはそんなつもりはないと思うし、そんなことを言われたこともない。
「どうしてそんな…。友雅さん、天真くんたちとも、仲良く楽しそうにしてますよ?」
「違う。友雅は…二人を敬遠しているわけではないのだ。」
そう言うと泰明は、珍しく言葉を濁らせたあと、もう一度あかねの顔を真っ直ぐ見据えた。
「竹取の翁、という話を知っているか?」
竹取というと、竹取物語…つまり、かぐや姫の話か。
「ええ、もちろん知ってますよ。私の生まれた世界でも、小さい頃から読んだり聞いたりしてましたから。」
「ならば、話は早い。その話で、"なよ竹のかぐや姫"はどうなる?」
竹林の竹の中から生まれた、かぐや姫。
多くの男や帝の申し出も受けずに、彼女は十五夜の夜に---------。
「まさか……」
あかねがその意味に気付いて、泰明の顔を見返したが、彼は何も答えなかった。
--------------十五夜の夜に、月からの使者がやって来て、かぐや姫は月へと帰っていった。
「おまえは、龍神の加護の元に存在している。龍神は、おまえの願いを叶える力を持っている。おまえが望めば………」
「私が"帰りたい"って思ったから、天真くんたちを呼び寄せたって、そう言うんですか!?」
彼らを使者として、もう一度この京へ。
あかねを連れていくための役目をもって、京へ呼び寄せたというのか。
「何か不満があるか?元の世界へ"帰りたい"と思うか?」
「そんなこと、思っていません!」
愛する人と、そして子供たちと暮らす何気ない日々の流れ。
これ以上ない穏やかな幸せの中で、不満なんて何もないのに。
帰りたいだなんて、思うわけがないのに。
「何でそんな風に…思ったんでしょうか…」
もしかして、友雅にはそんな風に見えたんだろうか。
無意識のうちに、彼を不安に陥れるような事をしていたのか?
不満を抱いているように見えた?
「そういうわけではない。おまえの態度には問題はなかった。今回のことは、友雅が自分で思い描いてしまったことだ」
「でも、それだって理由がなかったら、あり得ないじゃないですか」
きっかけは、あの絵巻を手にした時だろう。
そのような話があったことを、彼は思い出してしまった。
月の姫は、月へと戻ってしまうこと。
異世界で生まれた者は、元の世界へ戻ってしまうこと。
そんな境遇の女性が、自分の一番身近にいることに、気付いた。
そして、もしも彼女が物語のようになったら……。
不安、恐怖、もどかしさ、切なさ、戸惑い------沸き上がって止まらなくなる、胸の痛みの原因。
「強いて言えば………」
彼がそれほどに、締め付けられる想いを抱いている理由は------
「あいつが、おまえを愛しているからだろう。」
桜の花びらが舞い落ちて、簀子の上を淡い春色に染めていた。
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