春から秋へのおくりもの

 002
大きなガラス窓の外には、広い池が望める。
日差しに照らされる水面を眺めながら、千歳は父の隣に座った。
やがて、詩紋がトレイを手にやって来る。

「お待たせ致しましたー」
濃茶の一口スフレとエスプレッソは、友雅の前に。
たっぷりカスタードのシュークリームと、フレッシュストロベリーミルクは、千歳の前に。
「このカスタードは、いつも詩紋が作っているんだろう?千歳はこれが、大層お気に入りでねえ」
昔からシュークリームが大好物だが、幼い割にクリームにはいささか五月蝿い。
生クリームだけでもダメで、カスタードのみでもダメ。
それらが丁度良くミックスされ、更にバニラの風味が利いているものが、千歳の舌が認めるものらしい。
「だって、本当に美味しいんですものっ!毎日食べても飽きないわっ!」
綺麗にタオルで手を拭き、こんがり焼いたシューの蓋を開ける。
そうしてまず、スプーンでクリームを一口。
満足そうににっこりする千歳の顔は、文句なしの幸せいっぱいの笑顔だ。

結局詩紋は、千歳と友雅の願いを聞き入れることにした。
男性にも好まれるようにと、甘さは控えめにしよう。
かと言って、誕生日のケーキでシンプルすぎるのもつまらない。
酸味の利かせたカシスやブルーベリー、カスタードの代わりにレアチーズムースやヨーグルトを使ってみようか。
「ああ、そういうものなら、爽やかで良いね」
「やっぱり詩紋殿ですわっ。すごく素敵なケーキになりそうねっ!」
出来上がる前から、既に千歳の目には豪華なケーキが見えているように、手放しではしゃぐ。
詩紋の作るスイーツは、確かに良い味だし見た目も良い。
プロのパティシエを目指すだけあって、丁寧な作りも好感が持てる。女の子に好まれる味だろう。

だが、ここまで千歳が詩紋のケーキにこだわるのは……ケーキそのものだけが理由じゃない。
小さい頃から、彼女は何より詩紋がお気に入りだ。
妻のあかねの親友である詩紋は、度々自宅に遊びにやって来ることもある。
赤ん坊の時から一緒に遊んでくれたりもしたが、そのせいかすっかり打ち解けて…、逢うたびに千歳は詩紋にべったりだ。
おませさんだよねえ、私の撫子姫は。
この年で、既に初恋らしきものを経験しているのだから。

「ねえねえ父様っ!詩紋殿が、シュークリームをお土産に下さるっておっしゃるのっ!」
暖かな物思いに耽る父を、千歳の元気な声が呼ぶ。
「せっかくなので、あかねちゃんや文紀くんたちの分も、お土産に持っていってあげてください」
「ああ、それはきっと喜ぶだろうね。ありがとう、詩紋」
そう話しているそばで、詩紋が千歳に話しかける。
「千歳ちゃんの分は特別に、ひとつおまけしてあげるね?」
「本当!?私、詩紋殿大好きですわっ!!」

さて----------彼の千歳贔屓は、どんな意味が込められているのか。
もう少し彼女が大人になったら…父として尋ねてみることにしよう。


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10月9日、土曜日。
週末ともなれば、美術館や博物館は客足が増える。
併設されたレストランも、ランチやディナーの予約がぎっしりで、慌ただしい一日となるのが通説。
それなのに頼久は、朝早くから博物館のオーナーに呼び出された。
しかも、突然昨日の夜に直々連絡があり、"土曜の朝、出勤前に自宅に立ち寄ってくれ"とのこと。
どういうことなのだろうか、と不思議に思いつつも、頼久は勤務先ではなく橘家へと車を走らせた。

広大な日本家屋の玄関先で車を降り、警備員に鍵を渡して玄関へと向かう。
入口へ続く砂利道の両側は竹が植えられ、池の水が動く音が朝靄に響く。
まだ薄暗い玄関には、ぼうっと優しい明かりが灯されている。
だが、中では既に使用人たちが忙しく動き回り、朝の支度を始めているようだ。

「朝早く申し訳ありません。昨夜橘様に御連絡を頂きまして…」
「おはようございます、源様。ご主人様からお話は伺っております。どうぞ中へお上がり下さいませ」
50代半ばの落ち着いた女性が、頼久を屋内へと招き入れた。
彼女は古くから橘家に住み込んでいる使用人で、子どもたちにとっては祖母のような存在である。
既に主の友雅に両親はおらず、妻のあかねも実の両親が沖縄へと転勤しているため、夫妻にとっても母のように頼れるのだろう。
今は年のはじめに生まれたばかりの、次女のまゆきの世話に一生懸命のようだ。
「早朝からお邪魔して、失礼ではございませんでしたか」
「いいえ。源様がお越しになられるとのことで、もう皆様お目覚めでいらっしゃいますよ」
こんなに朝早くから?まだ午前7時を過ぎたくらい。
子どもたちは土曜は休みだし、せいぜい起きていても夫妻二人くらいだろうに。
何事だろうか…と頼久が思っているうちに、奥にある大広間に到着した。
「中へどうぞ。皆様、お待ちでございます」
そうかしこまって言われると、さすがに頼久も緊張してきた。
悪い話題で呼び出されたわけではなさそう…だが、おそるおそる襖を開ける。


「おはよう、頼久。朝早く、わざわざ立ち寄ってもらってすまないね」
「いえ、皆様おはようございます」
三つ指を突き、正座で頼久は挨拶をする。
二十畳ほどの広い和室に、朝早くから友雅、あかね、そして双子の子どもたちが座っている。
よく見ればあかねの胸には、うつらうつらしているまゆきの姿も。
「あの…何か私に御用がありましたか?」
「ああ、そうなんだ。今日じゃないといけないことだったのでね」
友雅が言うと、突然千歳と文紀が立ち上がって、慌てるように部屋を出ていく。
「どうなされたのですか、お二人とも…」
「ううん、気にしないで。取り敢えず、少しゆっくり座っていてくださいね」
朝早いというのに、あかねも友雅も眠そうな気配はない。
起きたばかりではなさそうだが、何故またこんな早くから……。

と、今出ていったばかりの子どもたちが、揃って部屋に戻ってきた。
しかし二人の手に抱えられていたものを見て、頼久は驚いて声を失った。
「頼久殿、御誕生日おめでとうございます!」
元気良く声を揃え、まず千歳が白い箱を彼の前に置いた。
そうしてわくわくしながら、箱の蓋を開けてみると……甘酸っぱい香りのブルーベリーソースの上に、クリームで"Happy Birthday Yorihisa”と書かれたデコレーションケーキ。
「このケーキ、詩紋殿に作って頂いたの!とっても美味しいのよ!」
味見したわけでもないのに、千歳は自慢げにケーキに太鼓判を押す。
突然のことで呆然としている頼久に、今度はふわりと甘い花の香りが漂ってきた。
「御誕生日おめでとうございます、頼久殿」
笑顔で文紀が差し出したのは、まだ朝露が残る瑞々しい薔薇の花束。
花屋などで売られているような、綺麗すぎるものではない。
手折っても生き生きしている、自然な色合いの美しい薔薇だ。
「今朝、庭で母と摘んできたんです。まだ咲きかけのものもありますけど…」
華やかに咲き誇ったものから、蕾のもの。瑞々しい緑の葉もアクセント。
薄手のラッピングペーパーでくるっと束ねただけの、シンプルな花束ではあるけれど、尚更に花の美しさが引き立つ。



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Megumi,Ka

suga