白雲の果て、春の雪

 第8話(3)
「おかえりなさい、友雅さん…って、あれ?天真くんたちも一緒だったの?」
屋敷に戻ると、出迎えに出て来たあかねが、友雅の背後に続く彼らの姿を見て驚きの声を上げた。
「まったく…友雅と偶然会って助かったぜ。いくら男二人でも、重いったらなかったぜっ」
「だってー、力仕事は任せろって言ったのは、天真くんでしょー」
ブツブツと頭を掻きながらも、決してそれ以上文句を言わないのは、居候の立場を忘れていないからだろう。

「んじゃまあ、俺らは荷物下ろしてくるから。さっさと挨拶を済ませろよ?」
天真は詩紋を引っ張って、くるりと背を向けて外へ出て行く。
彼が言い残した言葉の意味を、理解出来ていない友雅は疑問符を抱いているみたいだが、あかねにはその意味が分かって、ほわっと頬が熱くなった。

彼女の手が、友雅の袖を軽く引っ張る。
「…おかえりなさい」
その言葉と同時に、彼はいつものようにあかねを引き寄せる。
"ただいま"を言うかわりに、唇を重ねることで応えるために。
わずかなぬくもりだけど、この唇は彼女に口づけることが出来る。
この手は、彼女に触れて抱きしめることが出来る。
夢幻ではなくて、現実。ここに彼女がいる、現実。
こうして確かめられるのに、どうして何度も思い出してしまうんだろう。
考えたところで、自分が辛くなるだけだと分かっていながら。

「姫君と若君のお出迎えは、今日もないのかい?」
「あ、えーと…うん…何か色々とあったみたいで。中で待ってます、って。」
あかねは照れながら、曖昧に答えた。
どうやら天真に妙なことを吹き込まれたようで、"お邪魔をするものではないらしいから、最初のお出迎えは母様お一人で"と千歳が言った。
"お部屋に入られたら、真っ先にお迎えに上がりますわ"とか…なんとか。
「ふうん?それなら早く中に入って、二人の顔を拝ませてもらわなくてはね。」
友雅はあかねの肩を抱いて、屋敷の中へと進んだ。


「父上、お帰りなさいませ。お勤め御苦労様です。」
荷物を抱えて、二人とともに部屋に戻って来た天真たちは、そこで出迎えた子供たちの姿に目を見張った。
「如何でしょう?宴そのものは内輪と言え、やはり主上のお目の先でございますから、それなり色目で合わせてみましたの。」
祥穂は、着付の終えた二人を友雅たちの方へ差し出した。
文紀は春らしい、萌黄色の半尻。
千歳はまさに桜の花を模したような、紅の薄様の重ね。
二人が並んで揃った姿は、今の季節をそのままに描き出している。

「よく似合ってるよ。凛々しい花と可憐な花が、一気に咲き誇ったみたいだ。」
「ホント?」
「ああ、眩いくらいだよ。ねえ、詩紋?」
千歳を抱きかかえると、友雅は後ろにいた詩紋に声を掛けた。
思わずどきっとして我に返ると、小さな姫君は父にしがみついて、艶やかな黒い瞳をこちらに向けている。
「あ、す、すっごく…綺麗だと思うよっ」
きちんと装束を着こなし、お揃いの檜扇に橘の色目と同じ房を垂らして。
着慣れた二人の物腰は、日本人形そのもの。
それが動いて、きらきらと瞳を輝かせて言葉を話す。
不思議と……どきどきしてしまう。

「お誉め頂いて…光栄ですわっ…」
どぎまぎして落ち着かない詩紋と、単に良く似た色合いに頬を染めて礼を言う千歳を、あかねたちは微笑ましく思いながら見守っていた。

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夕餉の用意が整うまでの間、あかね以外の者は広間へと移動して、春の夕涼みを楽しんでいた。
少量の酒と肴。甘い野いちごのジュースらしきものは、子供たち用。
「天真たちの装束は、鷹通に頼んで来たよ。明日は屋敷にいるようだから、用事がなければ出掛けてみてはどうだい?」
「お、話が早いな。じゃあ行ってみるか、詩紋」
「あ…僕、それだったら、そのついでにイノリくんの所にも行ってみたいなあ…」
天真が頼久と会ったことを聞いてから、やはり気になって仕方がなかった。
自分と対になっていた朱雀の彼が、今どうしているのか。
背も伸びて、逞しくなったけれど、性格は相変わらずだと天真は笑っていたけれど…やっぱり面と向かって再会したい気持ちが止められなくて。

