年を重ねて

 001
新しい年の訪れが、季節の移り変わりと共にやってくる。
日を追うごとに寒さが増して、景色が白一色に変わることも多くなってきた。
昼間は晴天の青空が広がっていても、日差しが雪を溶かしきる前に再び雪がちらつき始める。
それが、一般的な京の冬だ。

「さあさあ、そろそろ床に着かれる時間ですよ」
広間に戻って来た祥穂が、子どもたちを穏やかな声で急かした。
母屋と塗籠の境を取っ払い、二間続きになった寝殿の大広間には、夜が更けても人の姿が絶えることはない。
備え付けられた囲炉裏風かまどからの熱が、室内に漂う空気を暖めて冬の寒さを忘れさせてくれるので、皆何かにつけて集まっては思い思いに過ごしている。
あまりの居心地の良さに、時間の経つのも忘れてしまうほど。
祥穂が言わなければ、あかねも気付かなかっただろう。既に子どもたちの寝付く時間は過ぎている。
「もうちょっと母様のお手伝いしていたいわ。ダメかしら」
あかねの隣で、千歳が祥穂の顔を見上げる。
「まゆきを一人で寝かせられないでしょう?ほら、見てごらんなさい」
母が視線で示した先では、まゆきが侍女に絵巻物を見せてもらっているが、眼差しがとろんとして今にも眠りに落ちそうだ。
「お部屋の方も、程よく暖まっておりますし。どうぞお休み下さい」
「分かったわ。ちゃんと床で寝かせてあげないと可哀想ですものね」
千歳はうなづくと、針仕事を止めて立ち上がった。
筆遣いの練習をしていた文紀も、手を止めて千歳のあとを着いて行く。
「では、お部屋までお連れしましょうね」
そっと戸を開けると、ひんやりした空気が顔に当たった。
子どもたちの部屋へ辿り着くには、庭に面した渡殿を通らなくてはならない。
さほどの距離ではないとはいえ、外気に触れる以上は何か羽織る必要がある。
「ちゃんと衣を羽織ってね」
淡い桜色は千歳、濃いめの桃色はまゆき、文紀には淡い若草色…と、友雅がそれぞれに仕立てたものを子どもたちは羽織った。

しばらくして、祥穂が子どもたちを寝かしつけて戻って来た。
「千歳様から言づてを頂きました。"お豆が煮えたか確かめて"とのことですよ」
「あ、そうだ。もう結構時間が経ってますよね」
かまどに掛けてある鍋の中には、黒豆が入っている。
野菜を加えた煮豆は子どもたちも普段から好きなものだが、今回は豆甘蔓の蜜と醤で味をつけ、豆のみでじっくりと時間を掛けて煮て行く。
あかねたちは一粒ずつ手に取って、豆の煮具合を味見をした。
「上品なお味に仕上がっておりますわね」
「柔らかくなってますし、じゃあもうこれは出来上がりですね」
また一品目完成。
あとは、野菜の煮物を作って、昆布を煮て、栗と芋をなめらかに潰して……。
「そちらは、明日お子様方に手伝って頂いては?」
「ふふ、そうですね。そういうの、喜んでやりそうですもんね、あの子たち」

あと数日で、今年も終わりを告げる。
新しい一年の始まりは、縁起の良いものを食べるという習慣が橘家にはあった。
もちろん、それを伝えたのはあかねなのだが。
知人たちを集めて、毎年行われる"くりすますぱーてぃー"が終わると、新年の料理の支度に取りかかる。
年の瀬はどの時代も、慌ただしいものである。
「奥方様も、そろそろ寝所に向かわれますか?」
「あー…私はもうちょっと」
針仕事を区切りの良いところまで終えておきたいので、とあかねは答えた。
「左様ですが。本日は、殿も遅くなるとのことでしたし、先にお休みになられてもよろしいかと」
「そうですね。適当なところで床に入ります」
新年に向けての支度に忙しいあかねたち以上に、友雅は年末年始多忙を極める。
普通であれば子の刻を過ぎた頃に帰宅するが、巡回後にも雑務が残っているので屋敷に戻るのは丑の刻くらい。
出迎えてあげたいのだけれど、夜が更けるたびに冷え込みが厳しくなる冬の夜。
"体調を崩されたら困るから"という言葉に甘えて、彼を待たずに寝所に向かうようにしている。

