白雲の果て、春の雪

 第5話(1)
「えっ…何だかあかねちゃんの家の台所って、妙に物が多くない?」
初めて橘家の厨房に入った詩紋は、その光景に少し驚いた。
以前イノリや町民たちの家に行ったとき、竃のようなものがある厨房は見たことがある。
土御門家にいたときも、侍女たちと交じって料理を手伝ったりしていたから、厨房はよく入り浸っていた場所。
さすがに土御門家の厨房は、それなりの道具が多く取りそろえられていたものだが、それらから比べても、ここの品揃えはちょっとしたものだ。
「何だかねー、あれもこれもって言ってたら、こんなに揃っちゃって。」
あかねは笑いながら、道具が積み重なった厨房を見渡した。

石を積んで作られた竈。土で作られた土鍋のようなもの。
歴史や民俗学を扱った資料館などで見かけそうな風景だが、この時代にはまだまだ一般的ではなさそうなものまで揃っている。
「これ、石臼?」
詩紋が見つけた円形の石もまた、現代人の彼らにとっては逆に新鮮なものだった。
「うん、そう。あまりこっちでは使われてないみたいなんだけど、こういうのがあれば小麦とかお米も粉に出来るでしょ。だから、知り合いの人に頼んで、作ってもらっちゃった。」
石臼なんて、どんなものかはっきり覚えていなかったけれど、いろいろ話し合っているうちに予想が付いて、上手い具合に出来上がったのだと言う。
使い方を教えてやると、知人も感心したようで自分の家でも使っているそうだ。

「へえ…そっかあ。あっ、これは…卵?」
「うん。こっちでは鶏肉は食べるけど、卵ってあまり食べないんだって。でも、栄養があるものだって言ったら、毎日友雅さんの知り合いの人が届けてくれるようになったの。」
「そうかぁ。僕らの世界じゃ、卵なんて毎日のように食べてたのにね。……あれ、この白い液体は何?」
壺の中にある白いもの。蓋を開けると、ほんのり甘いような香りがする。
「それはね牛乳。牛は食べちゃいけないっていう話なんだけど、牛乳なら良いんじゃないかなって。そしたら、あまりこっちでも飲んだりしていないみたいなのよねえ。それも勿体ないし、色々と栄養があるからって説明して、特別に知り合いに頼んでるの。まあ、夏は腐りやすいから飲まないし、普段も一応沸騰させてから使うんだけど。」
「ふうん…なんだかすごいねえ。こう見てると、なんか平安時代の食材って気がしないね。」
自分たちがここで生きていた時、作って出された食べ物はもっと素朴な、素材そのものを活かしたものばかりだった。
それか、きちんと綺麗に味付けを仕立てられたもの。
魚の塩焼きや粥、白米、豆や羮と呼ばれる吸い物のような汁、そして果物など。
時々菓子のようなものがあったりしたが、それらも高級で滅多には食べられるものじゃなかった。
だが、ここにある食材は、限りなく現代に近いものばかり。

「だってね、ちゃんと物はあるのに、それを食べてないなんて勿体ないじゃない。しかも栄養あるんだもん。だから、そこは現代の知恵ってことでね、いろいろ取り入れてるのよ。」
ここに生きる者は知らなくとも、あかねたちには栄養素という知識がしっかり刻まれている。
カルシウムやビタミン、魚にはDHAとか、緑黄色野菜にはカロチン、卵にはタンパク質…。科学的な裏付けと分析で、保証されている栄養素の知識を無駄にするのは、それこそが無駄だ。

「千歳は母様に教えて頂いた、いちごじゅーすが大好きですわ。」
二人の間にいた千歳が、片手であかねの袖をくいっと掴んで、顔だけは詩紋を見上げて言った。
「えっ?いちごジュース?あかねちゃんが作るの?」
「うん。でも簡単なの。いちごを煮込むでしょ。柔らかくなったら潰して、布でぎゅーっと煮汁を絞るの。そして、その煮汁に蜂蜜とかで甘みを付けて、しっかり煮込んで…それだけ。ジュースっていうよりも、天然のいちごシロップみたいなものかなあ。」
「冷たいお水に混ぜて飲むと、甘くてとても美味しいんですのよ」
「へえー。何かすごいなあ…!」
詩紋は感心しながら、二人の話を聞いた。
たったそれだけの材料でも、いちごジュースが作れるものなのだ。
いろいろなものを揃えなくても、意外に簡単に料理は出来る。
それは詩紋自身も、京で暮らしていた時に感じたことでもあった。

