例えばこんなおとぎ話

 001
古い煉瓦造りの壁に、蔦が絡まるクラシックな洋館。
大きな窓にはステンドグラス。
色とりどりのガラスを光にかざして、マリア様と天使が微笑んでいる。
高い三角屋根のてっぺんには、真っ白な十字架。
チャペルから響く鐘の音は、どこまでも澄んでいて深く心に染み渡る。

「さあさあ、お祈りが済んだら、お庭に出ましょう。今日は花壇のお花を摘んで、ブーケを作りますよ。」
優し気な面持ちのシスターが二人、幼い子どもたちを礼拝堂から誘導させて、広々とした中庭へ連れて行く。
少子化のご時世であるから、昔のように数クラスに別れて指導することはない。
何せ、生徒全員でも40人ほどなのだ。
しかしここは、数年前に創立200年を迎えた名門校。
幼稚園とは思えない敷地と建造物は、今よりもっと生徒が多かった頃の名残。
小学部から大学部までの、一貫教育を貫くミッションスクール。
女学院ということで、世間ではお嬢様学校と呼ばれる類いの学校である。
幼稚園は大学の保育科が、附属経営として成り立っていて、それなりの家柄の子どもたちは、幼い頃からこうして淑女教育を磨かれるのである。


「まあ、綺麗な色合いに出来たこと。」
一人の少女が、小さな手で摘んで組み合わせたブーケを見て、シスターが微笑みながら声を掛けた。
「千歳ちゃんは、白いお花を合わせるのがお上手ね。」
「白いお花は、お父様がお好きなの。六月くらいになると、お庭にもたくさん真っ白なお花が咲きますのよ。」
長く緩やかな波を讃える髪を、赤いリボンでツインテールにした少女は、ミモザとマーガレットのブーケをシスターに見せた。
「殿方をお迎えするのなら、赤やピンクの色よりも、清楚な色合いの方が好まれるって、お父様が教えて下さったの。だから、こういう色のお花が良いかと思いましたの。」
「あ、そう…なの。そうねえ…」
シスターは、彼女のませた言葉に少し戸惑いつつも、艶やかで華やかな面影の少女に対して、苦笑いを返すに留まった。


子供たちがシエスタの時間を迎えているとき、講堂ではシスターと保育科の実習生が数人で、来客を迎えるための飾り付け作業をしていた。
明日は、姉妹校である幼稚園の生徒たちとの交流会。こちらは女子のみだが、向こうは共学。やや男児の頭数が多い。
いずれ社交界へ足を踏み入れるであろう子女が多いこの園では、異性の前での振舞いも幼いころから大切な躾。
恋愛だとか、そんな甘いものではなく、エスコートをする側・される側の立ち振る舞いを身につけることが重要でもあった。
姉妹校もまた、同じように紳士・淑女候補の多い、厳格な歴史を持つミッション系である。
お互いにこうやって、交流を深めながら自身を磨いて行くのである。

「あら?このブーケ…色は落ち着いていますけど、清楚で綺麗ですわね」
「それは、千歳ちゃんが作ったものですよ。」
子供たちに作らせたブーケは、来客をもてなすためのディスプレイとなる。
色とりどりの花を飾っている中で、白と黄色のブーケは人目を惹いた。
「千歳ちゃんって、髪が長くて瞳の綺麗な、あの可愛い子ですよね。」
「ええ、そうそう。利発ではきはきしていて、しっかり者で良い子ですわ。でもちょっとねえ…」
実習生の前で、シスターはひとつ溜息をついて笑みを浮かべる。
すると隣から、もう一人の年配のシスターが声を掛けた。
「何か気がかりなことでも?」
「いえ、何と言いますか…時々どきっとするくらい大人びたことを口にするので、ドキドキしてしまいまして。今日、このブーケを作っていた時も……」
花壇での話を皆に話すと、軽い笑い声が上がった。

「ほほほ…それはまあ。随分とおしゃまさんですこと。」
「ええ、まあ可愛らしいんですけれどね。でも、ふと妙に大人でもなかなか見ないような、艶やかな表情をするので、ドキッとしてしまいますわ。」
「分からないでもありませんわね。ですが、仕方がないんじゃありません?何せ、世が世ならば…あの子はお姫様ですから。」
「えっ?そうなんですか!」
実習生たちは、驚いた表情でシスターたちを見た。
どこぞの企業の社長令嬢、有名大学の教授の娘、物理学博士の娘やキャリア官僚の令嬢……エトセトラ。
この幼稚園には、そんな肩書きの家に生まれた子供が山ほどいる。
それは、大学生の彼女たちも同じことだ。特に珍しいことではない。
しかし、それでも時には驚くような家柄の娘に遭遇することがある。


千歳の家は元々華族で、公爵家の家柄である。
現代では既にそんな肩書きは無意味であるが、屋敷は郊外で千坪を超える敷地に建つ日本家屋。
彼女はそこで、両親と双子の兄である文紀と、四人家族で暮らしているのだが、あきらかに住人は使用人の方が多い。
小間使いと教育係、執事や庭師、運転手などが当たり前のように住み込んでいる。

