年を重ねて

 002
「この部屋にいると、既に冬が立ち去ったのかと錯覚してしまうね」
ぴりっとした喉越しの生姜湯を飲み終え、友雅はあかねの膝を借りて寝転がった。
辛みのある生姜の風味は、体内から少しずつ熱を全身へと広げて行き、部屋の暖かさと共に身体を包み込んで、冬の気配を忘れさせる。
「もっと早めに帰って来られたら、ゆっくり暖かさを感じられるのだけれどねえ」
「そうですね…。でも、今の時期は特別ですから、そうも行かないんでしょう?」
「残念ながらね。年末の支度と年明けの支度が同時進行だ」
毎年のこととは言え、やはり年の瀬は落ち着く余裕がない。
どうしても、家に居座る時間が減らされてしまう。
故に、子どもたちと戯れる時間も少なくなる。

「くりすます以降は出仕も早いし、こうして帰る時間も遅い。構ってやれないのが心苦しいね」
「大丈夫ですよ。ちゃんとあの子たちは、友雅さんのこと分かってますから」
こちらが何か言う前に、部屋の片付けなどは自分からしているし、文紀は幼いながらも宇敦と一緒に食材を運んだり、庭の手入れをしたりと力仕事もこなしている。
千歳はまゆきの相手をしてくれながら、厨房に来て食事の手伝いをしてくれる。
「父様は最近お忙しいから、夕餉は好きなものを作って食べてもらいたいわ、とか言うんですよ」
「やれやれ…そんな可愛らしいことを言われたら、余計家にいる時間の少なさに心が痛むよ」
今頃は夢の中ではしゃいでいるであろう子どもたちを、目覚めさせて思い切り抱きしめてやりたい衝動にかられる。
くすぐったいような優しい暖かさ。
彼女に触れるとき、子どもたちに触れるとき、どちらも同じ感覚を覚える。
そして、それらが"幸福感"というものであると気付く。

「年が明けて余裕が出来たら、別荘に連れて行ってゆっくりしたいね」
雪を厄介者と考える大人と違って、子どもたちは目の前にあるものにすぐ順応し、そこから独自に楽しさを見つける力を持っている。
屋敷の庭より広いところに連れ出して、自由に遊ばせるのも新鮮で楽しいだろう。
「それまでは、あかねに家を任せてしまうけれど…無理のない程度に頼むよ」
「はい、遠慮なく任せて下さい」
友雅の手を取り、小指に小指を絡ませて約束。
帰宅した彼が疲れを癒せるように、家族でこの屋敷を整えておく。
それが私に出来ること。それがきっと私の役目だと、あかねは思った。



友雅が言ったとおり、次の日の朝は早くから青空が広がっていて、夕べの雪の気配はどこにも見当たらなかった。
「それでも、冷え込んでいるのは相変わらずだねえ」
戸を開けて外気を感じれば、否応なく冷たさで意識が鮮明になるくらいの寒さ。
だが、天気や気温がどうあれど、今朝も出仕しなくてはならない。
目覚めた時、床の中は既に友雅一人だった。
夕べは結構夜更かししていたのに、彼女はもう起きて朝餉の用意をしているはず。
「うちの奥方は、本当に働き者だな」
さて、こちらものんびりなどしてはいられない。
せっかくの暖かい朝餉をぞんざいに扱っては、天罰…いや、龍神から罰を与えられてしまいそうだ。

「あ、父上、おはようございます」
渡殿から広間に向かおうとした時、庭の奥から文紀が上がって来た。
「おはよう。文紀も早起きだね、花の枝を切りに行っていたのかい?」
「はい。広間と玄関に飾るのを」
橘家には四季を通して、枯れることのない不思議な桜が咲き誇る。
雪が残るこんな季節でさえ、春色の枝は満開に近い形でほころび咲いている。
「まゆきと千歳も一緒にやりたいって言うんだけど…雪も残ってるし、朝は寒いから可哀想だし」
そんな風に言う文紀の小さな手も、寒さで赤くなっているというのに。
「優しい兄上だね。文紀が家にいてくれると、父上も安心して出仕出来るよ」
友雅は、彼の手を取る。思ったとおり、じわりと冷たい。
その手を包みこむように握ると、文紀を連れ広間へと一緒に歩いて行った。

