年を重ねて

 003
大祓や追儺式、年が明けて四方拝や歳旦祭など。
すべてが終わるのは、おそらく元日以降。今夜帰宅することはほぼ不可能だろう。
新しい年が明け、一番に顔を見たい人たちのそばにいられないのは、やはり気持ち的には後ろめたい。
そう思いながらも、そろそろ出掛ける時間になってきた。
あかねを始め、子どもたちが揃って玄関まで彼を見送りに出る。

「父様、これ持っていらして」
千歳たちがひとつずつ、大きな箱を持って来た。
その箱を包んでいる布の柄は、見覚えがある。あかねと一緒に縫い合わせていたという、あのぱっちわーくというものだ。
「作ったおせち、少しずつ分けて入れたんですよ」
「縁起の良いものだから、左近衛府の方々と頂くのが良いと思うの」
現代のように、豪華なものが詰まっているわけじゃない。
見よう見まねで、京にあるものを工夫して作ったものばかり。ご馳走というより、ちょっと立派なお弁当レベルだけれど。
「今日は寒い中で長丁場になるお仕事ですから、休憩の時にお腹の足しに出来ると思いますよ」
「これは素敵な貢ぎ物だな。皆に振る舞ってしまうのは、ちょっと勿体ないな」
一針ずつ心を込めて縫った包み布に、何日も掛けて作った料理の数々。
彼女たちのすべてが詰まった、新しい年を祝う品だ。独り占めしたい気持ちもやまやまだけれど。
「新しい年が良いことありますように、ってお願いが籠ったものでしょう?たくさんの人に食べてもらわないと」
たっぷりの量をこしらえたのは、多くの人にお裾分けが出来るように。
イノリや鷹通、土御門家にも届けに行ってもらったばかりだ。
「父様も、年が明けたら食べて下さいませね。私たちもおうちで食べて、良い年になるようにってお祈りしますわ」
「ああ。父様もみんなに良いことがあるように、とお願いしながら頂くよ」
友雅は子どもたちの頭を、一人ずつ愛おし気に優しく撫でた。
そしてあかねの頬に唇を添え、耳元で小さく『行って来るよ』と告げて屋敷を出て行った。
外は少し雲が出ている。
夜半過ぎには、また雪になるかもしれない。



思っていた通り、夜空は雲に覆われて星を隠し、ちらちらと白い雪の結晶が地上へと降り注ぎ始めた。
戌の刻から始まった追儺の儀は恙無く進行し、晴明たちが祭文を読み上げたあと、方相氏とシン子たちが賑やかな声と叩きものを鳴らしながら宮中を歩く。
「鬼やらい!」
友雅たちは彼らの後に続き、空に向け桃の弓で葦の矢を放つ。
宮中を巡りながら同様のことを繰り返し、邪気を払って新しい季を迎える準備を整える。
吐く息の色が雪と重なりあうほど、寒さが深まって来た。
だが、儀式はまだ始まったばかり。この後にも多数の新年の儀が待ち構えている。

「お疲れ様でした晴明殿」
儀を終えた晴明を、友雅は呼び止めた。
その隣には当然の如く、泰明が連れ添っている。
「毎年のことですからな。無事に年が終わって一安心ということよ」
「ところで、すぐに屋敷に戻られますか。少しお時間があれば、詰所にお立ち寄り頂けませんか」
「何故だ。この晦日に至ってどんな用がある」
理由は常にはっきりさせないと、納得いかない泰明がすぐに突っ込む。
「まあ…用事というわけではないのだけれど。うちの子どもたちからね、祝いの品を預かって来たものだから」
「祝いの品とは、はて?」
「ともかく、ここでは凍えてしまいますよ。ご一緒にお越し下さい」
友雅は正確な答えを言わないまま、先導するように背を向けて歩き出した。
腑に落ちないが、師である晴明は穿った様子も見せず友雅に着いて行く。
そうなったら仕方ない。さすがの泰明でも、師匠に逆らうことは出来ない。