さて……。
やっと手仕事が切りの良いところまで済んだ。
広間に何人かいたはずの侍女たちも、一人ずつ部屋に下がって行き、いつのまにかあかね一人になっていた。
さすがにそろそろ、床に着かないといけないな。
針箱の蓋を閉じ、縫い物を畳んでいた時のこと。ガタガタ…と、外の方で物音が聞こえた。
「え?もしかして…」
こんな時間に外から物音なんて、考えられるのはひとつしかない。
紅色の衣を羽織って、あかねは部屋の外に出る。
暖かい室温に身体が慣れてしまって、一気に肌がキンと凍り付きそうになるが、行灯を手に入口へと向かった。



中門をくぐり、ぼんやりと石灯籠が足場を照らして誘導する。
闇の空から舞い落ちる粉雪は、小さな明かりですぐに溶けて消える。
年が明ければ、この雪もどんどん本格的になるだろう。根雪が京を覆い、一層寒さは厳しくなるに違いない。
それでも以前から比べたら、町中の活気は明らかに違う。
夏の猛暑や冬の寒さに対応出来るよう、誰もが工夫を凝らした暮らしや商いを続けている。
疫病で倒れる者は激減し、秋にはあちこちから豊作の声が鳴り止まない。

『こうして京が豊かになったのも、そなたの奥方のおかげだな』
度々そんな風に、帝は微笑みながら友雅に声を掛ける。
彼女の存在がどれほど影響を及ぼしているかは分からないが、新しい感覚が少しずつ人々の生活に広がってゆき、良い変化を与えていることは確かだろう。
一番影響を受けた自分がそう思うのだから、間違いない。
などと、他愛もないことを考えながら戸を開けると、蛍のような柔らかい明かりが彼を出迎えた。
「おかえりなさい、友雅さん」
ちょっとバツが悪そうに近付くあかねを、友雅はいつものように抱き寄せる。
「何時だと思っているんだい?夜更かしも程々にしないといけないよ」
「ごめんなさい。気付いたらこんな時間になってて…」
そろそろ寝なくちゃと思って、寝所に向かおうとしたところだったのだ、と弁解しながらおかえりの口づけを受けた。

重なる唇がひんやりとする。
彼の肩に残る雪の跡が、少しきらりと光って見えた。
「また降り出したんですね、雪」
「ああ。でも、今回は積もらずに止むのではないかな」
かすかな呼吸で吹き出す息も、こんな時間になれば白い煙のように目に見える。
あかねの代わりに、今度は友雅が行灯を手に持った。
身体を寄せ合い、少しでもお互いのぬくもりで暖をとりながら渡殿を歩く。
「そうだ、寝る前に生姜湯でも飲みませんか?」
雪のちらつく寒い夜に、内裏の警護で外を出歩いていた友雅の身体は、きっと芯まで冷えているはずだ。
広間はかまどのおかげでまだ暖かいし、熱い湯もたっぷりと沸いている。
少々時間は遅いけれど、身体を温める方が寝付きも良くなるだろう。
「私としては、君に温めてもらう方が心地良いのだけれど、せっかくだからお言葉に甘えようかな」
「すぐそういうことばっかり言う…」
"先に行ってて下さいね”と友雅の背中を押し、あかねは一人厨房へと向かった。

「いきなり一人にされると、寒さがやけに身に染みるな」
今しがた腕に感じていたぬくもりが、消えたとたんに極寒の夜気がじわじわと突き刺さる。
体感出来る暖かさ以外のものが、彼女の身体には含まれているのではないか。
とかなんとか、そういうことを考えるのも場所を移してからにしよう。
そして、彼女が戻って来るのをのんびりと待とう。



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Megumi,Ka

suga