例えばこんなおとぎ話

 002
「もしもし?いつも娘がお世話になっております。千歳の母の橘でございますが」
まだ若々しい声が受話器から聞こえる。
「いいえ、こちらこそ。今日は、どうかなさいましたか?」
「ええ、実は明日のことでちょっと」
テラスへ出て、シスターは千歳の母と話をしている。
親からの電話なんて、急な問題でも起こったのだろうかと思ったが、話している表情を見ていると、どうやら深刻な話題ではないらしい。

電話を終えて戻ってきたシスターに、実習生の一人が問い掛けた。
「どうかなさったのですか?」
「いえ、別に何て事はないのですがね-----」
明日は幼稚園の交流会で、兄の文紀と妹の千歳が一緒に過ごすことになる。
実は週末の土曜日が、彼女の父…つまり、二人にとっては母方の祖父の誕生日なのだそうだ。
「それで、交流会が終わったら、早めに帰らせてもらえないかというお話でした。空港に行かなければならないらしくて」
「え?空港って…どこに行くんですか」

祖父たちは、現在沖縄で暮らしている。
元々祖父の勤める会社が、那覇に支部を新設することになり、栄転として向こうに移り住むことになった。
橘家が持つ別荘を受け渡され、今は南国でのんびりした毎日を過ごしている。
「そういうわけで、そのまま沖縄に移動したいのですって。」
「はあ…何だかスゴイ家ですねえ」
いろいろ話を聞いてきたが、何から何まで驚かされることばかりだ。
現代の小さなお姫様は、どうやら本気で桁外れの日常を送っているらしい。

+++++

恒例の交流会がやって来た。
子どもたちも、朝からそわそわしっぱなしであるが、同じく実習生たちも胸を躍らせている。
昨日の話を聞いたあとで、子どもたちの"王子様"がどんな男の子なのか、やはり興味が募ったからだ。
華やかなブーケに彩られた講堂に、姉妹校の子どもたちが入場してきた。
女の子は白いパフスリーブのブラウスと、紺色のプリーツスカート。
男の子は白のシャツに、紺色のスラックス。
小さいながらも、その列は紳士と淑女の行列のようだった。

そんな中で、1人の少年の姿が見えたとき、子どもたちが一斉に身を乗り出した。
「あっ…あの子!あの子じゃない?千歳ちゃんのお兄ちゃんって!」
実習生が同級生の背中を叩いて、そっと文紀を指さした。
「きっとそうだよ!似てるもの!」
真っすぐ背筋を伸ばして、眼差しは柔らか。
クラス委員のような立場なのか、前に進んでゆきシスターに挨拶をする。
「今回もお招き頂き、ありがとうございます。」
しっかりした、それでいて穏やかな可愛らしい声で、きちんと言葉を話す。
「うわ、ホントにしっかりしてる…。でも、可愛いねえ…!」
「王子様かあ…。ちっちゃい女の子なら、憧れちゃうのも分かるね」
そういう大学生の彼女たちでさえ、そんな愛らしいプリンスから目を離せなくなってしまうのだから。



食事会が終わり、皆はそれぞれの食器を片付けに水場へ移動する。
文紀の隣を狙って、あとを着いていく女の子たちが多かったが、彼はまず妹の所へ向かった。
「ちゃんとトマトは残さないで食べた?」
「食べましたわ。最近克服出来ましたもの。ケチャップもジュースも、サラダも全然平気よ。」
千歳はずっとトマトが苦手だったが、母の苦労の末にやっと食べられるようになったばかり。
それでも外ではどうなのかが気になって、文紀は彼女が食べ終えた器を覗きにやってきたのだ。
「これまで妹が、好き嫌いしてすみませんでした。まだ少し苦手なものもありますけれど、食べられるように頑張らせますので。」
ぺこり、と文紀はシスターや実習生たちに頭を下げた。

