白雲の果て、春の雪

 第1話(2)
詩紋が言った通り、神泉苑は花見頃と言って間違いない光景だった。
苑内を囲む鮮やかな春の若草色に溶けるように、雪のように舞い踊る桜の花が、池の水面にこぼれ落ちて彩りを添える。
小さな朱塗りの橋、善女龍王を祀る社。
苑内の池の広さは……あの世界とは桁違いに狭い。
「でも、ここだったんだもんね」
今となっては、この場所だけがあの世界とつながる可能性を持つ場所。

「何してんの、おまえ」
詩紋は社の前で、しゃがみ込んで両手を合わせて目を閉じた。
「ん…何かいろいろとお祈り。パティシエになれますように、とか…いろいろ」
「ここに来て必勝祈願かぁ?」
笑いながら天真が言うと、詩紋はゆっくりとその場から立ち上がる。
「それも、だけど…ここにいるのは竜王様だから……。もしかしたら龍神もいるんじゃないかなーって」
叶うとは思っていないけれど、そんなことを祈りたくなってしまう。
もしも、それが0%の確率でなければ…わずかな期待に祈りを捧げてみたくて。

「しょーがねーな。俺も、ちょっとそのお遊びに便乗してみっか。」
「天真先輩…」
詩紋をかきわけて、天真は善女龍王の社の前に立った。そして、詩紋がやったようにその場にかがんで、両手をそっと合わせてみる。
「祈る人数が多けりゃ、龍神さんも折れてくれるかもしんないぜ?」
もちろん、そんなのは冗談に過ぎない。
そう簡単に、あの時のようなことが起こるわけがないのだ。
……というか、ひっきりなしに何度もあんなことが起こったら、そりゃあ大変なことになるし。

「二人とも、幸せに過ごしているといいね」
その言葉に天真は答えなかったが、彼が同じように思っていることは、その表情ですぐに理解出来た。



「さて。じゃあそろそろ帰るか。どっかで飯食ってくか?」
「うん!あのねえ、二条駅の近くにダイニングカフェがあってね。そこってデザートバイキングが美味しくって……」
「おまえ…デザート目当てかよ」
他愛無い会話をしながら、二人は神泉苑を後にしようと、社に背を向けた。

その時、一陣の風が苑内に吹き荒れた。
それはまるで、竜巻のようにつむじを巻くほどの強さ。
「な、何だ…?いきなりすげえ風っ…」
「…天真先輩!あ、あれ……!」
詩紋が必死で指を指す方向を、天真は足を踏ん張りながら目を向けた。
そこには、桜が咲いている。だが……その枝はほとんど揺れていない。
「何でっ…!何でだよ!?こんなに強い風が吹いてるってのに…何で揺れて…ないんだよ!?」
桜だけではない。池の水面も、苑内の木々も神社ののぼりも、風などほとんどないと言えるほど揺れがない。

自分たちの周りだけに、突風が吹いている。
一体どこからこんな、極地的な風が流れて来ているんだ……!?
天真はすぐそばにいるはずの、詩紋の姿を見ようと振り返ってみたが、次の瞬間に息を呑んだ。
そこには、詩紋の姿がなかったからだ。

………詩紋!?

名前を叫ぼうと思ったとたん、天真の意識は突然そこで途切れた。


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緑の香りがする。その中に、甘い香りが漂う。
ひらひらと、頬に落ちて来るのは木の葉…ではなくて、きっと桜の花びらだろう。
そうだ、今は丁度桜が満開の季節。
心地良い日差しと春の風。
……春眠暁を覚えず、なんて言葉が自然に浮かんで来る。

それにしても、静かだ。
喧噪も、車のクラクションやエンジン音も聞こえて来ない。
一体、自分はどこにいるんだったっけ………。

ああ、そうだ。確か校長が退職するからって、詩紋と一緒に、久々に高校に行ったんだったっけ。
桜も見頃で、こういう時に春休みなんて勿体ないよな、と思ったんだっけ。
それから……どうしたっけ?
ああ、神泉苑へ行こう、と詩紋に誘われたんだった。
やっぱ春の神泉苑って綺麗なもんだなあって思った。
あの時代の広さが、あんなに小さくなっちまったのは残念だけども……。

そうだ。そのとき詩紋と二人で、龍神にお祈りなんかしたんだった。
"もし、出来ることなら、もう一度あいつらに会えるチャンスを下さい"なんて……叶うわけもないことを。でも、ちょっとだけその気だったんだけど。
だって、あいつとは長い付き合いだったし。
いくら好きな男が出来たと言っても、その後どうしてるんだろうな…とか気になってたんだ。

あいつのこと信じてないわけじゃないけど、目に見えないところにいるから、やっぱりちょっと不安で。
だからつい、調子に乗って詩紋と同じ様なことをやってみたりしたんだけど……まあ、無理だよな、そんなこと。

春の日だまりに寝転んだまま、ぼーっと目を閉じて、いろいろなことを天真は考えていた。
そんな中、漂っていた花の香りに交じって、どことなく懐かしい香りが鼻をくすぐった。

これは…何の香りだ?以前、よく嗅いでいたような香りだ。
そうそう、向こうの世界で焚いていた、香の薫りみたいな…………。


「あなた、どちらの方?」
急に目の前で声がして、天真はそれまで閉じていた目をぱっと開いた。
すると、自分を上から見下ろしている瞳があった。
「うわぉっ!!」
寝転がっていたことも忘れて、思わず飛び上がって身体を起こし、数歩後ずさりしながら目の前をもう一度しっかり見る。
「人の顔を見たとたんに、大声で驚くなんて失礼ですわよっ」
よく見てみると、そこにいたのは幼い少女だった。
緩やかな長いウェーブの髪と、妙に艶やかな色合いの瞳。
着ているものは、まるでひな人形のような袿姿。
十二単の様な豪華さはないけれど、刺繍や衣の織り目を見ても、仕立ての良さが一目で分かる。


……って、まさか!

天真は慌てて、周りを見渡してみた。
濃い緑に包まれた、広々とした庭園の片隅。それほど大振りではないけれど、こぼれるほどの花を付けた桜の樹の下。水の匂いがするのは、池が近くにあるせいか。
まるで、どこかの寺の日本庭園のよう。
でも、こんな景色を日常的に見ていた時があった。
それは……あの世界にいたときのこと。

……嘘だろ。マジで俺、また京に来ちまったってことか!?
冗談半分・本気半分で祈っただけのことなのに、まさかそんなことが再び起こるなんて。

だが、こんなに静かな環境と庭園と、そして目の前で日常的に袿なんて着ている少女を見たら、そう考えざるを得ない。
もちろん、あの時代と同じ頃にやって来ているのか、までは分からない。
同じ時代でも、京ではなくて別の場所の貴族の家かもしれない。
せめて、あの頃の何か面影が残るところがあれば、確信できるのだが。

そして、あかねと再会する事が出来れば……。
祈った目的は、すべてそこにあるのだから。


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Megumi,Ka

suga