白雲の果て、春の雪

 第3話(1)
その日の夕食は、久しぶりに賑やかな夜となった。
ささやかな少人数の宴とは言え、懐かしい彼らと過ごす春の宵。
はらはらと舞い踊る桜の花を眺めつつ、酒を挟んで他愛無い話にも花を咲かせる中で、千歳は父である友雅に手ほどきを受けながら、琵琶の演奏を披露している。

「すごいね…千歳ちゃんって、まだ5つくらいでしょ?なのに、ちゃんと琵琶が弾けちゃうんだ…」
感心しながら詩紋がつぶやくと、隣に座っていたあかねが答える。
「あの子たちが生まれて間もない頃にね、友雅さんと話してたのよね。親としてひとつくらいは、何かお手本になることを教えてやりたいねって。だから、千歳には音楽。文紀は男の子だから、何か武芸を極められたら良いかも、と思って。」
自分たちの子どもなのだから、伝えられることを伝えてやりたい。
そういう風に絆を深めて行ければ。

「じゃあ、文紀くんも、何か習ってるの?」
あかねの隣に座っている文紀に話しかけると、あかねが彼の肩を後ろから叩いた。
「文紀はお父様から、弓を教えてもらっているのよね。」
「へえー。そういや確か、友雅も行事でそんなことやってたっけな。」
これでも友雅は武官であるから、弓や刀技は一通りこなせる。
もちろん実戦に通用するかどうかは分からないが、それなり以上にこなせなければ、宮廷の行事に担ぎ出されることはないと思われる。
「でも、僕はまだ全然で…。この間、父様に見て頂いたときも、的から外れてばっかりだったし…」
母に肩を抱かれていても、文紀は少しうつむいてぽつりと答える。
千歳と違って、彼は控えめで謙虚だ。

「そんなことはないよ。文紀は努力を怠らない子だろう?」
千歳から離れないまま、友雅が言った言葉に文紀は顔を上げた。
「失敗なんて、誰でもあることだよ。文紀は、次は克服出来るように一生懸命頑張って練習しているじゃないか。」
大人しくて真面目な子だが、負けず嫌いな気質が彼にはある。
決してがむしゃらにならないけれど、上達するために毎日練習を欠かさないことを、友雅は知っている。
「上達するには、それが一番なんだよ。上手く出来たら、それでおしまいじゃない。努力すればするほど、もっと力はどんどん磨かれて行くものだ。そうすれば、次の段階に行く時にはずっと楽にこなせるようになる。すぐに、追いついて追い越すくらい簡単なことだよ。」
友雅がそう言うと、それまで少しうなだれていた文紀の姿勢が、背筋を伸ばして真っすぐに起きる。

自分の息子の表情を見て、再び友雅は言った。
「文紀は、そういう大切なことを自分で出来るのだから、あまり目の前の失敗なんかにこだわる事はないんだよ。」
「……うん」
うなづいた文紀の顔は、穏やかで少し嬉しそうに微笑んでいた。


「文紀、せっかく千歳が琵琶を披露しているんだから、一緒に演奏してみたら?」
「えっ…笛を?」
母にいきなりそんな事を言われた文紀は、ちょっと驚いた様な顔をしてこちらを振り向く。
「文紀はね、龍笛もお父様に習っているのよね。この間、お客様がいらした時にも聞かせてあげたでしょう。まだ小さいのに上手だって誉めて下さっていたわよ。」
「弓だけじゃなくて、笛も出来るんだ。すごいね!」
「いえ、そんな…それほど上手いというわけでもなくて…」
詩紋がそう言うと、文紀は控えめに恥じらう態度を見せた。
「文紀、笛を持って、こちらにおいで。父様が一緒に見ていてあげるから、大丈夫だよ。」
友雅が手招きをする。千歳もまた、琵琶に触れた手を止めて文紀を待っている。
すると、早々と祥穂が龍笛を用意してやって来た。彼が三才になった時に、友雅が与えたものだ。
祥穂からそれを受け取り、隣に腰を下ろした文紀の肩を、友雅はそっと抱く。
「さ、落ち着いて音を出してごらん。本番には強いだろう?」
父に優しく言われた文紀は、持っていた笛をそっと口へと近付けた。

吸い込んだ息を少しずつ吐き出し、ゆっくりと音が笛から響き出す。
「なんだよ…謙遜してたけど、立派なもんじゃん」
ろくに音楽なんて分からない天真だが、5つくらいの子どもが奏でていると言うなら、十分文句無しだと思うのだが。
「文紀はね、男の子にしてはちょっと大人しいのよ。あまりはきはきとは出来ないのよね。」
千歳が逆に快活だから、よけいにそんな物腰の柔らかさが目立つ。
弓や蹴鞠など、体を動かすことや武芸には積極的に参加しているが、真面目なところがまた控えめにも映る。
「でも、僕が会った時はしっかりしてたよ。まだあんなに小さいのに、すっごくきりっとしてて立派だなあって思ったし。」
「ホント?」
「うん、小さいのにすごく立派な男の子だなあって思った。僕なんか、逆に恥ずかしくなっちゃったくらいだもん。気にすることないよ。」
詩紋に言われて、あかねは少しホッとした。
そんな彼女の姿に、二人は"母親"の気を感じた。


