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白雲の果て、春の雪
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| 第8話(2) |
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冷たい野草茶と水菓子を挟んで、永泉はここにやって来た理由を泰明に説明した。
陰陽師であり、八葉として龍神や神子の気にも敏感な彼ならば、真実のひとかけらでも分かるのではないか、と思ったからだ。
「その話なら、お師匠にも調べて頂いた。」
「ふむ。こやつが言う通り、別にこれと言って友雅殿が心配するような事は、ないと思うのだがな。」
「ですが…友雅殿の心境を察すると、私も主上も痛々しく感じてしまうのです…」
天真たちが、何故急に再び京に舞い降りて来たのか。その理由が知りたかった。
それは永泉だけではなく、兄である帝も気がかりな事だった。
誰もが羨むほどの、幸せに満ちた家庭を築いていたはずなのに…。
月を怯えるようになった彼の想いが、胸を切なく締め付ける。
「神子は…元の世界に未練など、ありませんでしょう?」
肯定の答えを求めるかのように、永泉は真っ直ぐに二人の顔を見るが、晴明は確実なYESの言葉はくれなかった。
「難しい問題だがな…。生まれた世界の記憶を消すなど、不可能だからな。」
白く延ばした髭を弄りながら、彼は目を伏せる。
何も言えないでいる永泉に、晴明は口を開いた。
「ただし、それは程度の問題であろう。生まれ育った土地を、懐かしく思い出すことは仕方のない事。だが、それが未練かと言うと、そうでもなかろう。」
未練というものは、現在に不満があるからこそ生まれる感情だ。
過ぎ去った過去の方がずっと良かった。
だから…何度も振り返っては指をくわえて、未練に後ろ髪を引かれて立ち止まっては前を向けない。
それを、今のあかねに当てはめて考えてみろ、と晴明は言った。
「…そなた方はどう思う?神子は不幸に見えるか?不満を持っていると思うか?」
「いえ…」
即、永泉は答えた。泰明もまた、迷わずに首を横に振った。
晴明は穏やかに微笑んで、答えた。
「神子はこの地を離れぬよ。少将殿と子供たちがいる限り、むしろ…離れられんだろう。」
誰にも代役が出来ない、たった一人の相手と巡り会ってしまってから、彼女の世界の中心はここ以外にない。
「ならば、お師匠。何故に天真たちが再びここにやって来たのだ?」
「うーむ…」
泰明に横から口を挟まれ、一旦は一件落着的に思えたのだが、再び晴明は首を傾げた。
「龍神の悪戯ではないか?と主上もおっしゃっておりましたが…」
「まあ、そう言われればそうかもしれんが。何かしら、必然の理由があることは確かだがな。」
事が非日常的なものほど、理が存在しているものである。 「もちろん、神子に不利なことは絶対にないだろうが。」
彼女に不利なことは、彼女が愛する者にとっても不利なこと。
だから、友雅や子供たちが不安に思うようなことは、有り得ないと思うのだが。
「理由が分からぬと、友雅はまた悩んで頭を抱える。」
「しかしなぁ…それは私にもよくわからん。」
むしろ八葉であった泰明の方が、分かりそうなものだが…。
「どうにかならないでしょうか…晴明殿…。」
嘆くような表情の永泉と、表情が乏しいままでじっとこちらを見据える泰明。
思わず、晴明はひとつためいきをつく。
「仕方がないのう…。近いうち、神子の話でも聞いてみるとするか。」
別に八葉でもないのに、どうもいつのまにか、あかねたちの世話を焼く癖が着いてしまったようだ。
+++++
左近衛府での仕事が終わり、早々に舎を後にしようと外に出た。
車の待機している門前に向かう途中、何気なく友雅は空を見上げると、白い雲間から小鳥が軽やかに飛んで行く姿が見えた。
爽快感のある景色。
だが、その天の遙か向こうに、うっすらと白い月が浮かんでいるのを見つけると、ひとつ小さな溜息が溢れた。
「…まだ明るいというのに、姿など見せないで欲しいよ…」
昼間なら、思い出さずに済むと思ったのに。
雲に溶けそうな月から目を逸らして、友雅は自分を咎めるように言い聞かせた。
……いい加減にしろ。
いつまでも、馬鹿な事ばかり考えるものじゃない。
泰明も言っていただろう?
