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白雲の果て、春の雪
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| 第1話(1) |
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毎年のように、春は訪れる。
野も山も若芽が息吹き、そして一斉に花開く蕾たち。
美しく咲き誇る時期は短いというのに、惜しげも無く鮮やかな光景を描き出す、そんな春の一日。
「うわあ、全然変わんないなあ…ここの桜」
遊歩道も芝生の上も、この時期は桜色一色に染まる。
学生時代は当たり前のように見ていた景色も、こうやって卒業してから改めて見ると、少し違った新鮮さを覚えるようになった。
「何か…久々に来てみると、懐かしいもんだな、学校ってのも」
「またそんなこと言って!天真先輩は学生時代だって、サボってばっかりだったじゃない」
詩紋がそう言うと、天真はふわふわした彼の髪をわしづかみして、くしゃくしゃとかき回した。
二人にとって、新しい春だ。
天真は大学を卒業し、晴れて社会人一年生となった。
就職活動は困難な世情だが、学生時代からのアルバイトから正社員へ登用してもらい、この就職戦線を突破出来た事は、ラッキーだったと自分でも思う。
詩紋はといえば、今年が大学生として最後の一年となる。
卒業後はパリの製菓工場へ修行に行くことが、昨年の留学でほぼ決定している。
何年かかるか分からないが、これもまたパティシエという夢に一歩近付くためのチャンスだ。
季節が移り行くたびに、それぞれの中で変化と進歩が繰り返されて行く。
そしてまた、新しい春を迎えて思う事は、自分はどれだけ成長したかということ。
立ち止まっていないだろうか、走り続けているだろうか。
そして、目指す方向は間違っていないだろうか。
彼らの代の校長が退職するということで、二人は挨拶がてら久々に高校の門をくぐった。
丁度満開の桜吹雪。いつもその下を歩きながら、通った通学路。
「そういえば…どうしてるかな」
ふわりとした金色の髪に、桜の花びらを絡ませて歩く詩紋が、満開の木を見上げてつぶやいた。
彼の隣で立ち止まり、同じように天真も上を見上げる。
あの日、桜が舞う春の日に、突然歪んだ時空の扉。
彼らはその渦に突然巻き込まれて、右も左も分からない世界へと転がり込んでしまった。
ほんの数ヶ月、波乱に満ちた世界で過ごし、すべてが平穏になった時、再びこの世界へと戻って来た。
それからは、いつも通りの生活。特に変化もなく、時間が流れて行った。
---------たった一人を残して。
「あれから…もう随分経ったんだよね…」
「そうだなあ…俺も何とか社会人だし、詩紋もちっこかったのに、今じゃ俺と背丈がたいして変わらないもんな」
飴細工みたいな金色の巻き毛は変わらないけれど、いつのまにか目線なんか殆ど変わらなくなって。
どことなく、可愛らしさはまだ抜けない。だが、目で見る印象は少し変わったなと思う。
「そういう天真先輩だって、スーツにネクタイなんて…何かちょっとイメージ変わっちゃった気がする。」
「かもな。俺、自慢じゃねえけど、スーツ着たのなんて大学の入学式と卒業式と、冠婚葬祭の時くらいだもんな。あとは、七五三とかさー…」
日常的にスーツを着るのは、大人がやることだと思っていた。
だけど、今はその大人というものに自分が重なっていて、誰かに頼って生きることは、もう許されなくなる。
それと同時に、自由に生きられるようになる。
「あっちも…変わっちゃったかな」
ひらひらと花びらが舞う桜並木の中、広げた手のひらに舞い落ちる桜を受け止め、詩紋が言う。
対象とするものの名称を口にはしないけれど、天真には彼が何の事を言っているのか、すぐに分かった。
あの日、一人だけ……戻る事をやめた彼女。
飛び込んだ当初は、帰って来ることしか考えられなかった彼女が、自らそこに留まる事を決めた。
めぐり逢った、一人の男と共に生きることを決めたから。
二人は校庭のベンチに腰掛けて、満開の桜を花見気分で眺めることにした。
