幸せのかたち

 002
「まあ、殿…お帰りになられていたのですか。」
うつらうつらしている所に、穏やかな女性の声が聞こえてきた。
顔を上げて目を開くと、驚いたような顔の祥穂がそこにいる。
「あら…文紀様と千歳様まで。皆、お二人のことをお捜ししておりましたのに」
「ああ、ごめん。二人が、あかねのそばから離れたくないって、そう言うものだからね」
泣き疲れた二人は、友雅に抱かれて静かに眠っている。
そうっと足音と声を忍ばせて、祥穂は部屋の中に入ってきた。

祥穂は、持ってきたばかりのあかねの着替えを、きちんと畳んで枕元に置いた。
「あかねは…どうしたんだい?千歳の話だと、急に容態が悪くなったと聞いているんだが。」
「ええ、厨房で立ちくらみされまして。同時に吐き気が酷かったご様子でしたので、お休みになって頂きましたの。」
貧血でもあったのだろうか。
女性はそういう症状が多いというし、妊娠中には酷くなる者もいるとか、確か侍医も言っていた。
「そうですねえ。お身体がお身体ですから、そのようなことも何度かありましたが、奥方様はいつもそれほど酷くはございませんよ。」
そういうものか…。
初めての子どもが出来たときも、何かと戸惑いの連続で。
今回二度目だが、相変わらず男は無知なものだな、と友雅は思う。

「殿、夕餉の支度が整っております。湯殿も用意が出来ておりますが、どう致しますか?」
祥穂たちには悪いが、本音を言えばこのままでいたい。
あかねのそばを離れたくないし、せめて二人を抱いていてやりたい。
「ご心配なさらずとも、つわりが少々酷かっただけでございますから、奥方様は心配いりませんわ」
にっこりと暖かく微笑む祥穂を、友雅は見上げた。

「つわり……?」
「ええ。普段はあまり酷くないのですが、そろそろ暑い日が多くなりましたし。季節の変わり目で少し、過敏になられたのでしょう。ですので、大事を取って休んで頂いたのですよ」
ということは、病などではなかったのか。
体調の異変には変わりないが、それほど深刻なことはなかったと?
「ええ。少し横になられてから、『だいぶ良くなった』と、奥方様もおっしゃっておりましたし。」
それでも無理はさせられないので、少し眠った方が良いと休ませたのだという。

「そうか…病ではなかったんだね?」
「ええ。何かあれば、泰明殿が御連絡下さいますでしょう。」
ホッとした、というのはこういう気持ちを言うのだろう。
どっしり重苦しかったものが、ふっと消えたように軽くなって。
すうっと霧が晴れて、清々しくなるような…。
…良かった。
深刻なことではなかったんだね。
心地良く眠るあかねの顔を見て、友雅は胸の中でつぶやいた。



「まあ…。お二人とも、そんな風に思ってらしたのですね…」
友雅の腕の中にいる千歳と文紀を見て、友雅の話を聞いた祥穂は溜息をついた。
「驚いたんだろうね。あかねは普段から病気は殆どしないし。それが、急に具合が悪くなったら…何も分からない千歳は、さぞかし不安になったんだろう」
「そうですわね…。私共、奥方様の体調を優先してしまって。ご一緒におられた千歳様のことまで、頭が回りませんでしたわ…。申し訳ないですわ…可哀想な想いをさせてしまいました…。」
周囲がバタバタと慌ただしくなり、その中で容態が変わった母の姿。
誰かに尋ねようとも、そんな状態ではなく。
不安なままに取り残されて、心細かっただろうに。

「文紀様もずっと、お心を傷められて…。いつもこちらが申し訳ないほど、お手を貸して下さっているのに。」
祥穂は静かに、文紀の髪を撫でた。
心優しく穏やかな若君。
元気で明るく朗らかな姫君。
父と母を心から慕って、夢のような幸せな日々を紡ぐ子どもたち。
その瞳を濡らすようなことは、あってはならない。
友雅だけではなく、祥穂たちも皆思っていた。

「申し訳ないが、夕餉はあとにするよ。この子たちが起きるまで、こうして側にいてやりたいんだ。」
出来ればあかねが目覚めるまで…と言いたいところだが、取り敢えず二人が起きたら、事を説明してやろう。
母様は病ではないから、安心して良いのだと。
ただ、ちょっとお腹の子が元気に挨拶したから、驚いてしまっただけなのだよ…とか言ってあげれば、安心してくれるだろうか。
「上手く説明出来なかったら、祥穂殿にも協力をお願いするよ」
「ええ、承知致しました。」
快く祥穂は友雅の言葉を受け入れ、静かに部屋を去っていった。





「そんなことがありましたっけねえ…」
寝物語で聞かされた思い出話を、あかねは笑いながら聞き終えた。
同僚の妻が初めての子を身籠もり、友雅は彼と話をしているうちに、ふといろいろと思い出したらしい。
「あの子たちが授かった時のことも、思い出したよ。懐かしいね…随分と慌てふためいた」
今では笑ってしまうような、些細なことも大騒ぎして。
祥穂たちには過保護すぎると、その度に何度も笑われたくらいだ。

「男は本当に何も出来なくて、随分自己嫌悪に陥ったよ。」
出産の時だって、苦しむのはあかね一人だけで、自分はそれを見ているしかなく。
痛みや苦しさ、そこまでの経緯の中で彼女が受け入れた辛さの少しでも、この身に移しとってやれれば良いのに、と何度も思った。
でも、それはどうやっても不可能なこと。
そのたび、男である自分の無力さに、肩を落とした。

「友雅さんは、そばにいてくれるだけで、私の一番の栄養になってくれているんですよ。」
あかねの声がして、細い指先が両頬を包んだ。
「そばにいるだけで、力づけてくれるのは…友雅さんだけです」
そう言って笑ったあと、あ、と慌ててもう一言彼女は付け加える。
「今は友雅さんだけじゃないな。友雅さんと…千歳と文紀も、ですよ」
身体の中にいる小さな命を、育てているのは自分だけじゃない。
大切に守ってくれる、三人がそこにいる。
これほど力強くて頼りになるものなんて、世界中どこを探したって見付からない。

「私も少しは、君の役に立っていると自惚れて良いのかな」
「もちろんですよ。思いっきり自惚れて下さい?」
くすくす笑いながら、あかねは友雅の背中に手を回して身体を預けた。


シュル…と帯が解けて、寝着から肌がこぼれる。
日に日に膨らんでゆく彼女の腹部に、友雅は手で触れて、優しく何度も撫でた。
この手に込められた想いが、まだ見ぬ我が子に伝わるようにと。
早く、この腕に抱きしめてやりたいが、まだそれはもう少し先のこと。
けれども、きっとそんな日々もあっと言う間に過ぎて…元気に笑う声が、またこの屋敷に響き渡るのだろう。
その日が来るまでは----------

「…おいで。二人一緒に、抱いてあげるよ。」
あかねの身体を、労るようにそっと抱きしめて、二人分の愛を注ぐ。


「明日ね、イノリくんがここに来て、文紀が編んでくれている赤ちゃん用の籠の出来具合、見てくれるって。」
腕に抱いてもらいながら、あかねは友雅に話しかける。
「あとね、千歳が縫ってる産着、もう明日からは三着目に入るんですって。」
祥穂に教えてもらいながら、ちくちくと一生懸命に頑張っている。
二人が毎日紡いでいく心の形。
妹か、弟か。それはまだ分からないけれど…

「世界一、この子は幸せな子になるね」

友雅は愛しげに、あかねを抱きしめてつぶやいた。






-----THE END-----




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