「父様おはようございます!」
「とーさま!とーさま!おはよーごじゃいます!」
広間の戸を開けると、ふわっと暖かい春の陽気と共に賑やかな声。
駆けてくるまゆきを抱き上げ、かまどの近くに用意された膳の前に座った。
「父様、夕べもお帰りが遅かったの?お疲れが残ってません?」
「全然。千歳たちの顔を見たら、それだけで十分元気になれたよ」
春のような暖かさの部屋と、春の花のような娘たちの笑顔。抱き寄せれば、ひだまりの香りが鼻をくすぐる。
「ねえ父様、これ見て」
部屋の隅にある裁縫箱から、千歳が畳んだ布を持って来て広げた。
きらびやかな衣の端切れ。それらが市松の形に縫い合わせられている。
萌黄色、浅葱色、紅色や柄の切れ端は、色や模様で法則を作り繋がれている。
「母様に教えてもらったの。"ぱっちわーく"って言うんですって」
古くなった袿や衣を、再利用しようとあかねが始めた針仕事らしい。
小さいものでも、こうして繋いでいけば大きな生地となり、色々応用出来るのだという。
「大きな布をいっぱい作って、色々なものを作るのよ」
板間の敷物にしたり、厚手の袿と合わせて布団のようにしたり…と、用途は数えきれないくらい。
一人でちまちま縫うのは大変なので、千歳も分担して縫い物を手伝っている。
「へえ、綺麗なものだ。新年は広間も華やかになりそうだね」
「新年?ううん、まずは年が明ける前に絶対完成させるの。そうしないと間に合わないですもの」
確かに新年に広間で使うのならば、年内に仕上げておかねばならないか。
しかし、千歳が年内にこれを仕上げたいと豪語した理由には、もうひとつの意味が含まれていた。
それを友雅が知るのは、数日後の年の瀬---------大晦日の夜だった。


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一年で最後の日となると、これまでの慌ただしさとは比べ物にならない。
寒さが厳しくても、いつもより皆少し早めに起床して、一日の予定を時間単位で前倒しする。
「おや、今日はまゆきもお手伝いするのかい?」
今朝の出で立ちは、千歳とお揃いの小袖。二人とも髪を括り、働く気満々の姿だ。
そしてあかねも、同じような格好で厨房を行き来している。
「かみを、おりおりするのー」
手に持った赤と白の紙を、床に置いて器用に畳む。
遊びのつもりで教えられた折り紙は、今やまゆきの特技の一つ。あっという間に一枚の紙が、細長い袋に変化を遂げた。
「おはしをいれるの」
「ああ、箸袋だね。たくさん作って、みんなの箸を綺麗にしておあげ」
新しい年を迎えるに当たって、あちこちを飾る。
くりすますのように屋敷の中や、器や箸なども華やかに彩って。
更に、もうひとつ。年が明けるまえにするべきこと。

「父様ー、おそばが出来ましたわ!」
鴨肉や野菜を入れた羹に、昨日イノリが届けてくれた手打ちの蕎麦。
年の最後に蕎麦を食べるのは、一年の厄を落として新年を迎える意味があるのだ、とあかねの話を聞いて橘家でも取り入れるようになった。
今年もこうして、熱い蕎麦を家族で食す。
本来ならば、もっと遅い時間に食べるものらしいのだが、友雅は今夜から目白押しの儀式に立ち会うため、午後になったら出仕せねばならない。
そのため、早い時間から年越しの蕎麦を食べる。
友雅やあかねたちだけではない。少しずつだが、女房たちや使用人たち全ての家人に蕎麦は振る舞われる。
厄を祓い落とし、良い新年を迎えようと願う権利は、どんな人間だろうとみんな持っている。
だから皆で蕎麦を食べ、また新しい一年が良い幕開けであるように、と祈る。

「来年は今年より、もっとたくさん良いことがあると良いですわね!」
千歳がまゆきに蕎麦を食べさせながら、そう言った。皆も、うなずいた。
良いことはもっともっと今以上に。
思いっきり欲深く願っても、きっと咎められることはない。



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Megumi,Ka

suga