彼女の父は、先祖代々伝えられた家宝や財宝などを展示した、美術館の館長が本業のようであるが、併設された日本料理店とカフェも人気で、今はそれらの姉妹店経営にも手を広げているようだ。
店舗経営に加え、美術館自体も国宝と名付けられたものも数多く、貸出依頼がひっきりなしで多忙な日々を送っている。
父兄参観や行事にも、彼が顔を出す事はあまりない。一度だけ、千歳の入園式の時に夫婦揃ってやって来た事があるが、それっきりだろう。

「どんなお父様なんでしょうねえ〜。」
興味津々で実習生たちが口にすると、シスターはあの日のことを思い出して、またも少し苦笑いをした。
「お父様によく似てますよ、千歳ちゃんは。」
「ホントですか?だったら結構…美形じゃないですか?マジですか?」
更に彼女たちは興味をそそられたようだ。
人の嗜好は千差万別ではあるが、確かに一般的に人が好ましと感じるレベルがあるとしたら、きっと彼は十分にそのレベルを超えているらしい。
何せ、あの入園式の時に他の父兄(勿論母親のみ)の視線が、彼を追い掛けていたほどの人であるから。
「ま…千歳ちゃんはお父様似ということは、間違いありませんよ」
おそらく彼女たちも彼を見たら、あの時のようになるであろう。

「お父様がお忙しいのでは、普通はお母様が行事には来られるんですか?」
「そうですね。行事にはいつもすすんで顔を出して下さいますよ。他のお母様方から比べると、まだ結構お若い方みたいですけれどね。」
母は基本的には、専業主婦であるらしい。
結婚してから華道を始め、今は腕も上達して発表会などにも出品しては、いくつか受賞もしているそうだ。
面談の時に聞いたが、まだ二十代と言っていた。随分と早婚だったらしい。
嫁ぎ先の雰囲気とはうって変わって庶民的な性格で、華美な飾りっけもなく爽やかで穏やかな娘、という感じの女性だ。
それもそのはず。彼女の家柄は至って普通の家庭らしく、どういう馴れ初めで結ばれたのかは分からないが、まるでその結婚はシンデレラストーリーのように囁かれているらしい。
「そりゃそうですよねえ。嫁ぎ先が元華族ですもんねえ。」
ため息が出そうな話ではある。
だが、そんな生活感覚の差も気にせず、夫婦関係は全く問題なしの良好だそうだ。
主人である彼もまた、家柄などにこだわらないこざっぱりした性格で、それがお互いに合っているみたいだ、と彼女から少し聞いたことがある。

「お兄様の文紀くんは、逆にお母様によく似てらっしゃるかもしれませんわね。」
彼らの母親の顔を思い出してシスターが言うと、続いてまた別のシスターが言葉を添える。
「確か文紀くんは、姉妹校の幼稚園に通っていらっしゃるのですわよね。」
「ええ。ですから、明日は彼もこちらにおいでになるでしょう。ふふ…また、子供たちが騒ぎ出すかもしれませんわね」
シスター同士が笑いながら話しているのを、実習生たちは首を傾げて見ている。
「千歳ちゃんのお兄様は、この幼稚園の子供たちの"王子様"ですのよ。」
「え?どういうことですか、それ」


-----あれは去年のこと。
初めての交流会があり、彼らがこの幼稚園にやって来た。
同世代の少年たちが、子息などという肩書きもそっちのけで駆け回っている中で、少し大人しい感じの面影優しい少年がいた。
だからと言って、仲間の輪から外れているわけではない。
みんなと一緒に、ボール遊びやなわとびなどを楽しんでいた。
しかし、この幼稚園の女の子たちは、初めて出会う彼らに対して緊張している子もおり、仲間に入れない数人は遠目でじっとうずくまっていた。
そんな彼女たちに、真っ先に声を掛けていったのが彼だった。
彼はあくまで無理強いせず、逆に彼女たちのしたいことを尋ね、一緒に楽しもうと優しく声をかけた。
「へえー。小さいのに、立派な子なんですねえ。」
幼いのに立派な紳士の立ち振る舞いで、それを見てシスターたちも感心したものだったが、その彼が千歳の双子の兄であると聞いた時は驚いたものだ。
そして、それ以来子供たちにとって文紀は憧れの王子様となり、交流会のたびに彼の周りを取り囲む子が増え続けた。

「見た目も可愛らしいのですよ。双子なので千歳ちゃんに似ていますけれど、しっかりして凛としていて。でも物腰は柔らかで思いやりのある子で…。確かに、王子様には相応しいかもしれませんわねえ」
「千歳ちゃんも、お姫様ですものねえ」
そんな話を聞きながら、納得しつつディスプレイを実習生たちは続けた。


「すみません、シスター。父兄の方からお電話が入っておりますが」
事務員が子機を持って、ホールへとやって来た。
「どの子の親御さんですか?」
「ええと、橘さん…千歳ちゃんのお母様からお電話です。」

ほら、噂をすれば何とやら。



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Megumi,Ka

suga