「やだ〜。ホント可愛いよー、あの子ー」
「いいなあー。私もあんな子が欲しい〜!」
すっかり実習生たちも、文紀に夢中になってしまったらしい。



親たちがお迎えにやって来るまでは、完全なフリータイムとなる。
帰りの支度を整え、庭に出てみんな思い思いの遊びをしながら、迎えが来た順番に帰宅していく。
そんな時間も、文紀の周りは女の子が取り囲んでいた。
もう片方の千歳を見てみると……今度は彼女の周りに男の子が集まっていた。
「あららー、もしかして向こうの男の子のお姫様は、千歳ちゃん?」
「うわあ、あの年で逆ハー?なんかもう顔負けだわあ…」
かと言っても、元々活発な性格の千歳であるから、大人しくエスコートされているわけじゃない。
男の子と一緒に駆けっこをしたり、ブランコこぎを競ったり。
それでも男の子が自然に着いてくるところを見ると、やはりお姫様のような存在なのだろう。

迎えに来る母親の数が、どんどん増えてきた。
園児の数が少なくなり始めたとき、正門の方がざわめいているのにシスターが気付いた。
「あ!父様っ!!!」
それまで一緒に遊んでいた男の子たちの輪から、千歳が飛び出して掛けていく。
彼女の先には---------背の高い男性が立っている。
彼女によく似た、緩く波打つ長い髪を束ねて。
「おかえり、姫君。今日も楽しかったかい?」
「ええ、とっても。お昼に出たサラダのトマトも、ちゃんと残さなかったわ。」
「そうか、偉いね。いい子だ」
駆け寄ってきた千歳を抱き上げて、ぷくぷくした頬にキスをして微笑む。

置き忘れていた彼女のバッグも抱えて、そのあとから文紀が駆けてきた。
「父上、お仕事お疲れさまです。」
「文紀もね。今日もいい子にしていたんだろうね。」
「うーん…いろいろ頑張った…かなあ」
少し首を傾げる文紀の頭を、友雅は優しく何度も撫でた。

「友雅さんてば!先に行かないで下さいよー!」
彼の後ろから、サーモンピンクのワンピーススーツを着た女性が、慌てながら走ってやって来た。
子どもたちを抱えた男性は、追いついた彼女の方を振り向く。
「ああ、ごめん。少しでも早く、私の天使たちの顔が見たかったものだからね。」
「はいはい、分かりましたー。……あ、いつもお世話になっております!」
あかねは千歳の教育係であるシスター達と、近くにいた文紀の幼稚園の引率教諭に挨拶をした。
「旦那様は、随分とお久しぶりですわね。」
「申し訳ありません。本当なら顔を出したいのですが、なかなか…ね。」
彼が多忙なことは、十分承知だ。それをシスターたちは咎めるつもりはない。
それに、あまり彼が頻繁に顔を出されてしまうと……いろいろと落ち着かないことも多いので。

その証拠に。
ざわめく母親たちの声。まるで、若い娘のようなきゃんきゃんしたトーンで。
更に背後にいる実習生たちの、ぽかーんとした放心状態の姿。
なのに、視線だけは友雅から離れずに。
彼が姿を現すと、こういう状態になってしまうのだ。


「それじゃ、本日はこれで失礼致します。お世話になりました。」
あかねは文紀の手を引き、友雅は千歳を抱いたまま正門へと向かった。
外にはワインレッドのベンツが一台。バックシートのドアを開けて、運転手が彼らが戻ってくるのを待っていた。
四人は車に乗ると、運転手はドアを閉める。
開いたウインドウから、帰宅する友達に向けて千歳が何度も手を振っている。
だが、その横に座っていた友雅が軽く笑顔で頭を下げると、それに対してはしゃいだのは子どもではなく、母親の方だった。


車が去ったあと、園内には黄色い声が響き渡った。
「シ、シスターっ!あの方が千歳ちゃんのお父様ですかーっ!!!」
「…ええ、そうですよ…」
「ちょっとおー!うそぉーっ!格好良すぎるーーーーーーっ!!!」
「いやあー!奥様羨ましいーーーーーっ!!!」

やれやれ。
この騒ぎを見て、いつも思う。
やはりあの子たちは、彼の血を純粋に受け継いでいるのだなあ、と。
騒がしい放課後の園内で、シスター達は顔を見合わせて苦笑いをした。






-----THE END-----




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