「アイデア次第で、いろんなものが作れるものなんだなあ〜」
こうして小麦粉や牛乳、卵などがあれば、お菓子くらい十分に作れるじゃないか。
「粉を溶かして、クレープみたいなものも焼いたりするのよ?」
「母様がいちごじゅーすで使ったいちごを、もう一度煮るとトロトロになりますのよ。それをくれーぷに包んで食べると、とっても美味しいの」
勿体ないから、いちごの実はジャムにして使うのだ、とあかねが続いて答えた。
「すごい!京とは思えないような食生活だね!」
「うふふ…色々アイデアをひねれば、結構どうにでもなるって感じ。楽しいよ、こういうのも。」
不便だと思っていたら、ただ愚痴っているだけで先に進まない。
見方を変えて見ると、今度は違う楽しみが見えてくる。
何かがなければ、代用できるものを探せばいい。
例えこの世界で住む人々が知らないことでも、あかねには知っていることもある。
自分にしか知らないことでも、それを応用すれば新しいものが見つかるものだ。
そして、そんな宝探しのようなことも、とても楽しいものなのだ。

「ここだけは、現代と京が入り交じって同居してる場所だから、何でもアリよ」
作って置いたいちごのジャムを、匙一杯分だけ千歳の口に入れてやる。
甘酸っぱい味に、彼女は嬉しそうに微笑む。
別世界の空気が溶け合って、独特の空気を作り出す-----橘家にしかないそれは、確かに彼らにとって幸福の空気だ。

「何だかいいなあ、そういうのって。ちょっと羨ましいな」
変に生き急ぐこともなく、毎日子どもたちや愛する相手のことを思いながら生きる日々。
もちろん、大変なこともたくさんあるだろうけれど、こうしてあかねの姿を見ていると、その苦労さえも楽しみへと変えられるように工夫しているように見える。
「詩紋くんも、こっちに移り住んでみる?京で最初のパティシエとか言って、お店開いたりも出来るかもよ?」
「そんな〜、いくら何でもそれは無理だってば。」
冗談を言いながら、二人は厨房の中を見渡しながら道具を選び始めた。

さあ、何を作ろうか。
天真や友雅が帰ってきたときに、びっくりするようなものを頑張って作って見せてやろう。

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天真たちは頼久に屋敷の中へと招き入れられ、彼の基地とも言える随身所へと連れて来られた。
思えば昔は、自分もここに入り浸っていたのだな、と思うと何となく天真は懐かしい気分になってきた。

「それにしても、本当にまさかこのように再会出来る日が来るとは思わなかった」
感慨深そうに、そして心から嬉しそうな瞳をして、頼久は天真の顔を見た。
数年ぶりに会う頼久もまた、あの頃と殆ど変わりない風貌だ。

お互いを懐かしく語り合う席では、酒を酌み交わしながらというのが良いはずなのだが、まさかこうも太陽が真上の時間から酒を飲むわけにも行かない。
少々味気ない気もするが、冷たい麦湯で喉を潤す程度にしておくことにした。
それでも、想い出話や双方の日常事など…話したいことは尽きない。
「だが…おまえも息災だったようで何よりだ。」
「ああ、俺らはもう元気元気。おまえも、今は武士団の団長やってんだって?」
「昨年に父が退いたからな。まだまだ皆を統率する力は未熟だが…何とかやっているところだ。」
「でも、おまえには合った仕事だと思うぜ。」
彼の謙虚な性格は相変わらずのようで。
以前から、あれだけ生真面目で忠誠心の優れていたのだから、頭には彼以外に相応しい者などいないはずなのに。
まあそれも彼の個性だから、と今はすんなり受け止められる。

「そういう調子じゃ、まだ身も固めてないんだろうな」
「…な、いきなり何を…」
笑いながら嗾ける天真とイノリたちとは反対に、頼久はあからさまに動揺した顔を見せる。
全く、こういうところも変わっちゃいない。
「おまえもそろそろ、良い年だろうが。団長にもなったし、そろそろ家族とか持つ気はないわけ?」
「ダメダメ頼久は。お声は結構掛かるくせにさ、真面目すぎて相手がかしこまっちまうんだよな。」
横から遠慮なしに口を挟むイノリを、睨むこともなく頼久の方は戸惑ったまま。
確かにこれじゃ、女性の方が尻込みしてしまいそうな気もする。
友雅みたいに手慣れているのも何だが、ここまで堅物というのも、それはそれで困るんじゃないだろうか。

「おまえねー、お堅い男は女として困るぜ〜?ほーんのすこしで良いから、友雅の爪の垢でも貰っとけ?」
「へ、変な事を言うな!私はまだそんな話は…」
「って、おまえより全然年下のあかねが、もう子持ちだぞ?俺んとこの蘭だって、結婚したんだぜ?」
その話を聞いて、すこし頼久は驚いたようだった。
「そう…か。そなたの妹君は結婚されたのか」
特に親しくしていたわけではないが、天真の妹の蘭とは頼久も十分顔見知りだ。
それに、彼女のために天真がどれほど苦労を重ねたか、近くで見ていただけに頼久にとっても、彼女の結婚の話はめでたい事に違いなかった。
「それなりに幸せにやってるらしいぜ。でも、まあ…こっちにいるあいつらには、とても敵わないけどもな。」
天真が言う"あいつら”が誰を指しているか。おそらく頼久たちもすぐに察したことだろう。
三人同時に、軽い笑い声と共に笑顔が沸き上がった。



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Megumi,Ka

suga