 |
 |
白雲の果て、春の雪
|
|
 |
| 第2話(3) |
 |
 |
 |
寝泊まりする部屋を用意するから、ゆっくりして行って欲しいと、天真たちはあかねにせがまれた。
「こうして会える機会なんて滅多にないのだから、あかねの願いを聞き入れてもらえないかな?」
あかねだけではなく友雅にも頼み込まれ、それに加えてすっかり詩紋に懐いた千歳が、くっついてなかなか離れてくれない。
これでは断ることも出来ないし、友雅が言う事も尤ものこと。
「そうだよね…。今度はいつ会えるか、わかんないんだもんね…。ねえ、天真先輩。少しくらいのんびりしても平気だよね?」
「ま、大丈夫だろ。きっとまた、吹っ飛ばされた時に合わせて戻るんだろうし。こっちでちょっと気楽にしてても、特に問題はないんじゃね?」
二人がそう答えると、あかねは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、用意して来るね!そうだ…じゃあ今夜の食事の支度は、少し豪勢に張り切っちゃおう!」
彼女は足早にその場を後にして、祥穂のところへと駆けて行った。
「相変わらず騒々しいヤツだなあ…。もう母親だってのにさ…全然変わんないんでやんの」
天真は苦笑しながら、あかねの後ろ姿を眺めて言った。
離れていた時間の中で、髪がぐんと伸びて袿姿も馴染むようになって。
それでも、自分たちと桜並木の通学路を歩いた彼女の面影は、そのままだ。
「しかし、おまえも全然変わらねえなあ…」
今度は姿勢を正して、目の前にいる友雅を見る。
「そうだろうかね?君たちも、変わっていないよ。詩紋は…随分と背が伸びたようだけれど。」
「うん…背はまあ、結構大きくなったけど…でも、ホントに友雅さん、あの頃と全然変わんないですよ。」
「確かにね。これに関しては、自分でも気味が悪いくらいなんだけれど。」
二人に揃って同じ事を言われると、やはりそうなのだろうか、と友雅自身も再確認せざるを得ない。
彼女と出会ってから随分経つというのに、時折覗く鏡中の姿は殆ど変化がない。
せいぜい、髪が伸びるくらいの変化に過ぎない。
それはあかねもそうだし、八葉であった面々は皆、このような状況だ。
「鷹通や永泉様、時折会う頼久や泰明殿も、あの頃と殆ど変わらないよ。そうそう、イノリだけは結構背が伸びて、精悍な感じになったけれど。」
朱雀というものは、そういう系統なのかな?と友雅は詩紋を見て微笑んだ。
「へえ…イノリくん…そうなんだ…」
「ちょっと見てみてぇな。俺らが顔出したら驚くかもな。」
懐かしい名前を聞けば、それだけでは満足出来なくなる。
せっかく訪れた、このとっておきの時間の中で、あの日の彼らにもう一度逢いたいと思う。
「それなら、尚更のことだ。ゆっくりと滞在すると良い。どうせ、部屋は有り余っているのだしね。」
四条にある貴族の邸宅が並ぶ街に、静かに佇む橘邸。
名前通りの、絶えない緑を持つ橘に包まれた屋敷。広い庭は、奥方の趣味が取り入れられた、四季折々の花木が見事に咲き誇る。
---------まさに、春の院。
花が少なく殺風景だった屋敷は、今ではそんな異名を持つ。
「時間があれば、彼らのところへ案内しても良いよ。都合がつけば、皆を集めて久しぶりに宴なんてどうだい?」
「うわあ!ホントですか?みんなに会いたいよね、天真先輩!」
「そーだなあ…数年ぶりのご挨拶って感じか。それも良いな。」
殆ど変わっていないという話だけれど、会ったらどんな気持ちになるだろう。
そして彼らは、自分たちをどんな風に思うだろう。
「ねえ友雅さん、藤姫とかはどうしてるんですか?まだ、土御門家にいるんですか?いるんだったら…藤姫にも会ってみたいなあ。」
もう一人、あの頃の自分たちを支えてくれた仲間が、いる。
八葉ではなかったが、右も左も分からない詩紋たちを導いてくれた。
忘れられない、幼い姫君。
だが、その名前を告げると友雅は眉をひそめた。
「藤姫殿か…。どうだろうな、残念ながら連れ出すのは…ちょっと難しいかもしれないね。」
「あ?もしかして嫁にでも行ったか?」
当時十歳の彼女だが、今はもう良い年頃だ。この京の時代なら、もう既に結婚していてもおかしくない。
だが、その宛ては外れた。広い目で見れば、当たらずとも遠からず…という気もしないでもないが。
「そういうわけではないんだけれど。実は昨年に、藤姫殿は入内されてね。」
「えっ…?もしかして帝の…?」
「ああ、そうでははないんだ。既に主上には、藤壷の姉君がおられるし。藤姫殿は東宮の女官として、昇殿されたのだよ。」
由緒正しい土御門家。父は左大臣…そして今では関白。