彼女が、自分を不幸にすることなど有り得ない、と。
それならば…彼女がここから消えることなど、ないはずだろう……。
「殿、如何なされましたか?」
門前で待機していた従者が、物憂げな眼差しで立ちつくす友雅に声を掛けた。
「ああ…待たせて悪かった。すぐに行くよ。」
歩みを止めていた足を、再び踏み出して友雅は歩き出す。
…考えないようにしようと、先日誓ったのに…情けない男だな。
こんな態度で彼女や子供たちに会ったら、それこそ変に思われるだろうに。
ただ、愛していれば良い。それだけで…良いんだ。
それ以外の余計な感情など、必要ないのだ。
そう分かっていながら、知ってしまった雑念というものは、そう簡単に削り取れるものではないのが辛い所だ。
天候が良い事と、やはり花見に出歩く者が多いせいで、この時期の町はいつもより賑やかだ。
老若男女、身分関係なく人通りが増えている。
鴨川近くに差し掛かった時、そんな町並みを眺めていた友雅が、従者に車を停めるように告げた。
そして彼は外に降り立ち、通り過ぎたばかりの橋の上に向かって歩き出すと、向こうから歩いて来た二人の姿が、かすかに見えたところで立ち止まった。
「…と、友雅〜っ!?」
目の前に現れた彼の姿に、天真と詩紋は両手に抱えた籠を落としそうになった。
「どうしたんだい?二人揃って、こんなにたくさんの荷物を抱えて。」
「おまえの奥方に、つかいを頼まれたんだよっ」
二人の両手をよく見れば、籠の中身は果物や葉もの、大きな瓜や芋などがぎっしり詰まっている。
それだけではなく、豆の入った袋や調味料を入れた小さな壷など。
見た目の大きさよりも、重さのあるものばかり。
「そりゃあ、宿代としてこき使えって言ったけどもよー!こんな大荷物のを頼まれるとは思わなかったぜっ」
普段は侍女たちが、数人で何度かに分けて買い物に行くらしいが、やはり重いものを女手で持ち運ぶのは大変らしい。
せっかく男手があるのだから、この機会を逃すわけにはいかない!と思い立ったあかねが頼んだものは、どれもこれもが重量感のある品物だった。
「お疲れ様。客人の手を煩わせて、悪かったね。」
せめて一つくらい受け取ろうと、詩紋の手に持っていた小さな籠を手に取った。
だが、大きさは小さくても、なかなかにずっしり重い。
「良いんです。僕らの分まで、食事を用意してもらっているんだし。その材料運びくらい手伝わなきゃ、かえって申し訳ないですから。」
「君の情け深いところは、昔から変わっていないね」
背が伸びて、目線の合う位置は随分と変わったけれど、彼の素直な思いやりは不変のようだ。
「さ、取り敢えずもう少し頑張って歩こうか。近くに車を停めてあるから、あとは荷物と一緒に君らも乗って帰ろう。」
「うはー!天の恵み!これなら、残りの買い物も楽に済ませられらぁ!」
「何だい…まだ終わっていなかったのかい?」
どうやらあかねが頼んだメモを見ると、鴨川沿いにある店で胡麻と芋を買って来いと記述されている。これが、最後の買い物らしい。
「分かったよ。それじゃ、まずは荷物を車に積んでから行っておいで。帰って来るまで待っていてあげるから。」
「有り難うございます!じゃ、行ってきます!」
すき間もなく詰まった籠を置いて、二人はもう一度市へ戻って行った。
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