春から秋へのおくりもの

 001
郊外の閑静な空気に包まれて、その建物は存在している。
ビクトリア調の白い外門の向こうに見えるのは、広大な緑の芝生。
ところどころ薔薇が咲く庭園を前に、古めかしい洋館が佇ずんでいる。
明治時代の校舎を利用した建物には大きな窓があり、開け放てばオープンテラスになる。
そこには白いガーデンテーブルがいくつか並べられ、今日のように青空の日はお茶を楽しむ客も多い。
そんな建物の中庭に進むと、更に重厚な正門がある。
ここから先に進むには、入場料が必要だ。
そして、その先に広がる景色は…これまでのものとは一変する。

横に広がる無垢なパノラマの景色。
天空をそのまま映し出す広い池の中に、通路が橋のように架けられており、ガラス張りの近代的な建物が現れる。
流れる水の音が空気を癒し、いかにも荘厳と言った雰囲気を柔らかく抑えて。
さながら、近未来的解釈の曲水の宴…といった趣も感じられなくもない。

ここは、元華族の橘家が有する古美術博物館である。
橘家は侯爵の名を持っていたが、代々から由緒正しい公家を祖先とする家系だ。
そのため、国宝級・重文クラスの代物がごっそり蔵の中に眠っていたが、三代前の当主がそれらを展示するギャラリーを作り、時代を経て今は博物館として存在しているのである。
現在の主が当主を継いだ後は、蔵書や貯蔵品などを外部へ貸出すサービス等も展開している。
他、館内に併設するカフェやレストランなども評価が高く、今ではあちこちに支店を持っているほどである。
自由に無料で入館が出来る庭園のカフェは、若いOLなどの姿も多く見られるカジュアル派だが、本館内のカフェレストランは至って本格派。
アート好きの客層にウケるよう、メニューも凝ったものが揃えられている。



「おーい、詩紋!」
厨房に向かって、若いスタッフが彼の名前を呼んだ。
「はい?何ですかー?」
振り返ったのは金色の髪の青年。
砂糖菓子みたいなふわふわの髪に、まだあどけなさが残る童顔の面持ち。
異国の血を持つ詩紋は、とにかく外見の華やかさで人目を惹く。
本人は全く派手な性格は持ち合わせておらず、とにかく真面目で品行方正。
かと言って人付き合いが悪いどころか、誰にでも打ち解ける気の良い青年だ。
しかし、それでも目を惹くのは間違いなく。
若い女性客の中には、詩紋を目当てに来ている者も少なくない、ともっぱらの噂。

するとスタッフの青年は、ニヤニヤしながら詩紋の表情を伺う。
「すっごい可愛い子が、おまえ御指名で面会に来てるぞ」
「か、可愛い子…?」
思い当たる節がない詩紋は、ただその場で少し照れくさそうに戸惑うだけ。
この控えめさが、何と言うか…同性でも憎めないところなのだ、と青年は思う。
「とにかく、本館の厨房へ来てくれってさ。美人ちゃんを待たせちゃ悪いぞ、早く行って来い!」
「えっ?あ、あの…っ」
彼はぐいぐいと詩紋の背中を押し、テラス続きになっている裏口へ向かわせた。


カフェの厨房とは違い、本館レストランの厨房は実用的なプロ仕様だ。
何度か勉強のために、こちらのパティシエの手伝いをしたことがあるけれど、デコレーションや配膳など、やはり格が違うと感じたものである。
「すいません、流山ですが、こちらに面会の方がいらっしゃるって聞いて…」
「ああ、詩紋くん。お待ちかねだよ?」
顔なじみのシェフが詩紋を見つけ、やけに丁寧な調子で休憩室のドアを開けた。

「詩紋殿っ!」
部屋を覗き込んだとたん、詩紋の名を呼びながら一人の少女が飛びついて来た。
赤いリボンを結んだ長い髪は、川の流れのように緩やかな曲線を描き、幼いながらも瞳はきらきらと眩く輝く。
そんな彼女の様子を。ソファに腰掛け眺める男性が一人。
「お仕事中なのに、呼び出してしまってすまないね、詩紋」
「びっくりしました〜。面会客がいるって聞いて、誰かと思って…」
スタッフの青年が言っていた"可愛い面会者"。
足元にしがみつく彼女を見下ろし、なるほど、と詩紋は顔がほころんだ。
「千歳ちゃん、久しぶりだねー。今日はお父さんと二人なの?」
「そうですの。詩紋殿にお願いがあって、こちらに連れて来て頂いたのっ!」
自分にお願いとは、一体どんなことだろう。
たかだか、カフェとレストランのパティシエ見習いである自分に、出来ることなんてさほどないはずだが。
「我が家の幼い姫君の、たってのお願いなんだ。聞いてもらえるかい?」
「ええ、まあ…僕に出来ることだったら構いませんけど」

取り敢えず、友雅は詩紋にソファを勧めた。
休憩室とはいえ、しっかりしたスプリングのソファとテーブル。
詩紋が腰を下ろすと、それまでは父に寄り添っていた千歳は、ぴったりと彼の横に座ってニコニコしている。
娘の表情を微笑ましく思いつつ、友雅は向かいの椅子に座った。
「で、折り入ってお願いする内容なのだけど…。やっぱり、千歳に説明してもらった方が良いかな?」
言い出したのは彼女の方だし。
それに、彼女お気に入りの詩紋へのお願いである。ここは、お任せした方が良いかもしれない。

「あのねっ、詩紋殿にケーキを作って頂きたいの!」
「え、ケーキ…?」
「そう!お誕生日の大きなケーキ!いちごがたくさん乗ってて、生クリームとカスタードクリームが挟んであるケーキ〜!」
「こらこら。それは千歳の大好きなものだろう?頼久は、甘みの少ないものの方が,きっと好きだよ?」
ん?今、頼久と言ったか?
詩紋は顔を上げて、友雅の方を見た。
頼久……源頼久という男は、本館のレストラン、つまりここの総支配人である。
頭にバが着くほどの真面目な男で、それでいて曲がった事は一切しない、礼儀正しく凛とした男だ。
比較的無口で物静かだが、接客と店の管理は完璧にこなす。
ついでに見た目も人並み以上であるため、カフェでは詩紋、レストランでは頼久を目当てに、女性客が鰻登り状態なのである。
そんな頼久の誕生日が、間近なのだという。
「それでね、お祝いにケーキをご用意してあげたいの。だから、詩紋殿に是非お願いしたいの!」
「え、それだったら…シェフとかパティシエさんに頼んだ方が…」
他にも有名な店はたくさんあるし、高級ホテルメイドのものでも友雅なら注文可能だろう。
なのに何故、単なるパティシエ見習いに過ぎない自分に注文するのか、詩紋にはどうしても分からない。

「そうは言ってもねえ…」
友雅が意味深にくすくす笑うと、千歳の小さな手が詩紋の腕を引っ張る。
「だって、詩紋殿が作って下さったケーキが、一番美味しいんですものっ!」
大まじめに真っ直ぐに、その宝石みたいな輝く瞳でじっと詩紋を見る。
「どんなお店より、詩紋殿のケーキが一番ですわ!」
「そ、そんな…」
まだ五つか六つの子どもに、菓子の味がそう判別出来るわけもない。
いやいや、普段からそれなりに選りすぐりのものを、口にしている彼らのこと。
幼いとはいえど、まんざらお世辞でもないのかも?
「だからね、千歳としては一番美味しいものを、頼久のために用意したい、ということなのだよ」
父の友雅が、何故か微笑みながらそう答えた。



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Megumi,Ka

suga