左近衛府の詰所には、追儺の儀を終えた近衛たちが集まっており、暖をとりながら疲れを休めていた。
大将である友雅がやって来ると、若い者はかしこまって身を縮めるが、そうでない者はたいして緊張することもない。
友雅が、そういうことにこだわらない性格なのを承知だからだ。
「友雅殿…あ、晴明殿と泰明殿も」
「お待たせして申し訳ありません、永泉様」
奥の席に座っていた永泉が、友雅たちの姿を見て立ち上がった。
そのままで、と腰を下ろさせると、友雅は晴明たちをも中へと招き入れた。
「おや、永泉様は今宵何か御用がおありでしたかな」
「いえ、たいしたことはないのですが…。友雅殿にお呼び頂きまして」
永泉が身を寄せている仁和寺も、年始の支度をほどほどに終えた。
それでも少し時間が取れるようならば、追儺の儀を見学にいらっしゃいませんか、と使いの者をよこされたのだが。

「それより友雅、早く用件を言え」
「じゃ、そろそろお裾分けと行きますか」
そう言うと、友雅は部屋の奥に置いてあった箱を取り寄せた。
金銀の鮮やかな縫いあわせの布に包まれた箱を、静かに紐解いて行く。
「皆もこちらに来ると良い。少しずつだが、味わってもらいたいのでね」
黒い重箱の蓋を開ける。
とたんに、ふわりと甘い香りが辺り一面に漂った。
「おお…これはすごい!」
近衛たちはそれを見て、思わず声を上げた。
中に入っていたのは、黒豆や昆布、野菜の煮物、栗を裏ごししたようなものや、魚介や肉類まで。
「妻と娘たちが作ったのだよ。手土産にと持たせてくれたのだがね。年の初めに縁起の良いものだから、皆も分けて食して構わないよ」
「縁起の良いものなのですか、この料理が」
「そうらしいよ。ええと…ああ、これだ」
同封されていた紙には、まだ少し幼さの残る筆文字が記されている。これは、文紀の字だ。
稚拙ではあるが、彼くらいの年からすれば達筆と言っても良いのでは、と言えばきっとあかねが笑うだろう。

「ひとつずつ、縁起の良い意味があるのだそうだ」
"お多福豆"は、文字通り福が多く訪れるように。
"黒豆煮"は、日焼けするほどまめに働けるよう無病息災を願って。
"たたきごぼう"は、瑞鳥=豊作と息災を願ったもの。
"栗きんとん"は、金色の団子という意味で、金運を願ったもの。
「そして、鯛は"めでたい"ですか。これは面白い」
「確かに皆、良い意味をなぞらえた料理ばかりですな」
「そうだね。新しい一年が始まる大切な日だからこそ、良い願いを込めたものを食べると縁起がいい、ということだね」
添えてある箸の袋は、まゆきが折った色紙。
あかねと子どもたちの心が、隅々まで詰め込まれた新年を祝う料理たち。
生粋の京人である近衛たちや、晴明や永泉たちも初見の材料や調理法が殆どだが、皆美味い美味いと満足そうに舌鼓を打つ。

和やかにゆっくりと時間は過ぎて行き、今年も残す所あとわずか。
思った以上に大勢が集まったために、重箱の中身はあっという間にからっぽ。
結構多めに詰めてくれたようだが、予想を遥かに上回る人気を得たようだ。
「そなたの奥方が考えることは、ほんに面白いことばかりだなあ」
湯をすすりながら、晴明が笑った。
「ほんに、大将殿の奥方は博が高い御方でいらっしゃる。我々がまったく聞いたこともないことを、よく教えて下さる」
初めて聞く習わしから、滅多に食べられない食材や調理法。
彼女の生まれ育った世界ではあたりまえだったものも、ここでは大概が物珍しいと称される。



***********

Megumi,Ka

suga