星の一族である彼女の母は、決して高い位とは言えないけれど、それをはね除ける功績を彼女は得た。神子と八葉と共に。
それを知る帝直々から、昇殿の声がかかってもおかしくはない。
「東宮っていうと…主上の息子さんですよね。」
「そう。姉君と父上のつながりもあるし、やはりあの功績が主上にも強く残っておられたのだろう」
聡明でしっかりした姫君だから、是非東宮の世話役をお願いしたいと命を受け、一年前に昇殿したのだという。
「でも、そうなると、もしかしたらいずれは…」
「そうだねえ。ないとは限らないだろうね。」
もしかしたら、次の時代に立つ新しい帝の横には、彼女がいるかもしれない。
それは、決して現実味のない話ではない。
「そっか。やっぱ少しずつ変わって来てんだな…。おまえだって、今は大将なんだろ?チビ姫が言ってた。」
「気付いたら、そう言う事になってしまってね。一人しかいない立場だから、代役もなかなか頼めずに面倒な役目だよ。おかげで、今までのようにゆっくりと過ごすことも出来ない。」
最愛の妻と、最愛の子どもたちと。共に過ごすことだけが至福の時間であったのに、今はそんな余暇も作りにくい立場だ。
「だけど、あかねたちの今後を考えれば…ね、少しくらいしっかりしないと。後になって"不真面目な父を持った"なんて、子どもたちの将来に泥を塗って、嘆かれては困るし。」
笑いながら友雅は、そんな話をした。
「おまえ、やっぱ変わったわ!」
急に身を乗り出した天真が、友雅を指差して言い放った・
「見た目は殆ど変わってないけど、中身は全っ然変わった!俺、おまえがそんなにマイホームパパになるなんて、思ってなかったぜ!?」
「まいほーむぱぱ…?また意味不明な言葉を言うねえ…。どういう意味なんだい?詩紋。」
聞き覚えのない言葉に、首をかしげる友雅だったが、詩紋はその言葉があまりに今の彼にぴったりで、思わず笑いが込み上げて来てしまった。
「ん…あのですね、家族思いっていうか、家族第一っていうか、愛妻家とか、子煩悩とか…そういうお父さんのことを言うんですよ」
本当に…彼からそんな言葉が聞けるなんて、ちょっとびっくりだ。
だが、それはまるでひらりと舞う桜のように、とても暖かくて穏やかな、優しい想いだ。
「へえ?それが、今の私だって言うのかい?」
「だって、ホンットにおまえがそういう風に変わるなんて、思ってなかった!あっちこっちの女たぶらかして、のん気に遊びほうけてるのがおまえだと思ってたのに!」
ずけずけと本音を包み隠さない天真を、後ろから詩紋が小突く。
……二人の関係も、変わっていないのだな、と友雅は思う。
あの頃と同じように、調律の取れた、良い関係の友人同士だ。
「あかねを引き止めたいって、言い出した時にも随分変わったなあって思ったけど、今はそれ以上だぜ。」
「君の言う通り、そうかもしれないね。私も、昔の自分なんてすっかり覚えていないくらいだ。」
彼はそう答えると、花びらが浮かんだ盃の酒を、口に近付けた。
天真は、自分たちの中にある京の記憶で、比較的新しい位置にある面影を引き上げて、しみじみと友雅を眺める。
京をいつ離れようか、と考え始めた頃。友雅はあかねの為ではなく、天真たちに会いに来たと言って土御門家を訪れた。
そこで、彼は初めて"あかねを帰したくない"と。
こんな出会いは二度と訪れないだろうから、彼女を手放したくないのだと、そう言った。
生まれた場所を捨てることは、彼女にとっては精神的なリスクを負うだろう。
それでも、離れたくないと。
その代わり、そのリスク以上のものを自分が補ってみせるから。
彼の熱意に、天真たちは反論が出来なかったのだ。
「私が覚えているのは、あかねと出会った瞬間までだ。それ以前の事なんて、もう遠すぎて記憶も定かじゃない。それくらい…私にはどうでも良い事ばかりだ。」
三十年以上も生きて来たのに、記憶にあるのは、ほんの数年前のことだけ。
そこにはすべて、彼女の姿があって、それを見つめる自分がいる。
さらに数年が過ぎて、見つめる対象は三つに増えて-------彼らの笑顔が、友雅にとっては幸せの凝縮体だ。
「何もかも、みんなあかねが作り上げたものだ。子どもたちも、今の私も。そう考えたら、もう彼女なしでは生きてはいけないだろうね。」
「そーいうことを、恥ずかしげもなく言うところは、全然変わってねえなっ」
あまりに幸せそうに彼が言うから、聞いているこっちが照れくさくなってしまって、ついそんな態度で茶化したくなった。
でも…少しホッとしている。
彼の言葉と、その表情がすべて、今の二人を取り巻く環境を表しているから。
愛する人と結ばれて、新しい命が生まれて。
愛しいものだけに包まれた、その日常が不幸なはずがない。
|
 |
|
 |