そういえば、昔こんな感じで放課後を過ごしたこともあったな、と思い出す。
購買部で適当に食料を調達して、時には詩紋が手作りの菓子を持ち寄って来たりしながら、わずかな桜の季節を楽しんでいた。
あの頃は自販機のジュースが良いところだったけれど、今ではアルコールだって堂々と飲める。
さすがに、校内でそんなものは手に入らないので、学生気分に戻って冷えたコーラで手を打とう。
「ねえ、あれからどうなったと思う?二人とも、結婚しちゃったりしたかな?」
冷たい炭酸で喉を潤しながら、詩紋は少年そのものの笑顔で天真を覗き込む。
「さあなー…。案外、さっさと他に女でも作られて、オジャンになっちまったかもしんないぜ?」
「ひっどいなあ、天真先輩!」
もちろん、彼が冗談で言っていることは分かってる。だから、本気で怒るつもりはない。
天真だって、目の前で見ていたのだ。どれほどに彼が、彼女を引き止めたいと真剣に思っていたのか。
それは、天真たちが知らない彼の姿で。彼女しか知らない、真っすぐな彼の意志がそこにあって。
わずかでもふらつくような態度があったら、力づくでも引き戻そうと思ったけれど……出来なかった。
"父親が娘を嫁に出す気持ちっての、少し分かった気がするぜ"なんて、今でも時々言いながら天真は笑う。
「結婚って言えば、蘭さんはどうしてるの?」
「ああー…ま、元気らしいぜ。旦那も向こうの研究施設で、順調に仕事こなしてるみたいだしな」
天真の妹の蘭は、半年前に婚約した。相手は、薬科大の研究施設の助手だという。
正式に結婚するのは、彼女が卒業してからのこと。とは言え、既に同棲を決め込んで家を出ている。
「アニキを差し置いて、さっさと相手つくりやがってよ」
笑いながら愚痴るけれど、そんな天真の表情はどことなく嬉しそうだ。
口は悪いが、妹を大切に思っている彼の心は、痛い程よくわかる。
「蘭さんみたいに、二人も幸せに過ごしていると良いね」
「まあ、逢って確認でも出来りゃあ良いんだけどな。でもさ、それも、もう出来ないもんな……」
少し諦めたように、彼はつぶやいた。
「でも…ホントにもう会えないのかなあ?」
詩紋の言葉を耳にした天真は、空になったコーラの缶を軽く片手でつぶした。
「まず、方法がねえじゃん。もともと、俺らが向こうに飛ばされた時だって、決まった方法があったわけじゃねえんだし。」
あの時ひずみを作った校舎の裏庭は、整備されて職員たちの駐車場となってしまっている。あの日の面影はない。
それどころか、体育館だって二年ほど前に新築されて、彼らが過ごした場所はもう跡形もない。
恩師たちは少しずつ学校を後にして、今や顔見知りの教諭は3人ほどだ。
そして今日限りで、校長もまた次の世代へと変わって行く。
学校自体が、この桜を覗いて少しずつ変化している。
もう、通う事のない場所だと分かっていても、記憶の断片が少なくなりつつあるのを目の当たりにすると、柄にもなくセンチメンタルな気分になって、否応でもあの頃の事を思い出してしまう。
「天真先輩、帰りに…神泉苑に寄ってみない?」
突然,詩紋がそんなことを言い出した。
神泉苑なんて…以前行ったのはいつだったろう。それくらい、天真にとっては縁のない場所になっている。
「あそこもきっと、今頃桜が綺麗だよ。それに、もしかしたら…あそこなら……」
「何、夢みたいなこと考えてんだ?そんなの、無理に決まってんだろ」
詩紋が何を考えて,そんなことを言ったのか。
向こうの世界から戻る出口だった、あの場所ならばもしかすると。
もう一度…なんて。
そんな都合の良いことがあるわけがない。
だけど………。
「ま、せっかく良い季節だしな。これからは滅多に平日ふらふらも出来なくなるし…ちょっと足を伸ばしても良いか。」
気軽にそう答えたけれど、本当はきっと自分もどこかで、詩紋のように"もしかしたら"を期待していたのかもしれない。
あの日と同じ様な桜を眺めて、天真は立ち上がって思い切り深呼吸をした。
春の風が、身体を通り抜けて行く。
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