「ふふ、やっぱり天地は、引き合うものなのかもしれないねえ」
二人の様子を眺めながら、友雅は微笑みながら盃を傾ける。
「そーいうおまえは、どうなんだよ。鷹通とか気になったりしないのか?」
「私たちは、しょっちゅう顔を合わせているしね。何せ、毎日同じ内裏へ出仕している身だし。」
すぐに会える立場にあると、お互いの存在もそれほど意識しなくなるみたいだ。

「まあ、鷹通の未来については…常に気になっているかな。」
「あ、それは私も。」
唐菓子と干し棗を持って来たあかねが、小鉢をそれぞれの目の前に置くと、友雅の隣に腰を下ろした。
「鷹通さんにも、そろそろ良いお話があっても、良いんじゃないかなあーって思うのよねー。」
「…それさ、鷹通よりも、まずは頼久の方が先じゃねえ?」
天真の答えに、笑い声が上がった。
「二人とも、もう少し恋を楽しむ余裕があれば良いんだがねえ…。」
「おまえが言うと、何かやり過ぎな気もするけど。昔は限度超えてたしなあ〜…」
出会いの幅を広げるのも結構だけれど、昔の友雅みたいになるのも、ちょっと困りものだろう。

「酷い事を言ってくれるねえ。これでも今の私は、本当の恋の楽しさを知っているんだよ?」
「…う…きゃ!こ、溢れちゃいますってばっ!」
盃に酒を注ごうとしたあかねは、急に抱き寄せられて手元がぐらついた。
何とか踏みとどまって、提をひっくり返さずに済んだけれど、少し指先を酒で濡らしてしまった。
「彼らの前で、恋の楽しさを見せつけてみようか。そうすれば、感化させられるかもしれないね。」
酒の雫が絡まるあかねの指先を、友雅は自らの口で味わう。
少し甘めの味が、一層その指からだと甘く感じるのは、きっとそんな恋のせいだ。

「あのさあー、そーいうさあ、エロっちい光景を俺らに見せんなっ。そーいうのは二人だけの時にやれっ!」
「へ、変なこと言わないでぇっ!」
天真からは容赦なく突っ込まれるし、友雅は指先をくわえたまま、その手を離してくれないし。
時折舌先で指を舐められると、くすぐったいったらありゃしないし。
挙げ句の果てに……

「父様、"エロっちい"って、どういう意味ですの?」
子供たちが不思議そうな顔をして、余計な知識に興味津々で覗き込んでいる。




子供たちが寝床に着くと、友雅は出掛ける用意を始める。
今夜は宿直の当番であるから、これから再び内裏へ向かわなくてはならない。
戻るのは深夜になってから。
それを見送り、出迎えるのはあかね一人だけだ。
彼女はいつでも、友雅の帰りを寝ずに待っている。
「それじゃ、出掛けるよ。先に眠っていても良いけれど、戸締まりだけは気をつけるようにね。」
「大丈夫です。ちゃんと起きて待ってますよ。勿論、戸締まりはちゃんと確認しますけどね。」
そう言って、いつも通りの唇の合図を交わしてから、友雅は屋敷を出て行った。

しかし、ほんのわずかな時間を挟んで……彼は振り返ってこちらに戻って来た。
「どうしたんですか?何か忘れものですか?」
「いや……」
友雅は言葉を濁すように、髪を掻きあげてあかねを見る。
「何でもないよ。その…戸締まりにはくれぐれも…」
「分かってますよ。ちゃんとさっきも確認しましたし、外も見回りしてもらいましたから、安心して下さい。」
「違う。そういう意味じゃないんだ…」
手が伸びて来て、あかねはその胸の中に閉じ込められた。

急に、思い掛けなく抱きしめた友雅の衣から、侍従の残り香が伝わる。
「ふっ…今夜はどうやら、君を離すのが名残惜しくてたまらないみたいだ」
抱きしめたまま、かすかに彼は笑いながら、そんな言葉をつぶやいた。
そんな甘い台詞は日常茶飯事だけれど…でも、今の彼は何となく…違和感がある。

「とは言っても、大将がサボるわけには行かないからね。辛いけれど、出掛けるとするよ。」
ようやくあかねを手放すと、彼は決心を固めて出掛ける気持ちを整えた。


ただ、もう一度だけ。
振り向かずに背を向けたまま、友雅は一言だけあかねに言った。
「しっかりと戸は締めておくようにね。……月の明かりも入らないくらいに。」

それだけを言い残し、友雅は立ち去って行った。



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Megumi,Ka

suga