 |
 |
白雲の果て、春の雪
|
|
 |
| 第9話(2) |
 |
 |
 |
春の萌緑の中を漂う蝶が二頭、ひらりと仲良く寄り添うように舞っている。
それはまるで、恋人同士が戯れているようにも思えて、春の日差しが一層暖かく感じられた。
「あの、友雅殿は…今日はどうされておりますか?」
何故か鷹通が、突然にそんな事を切り出した。
「今日は…確か内裏にいる笛師の人のところに、文紀くんを連れていくって行ってましたけど…」
「そうですか。何か変わった様子は…ございませんでしたか?」
「別に?相変わらず親バカしてるし、あかねとはいつも通り、イチャイチャちゅーちゅーだし?別に変わった事はないと思うけども。」
天真独特のスラングは、鷹通にはストレートには伝わり難かったが、何となく彼の身振り手振りと、その隣で顔を赤くしている詩紋の様子で、言葉の意味は何となく理解出来た。
「仲がよろしければ、それで結構なのですが…」
歯切れの悪い鷹通の言葉に、二人は顔を見合わせて眉を顰めた。
「あの…何か友雅さんに…気になることでもあったんですか?」
最初に切り出したのは、詩紋だった。
"仲が良ければ結構”だなんて、まるで二人の間に異物が挟まっているような、そんな言い方に聞こえてしまう。
彼が友雅の様子を気にする理由。
まさか……?
いや、昨日頼久とイノリに会った時だって、彼らも自信ありげに言っていたじゃないか。
昔の彼ならいざ知らず、自分たちも毎日目の前で見ている二人を思い浮かべれば、友雅の心に別の誰かが侵入するなんてこと…有り得ないと思うのだけれど。
「鷹通、気になることがあるんだったら、言えよ?俺らもさ、こっちに来てあいつらの順風満帆な状態にホッとしてるんだよな。でも、もし何か気になる事があるんだったら、やっぱ…さあ」
二度と会えないと思っていたから。
別れてから、二人のその後を確かめる術がなかったから、いつもどこかで気にはしていた。
あれからあかねは、どんな風に生きているんだろう。
友雅とはその後、どうしただろう。
当たり前のように過ごしてた三人の日々の中で、一人抜け出した彼女のことが気がかりだった。
「最初はびっくりしたけど、でも…あかねちゃんも友雅さんも、ホントに幸せそうだし。すごくそれを実感するから安心してたんです。でも、少しでも気になることがあるんだとしたら…教えてくれませんか?」
「幸せなら結構だけど、もし諍いの芽が見つかったんだったら…俺らも安心して向こうに戻れねえよ。」
鷹通は、二人の言葉を聞きながら、深く考え込んだ。
…打ち明けた方が良いだろうか。
彼が抱く、彼にしか分からない切なさと苦しさを。
幸せの重さが増えるほどに、気付いてしまった心の痛さ。
だが、彼らにそれを言うことは、非礼ではないかとも考えてしまう。
彼らの存在に怯えているだなんて、まるで友雅が二人の来訪を歓迎していないと思われてしまうのではないか。
そんなことは、決してない。
青龍、朱雀、玄武、そして…自分たち白虎の天地それぞれは、常に対の相手を意識し続けている。
しかしその他に、同じ時を同じ神子と共に生きた、運命共同体のような深い絆の心が存在している。
どれほど親しい知人であろうと、他の七人の存在を受け入れられないはずはない。
友雅だって、こんなことに気付かなければ……久しぶりの再会を心置きなく楽しめたはずだ。
なのに、彼女への想いが強いばかりに、こんな皮肉な結果を招いてしまうなんて。
「鷹通、はっきり言えよ?話の内容によっては、大人しくあいつをここに置いたままに出来ないぜ?」
天真がそう言ったとたん、ぴくりと鷹通の中の何かが動いた。
"ここに置いたままには、しておけない……"
「お二人は…そういう理由でここに…」
「え?どういうことですか?」
詩紋が尋ね返すと、鷹通は首を横に振る。
違う。
もしも龍神が彼らを呼び寄せたとしたら、彼女の心が何かしら作用したはず。