子どもたちは、それぞれ友雅に楽器の演奏を教わりながら、透明感のある響き音を奏で続けている。
「何?どうかしたの?」
天真と詩紋が、二人そろってくすくすと笑っているのを見て、あかねが不思議そうに尋ねた。
「いやー、マジでホント…あいつすっかりマイホームパパそのものだよなあーと思ってさぁ」
昼間友雅と話していた事が、もう一度思い出される。
彼があかねや子どもたちの事を、第一に考えていることは分かったけれど、どうやらそれは十分に子ども達には伝わっているようだ。
その証拠に、友雅の励ましの一言で文紀はしっかり笛を演奏出来ているし、千歳もまた友雅にくっついて離れない。
「…あはは…そうかもね。うん、ホント…友雅さんに私、いろいろ助けてもらってるもの。」
第三者の天真たちに言われて、改めて子ども達の様子を見たあかねは、それにうなずきながら納得した。

「あのね…私、あの子たちを授かった時にね…いろいろな事を考えて不安になっちゃったの。」
あかねは、昔のことを語り出した。
同じ京で生きている人たちには、以前にも話したことがあったけれど…時空を挟んで離れた彼らには、何一つ話せなかったから。
でも、どうしても聞いて欲しくて。
どんなことがあって、どんな風にして…この現在があるのかを。
どんな風に、二人で生きて来たのかを知ってもらいたい。

「急だったの。泰明さんにね、"赤ちゃんが出来た"って言われて…"ええっ!?"ってびっくりしちゃって…」
「びっくり…って、おまえ、友雅と付き合ってりゃあ、覚えがないわけじゃねえだろーに。」
緋桜のような頬をして、あかねと詩紋が同時に天真を小突いた。
「…そ、れはまあおいといて…ね。でも、ほら急に…自覚なかったのに言われたからびっくりしたの!でも…手放しで喜べなくて、友雅さんに何て言えば良いのか戸惑っちゃって…」
「どうして?だって、そういうことっておめでたいことじゃないの?」
詩紋が尋ねると、あかねは苦笑にも似た表情で目を伏せた。
「友雅さんがどう思うか…不安だったの。」

結婚するときは、素直に喜べた。
彼と一緒に生きて行けることを、単純に嬉しいと思った。彼に選んでもらえたのが、本当に嬉しかった。
まさに、薔薇色という例えが似合う日々だった。愛して、愛されることの幸せを味わった。
「でもね、子どもが出来るっていうのは…お父さんになるわけでしょ、友雅さんは。そうしたら、今まで以上に家を優先しなくちゃいけないだろうし。何かと家族のことを考えなきゃいけないだろうし。そういうのって…堅苦しくて嫌なんじゃないかなあって思って…」
型に捕われることなく、良い意味でも悪い意味でも自由気ままなのが友雅の特徴だったから。
そんな彼を縛り付けてしまうんじゃないか…と、そう思っては戸惑っていた。

「あかねちゃん…でも友雅さんは…」
詩紋が口を挟もうとすると、あかねは顔を上げてにっこりと笑った。
「うん、分かってる。そんなの全然心配することじゃなかったの。聞いた時は驚いてたけど、嬉しいって言ってくれたの。それだけで…私も嬉しくなったの。」
少なからず拒絶反応されたら…と思っていたけれど、すんなりと彼は現実を受け止めてくれて。生まれ来る子供たちのことを包み込んでくれた。
それは、彼らが産声を上げる瞬間までも。
そして……数年経った、今でも。
「多分ね、母親の私よりもずっと、あの子たちのこと考えてくれてる。だから、私も安心してあの子たちと一緒に生きていられるんだと思う。」
きっと一人では、生きて行けなかった。
彼がいてくれたから、そばにいてくれるから……新しい命がここにある。新しい幸せを、今こうして感じられる。

「同じこと言ってたぜ、友雅も。"おまえがいなくちゃ、もう生きて行けないよ"おとか言ってさ」
「え、ええ?友雅さん…そんなこと言ってたの?」
「言ってた言ってた。もーホント、照れもせずにまあ、よくさらっと本音が言えるもんだよな。」
詩紋も天真も、そろって顔を覗きながらニコニコしている。
何となく胸の奥がくすぐったい。熱くなった頬を両手で押さえながらも、幸せそうに微笑むあかねの瞳がきらきらと輝いていた。



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Megumi,Ka

suga