彼女が向こうに戻りたがっているなんて……。
「なあ。ここで会えたのも何かの縁だぜ?はっきり言ってくれよ。一応心構えだけはしとくからさ。」
「…何かあっても、前向きに対処出来るように、僕らはあかねちゃんたちの為に、何とか力を尽くしますから。」
惑う瞳をそれぞれこちらに向け、二人は静かに鷹通に詰め寄る。
…黙っていても、仕方がないか。
彼が何かに怯えていることを。
真実は分からないが、決してそれは二人を疎むつもりではないことを、伝えておくべきなのかもしれない。
誤解を招いて、彼らにまで嫌な想いをさせることはない。
「お話を聞いて頂けますか…?」
悩んでいた重い口を、鷹通が開きかけた。
「ですが、これは決してお二人を、悪い気分にさせるつもりではないことだけ、先にご理解して頂きたいのです。」
天真と詩紋は、その言葉を聞いてもしっくり来なかった。
自分たちが気分を害すること?それはどんなことなのだろう……。
そして鷹通は、淡々と言葉を紡ぎ始めた。
春の日差しが、丁度てっぺんに差し掛かった頃の事だった。
+++++
橘邸では、あかねが厨房で調理をしていた。
「母様、お米を洗い終わりましたわー」
籠に入れた玄米を、瓶でしっかりと洗っていた千歳が、それらを持ってあかねのそばにやって来た。
「はい、ご苦労様。それじゃ、それをこのお鍋に入れてね。」
「入れたら、どうしますの?」
「そうしたら、こっちのお出汁を入れてね、最後にお肉を入れたら、お鍋を火にかけるのよ。」
言われた通りに、千歳は小さな手で一生懸命に調理をする。
そんな彼女に付き添いながら、あかねは祥穂とそれらを見守っていた。
母が自らやっていることを、見ているうちに興味が出て来たらしい。
覚えていて損をする事ではないから、こうして一緒に厨房に立つ事を許している。
もちろん、来客をもてなす時などは忙しいので、立ち入り禁止になってしまうが、それ以外はよく手伝いをしてくれる。
「今日はお肉を入れたご飯?」
「そう。これが炊けたら、まんまるに握っておくのよ。そしたら竹の皮で包んで置いておくの。」
肉と言っても、こちらでは殆どが雉肉だ。だが、やはり鳥の肉であるから良い出汁が出る。
それらに味を付け、出汁と一緒に炊き込む。米は健康のため、玄米と決めている。
「詩紋くんたちが帰って来たら、差し上げるのよ?お腹すいているだろうから。」
おにぎりにしておけば食べやすいし、残っても少しの間は持ちがいい。
1日2食がこちらの通説だが、それでは栄養が偏るだけだ!と現代で培った知識を踏まえて豪語したので、橘家は常に1日3食が基本である。
そのせいもあってか、同世代の子供たちから見ると身体も丈夫で、これまで殆ど病気をしたこともない。
あかねに説得され、そんな生活習慣もすっかり浸透した友雅たちも、同僚や知人の公達が体調を崩しやすいと言われつつ、まったく健康だし。
「奥方様は、本当に食にまつわる栄養などの知識に、長けていらっしゃいますから。私共も身をもって色々と学ばせて頂いておりますわ。」
「そうですかー?でも、これが私の世界じゃ普通でしたからねえ。」
だが、今になってみれば、自ずと理解していた食べ物のことや、料理の仕方などに関しての知識が、こんな風に役立つとは思わなかった。
「まずは何事にも、健康第一でしょ?旦那様と子どもたちの元気が一番!それには、しっかり栄養摂る事が基本ですよ。」
「ええ、そうですわね。」
しゅんしゅんと鍋から沸き上がる、白い湯気をじっと眺めている千歳を見ながら、あかねたちはそんな会話を紡いでいた。
「あの、奥方様…お客様がおいでになられておりますが」
「え?お客さん?友雅さんに、じゃなくて?」
侍女が厨房にやってきて、来客の到着を告げた。
主は留守だが、どうやらその人物は友雅にではなく、あかねに用事があってやって来たらしい。
あかねは厨房の方を祥穂に任せ、客人を出迎えるため玄関先へ向かった。
|
 |
|
 |